(3)




 東屋でのおやつ休憩の後、私は紫藤さんの案内を受けて、城内へと足を踏み入れた。

 分厚い木製のフレンチドアがゆっくりと開かれたその先、そこに広がる光景に、私は今日二度目の感動を味わうことになった。

 小さなフルール・ド・リスの描かれたベージュ色のタイル床や、漆喰とシンプルなデザインの装飾板で構成された腰壁、アンティークなステンドグラスをあしらった大きなアーチ窓に、ひと際目を引く黒鉄くろがねのシャンデリア。

 座ることが躊躇ためらわれそうなベルベット張りの猫脚ソファも、複雑なデザインの透け細工が美しいローテーブルも、ここに配置された建材、調度品の何もかもが、現代のエンターテイメント目的で建てられたはずのこの城に何世紀もの歴史が刻まれているような、そういった演出をしてくれているのだ。


「すごい……。綺麗な内装ですね」

「ありがとうございます。オーナーには古臭いと不評だったのですが」

「でも、そのお陰ですごくリアルな感じがします。本物の西洋のお城に来たみたいな……」


 きょろきょろと視線をあちこちに移動させながらそう答えると、紫藤さんはもう一度感謝の言葉を口にした。


「お部屋にご案内いたしましょう。夕食まではまだ時間がありますから、それまでごゆっくりと……」

「庭園はいかがでしたか、咲葵さん」


 凛とした声が響いたその方向を振り返ると、ロビーの右手奥の部屋から都倉さんがこちらへ向かって来ているのが見えた。恐らく今まで厨房にいたのだろう、白いシェフコートを纏い、グレーのミドルエプロンを腰に巻いている。簡単に捲り上げた袖口から覗く、男性らしい筋張った手首や腕が非常にまぶしくて、私はちょっと目まいを起こしそうになった。

 仕事着を着た男性は何割増しかでカッコ良く見えるものだと言うけれど、都倉さんも例に漏れることなくイケメン度が跳ね上がっている。元々の素材がいいものだからその相乗効果は計り知れないもので、何というか、まあ……とりあえず、この光景は目に焼き付けておくべきだと思った。


「気に入って頂けたでしょうか」


 つい見とれて沈黙した私に、都倉さんがもう一度尋ねる。私はハッと我に返り、慌てて首を縦に何度も振ってみせた。


「あ、あと、スコーンも頂きました。都倉さんが作ったレシピなんですよね」

「ええ、そうですよ。お口に合いましたか?」

「とってもおいしかったです。……あ、それでですね、さっき紫藤さんからそのレシピを頂けると聞いたんですけど」


 構わなかったでしょうか、という言葉を続けようとして、私は思わず口をつぐんだ。都倉さんが、驚いたように目を見張って私を見つめ返したからだ。

 ……って、この表情、さっきもどこかで見た気が


(あ……)


 そうだ、さっき東屋でスコーンをほめた時の紫藤さんだ。都倉さんがレシピを作ったということにびっくりして聞き返した時、紫藤さんもこんな顔をしていた。

 あの時はそれほど深く考えていなかったけれど、都倉さんまで同じような反応をするということは、私の受け答えに何かおかしなところがあると思った方がいいのかもしれない。

 なんだろう。言葉遣いか、それとも発音が変なのか。

 そう言えばさっきもスコーンの話題でこの現象が起きていたから、やっぱりスコーン絡みの内容に原因が……?


「ところで玲、仕込みの方はどうなっていますか」

「ああ……、そうだった。まだ最中だ」


 絶妙なタイミングで尋ねた紫藤さんに、都倉さんはふと我に返ってそう答えた。


「では、私は厨房に戻ります。また後ほど」


 都倉さんはそう言って私の肩をポンと叩くと、踵を返して奥へと引っ込んで行ってしまった。

 気には、なる。なぜ私がスコーンのことを語ると、皆が……と言っても都倉さんと紫藤さんしかいないのだけれど、二人があんな表情になってしまうのか。

 気になって仕方ない。でも私は私自身が、どうでもいい細かいことを気にしてくよくよするタイプだということを重々承知している。

 せっかくの旅行気分に水を差したくないので、ここはあえて、理由を聞きたいという欲求をぐっと堪え、客室へ案内してくれるという紫藤さんの後ろに黙って付いて行こうと心に決めた。







 バルコニーにつながる観音開きの窓がわずかに開いており、そこから入った少し冷たい夕風は、ほのかに感傷的な匂いを含みながら白い薄布のカーテンを穏やかに翻している。

 たぶんあの庭から調達してきたものなんだろう、サイドボードの花瓶に生けられた白いバラは、夕焼けの朱い光に染められて神秘的な雰囲気を醸し出していた。

 張地に落ち着いたゴールドのダマスク柄が入った、背もたれ部分のやや長いアンティークチェアに腰掛け、濃いチョコレート色のビューローに向かって書き物をしている私の今の心境は、さしずめ中世西洋の貴族の娘、と言ったところだろうか。

 使用している筆記用具が、地味な手帳と百均のボールペンだというところがすごく残念だけれど、そこは自分の妄想力で何とか補うことにする。

 外観、ロビーと、生活感の排除が完璧に成されていたところにきて、客室に入った私は三度目の感動に出くわすことになった。ここもまた、今まで続いた夢の世界を一切壊すことのない空間が造り上げられていたのだ。

 天井に埋め込むタイプのエアコンは、草花の彫刻が施された”ガラリ”で覆われ、テレビは脚の長いサイドボードにひっそりと鎮座していた。

 そしてその隣に並ぶ小さなキャビネットがなんと、小型の冷蔵庫だった。こういった冷蔵庫を量販店で見たことはなく、もしかしたらこの客室の為に特別に設えたものなのかもしれない。

 とにかく、現代の文明の利器たちは、その機能を損なうことも部屋の空気感を台無しにすることもなく、きちんと設置されていたし、洗面所やバス、トイレに至るまで色合いも風合いもきちんと整合されている。

 もうこれ以上どのように感動すればよいかと悩むくらいに、ここは完璧な場所だと思った。


「……」


 この感動を残そうと、夢中になって走らせていたペンの動きをふと止めて顔を上げる。部屋のドアをノックする音が聞こえたのだ。


「帆高様、今少しよろしいでしょうか」


 ドアの向こうからは、のんびりした口調の女性の声が響いた。

 そう言えばさっきここへ来る道中で、オーナーが挨拶にくると聞いたような覚えがある。

 私はスカートの裾を二、三回払い、後ろで簡単に結んだ髪を手櫛で整えると、ドアをゆっくりと開けた。


「こんばんは~。すみません、お休みのところ押しかけてしまって」


 そこに立っていたのは、ナチュラルな雰囲気の綺麗な女性だった。

 メイクは決して作りこまれたもののように見えないところから、きっとスッピンのままでも綺麗な人なんだろうと思う。落ち着いた色合いのロングヘアが丁寧に編み込まれ、それが更に若さを演出しているせいか、いい意味で年齢が全く読めない。

 オーナーは都倉さんの古い友人だとは聞いていたけれど、もう少し年齢を重ねた感じのセレブな奥様、というイメージを勝手に作り上げていたせいか、どうにもこの目の前にいる女性がその人物であるという風には感じられない。


「……あの、違っていたらごめんなさい。オーナーの奥平さん、ですか?」


 自分なりに失礼にならないように気を付けつつ、思い切ってそう尋ねてみると、彼女はびっくりしたように手を口元に当てて「そうですよ~」と返した。


「どこかでお会いした? だったらごめんなさいね、私本当に忘れっぽくて」

「あっ、違うんです。さっき都倉さんから、オーナーが来られるってことを伺っていたものですから」


 その答えに、奥平さんはほっと胸をなでおろして安心したかのようなジェスチャーをして見せた。


「良かった~。私ね、よく街なかでも声を掛けられるんだけど、そのお相手が誰なのか全く思い出せないことがよくあるのよ。だからもしかしたらと思って……っと。これ以上は長話になってしまいそうだから、続きはまたあとでゆっくり、ね」


 続きがあるのか、とか、しかもゆっくり語り合うつもりなんだ、とか、いろいろな思いが駆け巡ったけれど、そんな胸中を見透かされないよう曖昧に笑いながら、小さくうなずいておいた。


「ええと……ああ、そうそう。夕飯はいつごろにご用意しましょうか? 基本的には六時から八時の間なんですけど、ご希望がありましたら柔軟に対応しますよ~」


 奥平さんはフレンドリーな態度はそのままに、少しだけ路線を店員モードに切り替えて私にそう尋ねる。

 普段、休みの日であれば大体六時過ぎには夕食をとっているけれど、今の自分の腹具合から、少し遅めにした方が良いと判断した。


「それじゃあ、七時に」

「オッケー、かしこまりました。じゃあその頃にまた声を掛けに来ますから、それまでごゆっくりどうぞ」

「……はーい」


 奥平さんはにっこりと微笑み、私に向かってヒラヒラと手を振ると、鼻歌交じりでその場を後にした。


「変わった人だなぁ」


 ドアを閉め、再び部屋の奥に戻った私は、座面が少し広めにとられている一人掛けソファに腰を下ろしながらそう呟いた。

 それに、去り際に見せたあの笑顔。目尻が優しく下がる感じのあの微笑み方を、最近どこかで目にしたような気がする。


「誰だっけ……。あのキャッチセールスの子……はもっとだらしない感じだったよね」


 ソファの背もたれにうんと体重を掛け、大きく伸びをする。

 一体誰だったのか、ぼんやりと記憶をたどっている内に、軽い睡魔がまぶたをおろしにかかっているのを感じた。

 昨夜はしっかり眠ることができなかったし、電車と車を乗り継いだだけで体力はさほど使っていないとは言え、やはり少し疲れていたのだろう。

 私はそのまま、ゆっくりと眠りに落ちていった。





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