第35話 本当の家族

 ところ変わって、レマリア村の小さな喫茶店のテラス席。大雨と強風が吹き荒ぶ中、グリアムは人気ひとけのない喫茶店の軒下で雨が止むのを待ちながら、顔を真っ赤に染め上げて困り果てていた。


 ──というのも、現在。

 彼はアイシャからの猛烈なラブコールの雨を、怒涛の勢いで浴びせられているからである。



「お芋の王子様っ! どうかアイシャとお付き合いして下さいませの! もう、アイシャとってもメロメロで、貴方の事を思うと夜も眠れませんの!」


「……」


「はうう! その困った表情も素敵! もう~っ好き好き! 大好きですの! 寝癖のついた白銀の髪もチャーミングですし、虚弱そうなヒョロヒョロ体型も魅力的っ!」


(……褒めてんの? それ……)



 けなしているのか褒めているのか分からない彼女の発言を多少いぶかしむグリアムだったが、情熱的な視線を惜しみなく向けるアイシャの直球過ぎる愛情表現に、彼はたじろぎいで萎縮するばかり。


 グリアムは頬を染め、ぐいぐいと迫る彼女から出来うる限り距離を取る。しかしすぐに間合いを詰められ、彼はだらだらと冷や汗を流した。



「ち、ち、近いって……!」


「嫌ですの?」


「嫌っていうか、あの、俺たちまだ出会ったばかりだし……」


「まあ! 恋に時間なんて関係ありませんの! わたくしは貴方と共に添い遂げたいんですのー!」


(な、何でこんな事にぃぃ……)



 デートを断るつもりで待ち合わせ場所に赴いたというのに、あれよあれよという間に手を引かれて連れ出され、気が付けば天候は急変。降りしきる豪雨から逃れようと、彼らは閉店中の喫茶店のテラスに避難したのだが──それからかれこれ一時間以上、こうしてストレート過ぎる愛の告白を受け続けている。


「あなたが好きですの!」

「愛していますの!」

「カッコイイですの!」


 と、生まれてこの方一度も言われた事のない言葉の雨をガンガン耳に投げ込まれ、もはやグリアムは羞恥心を通り越して「これは現実か……?」「夢を見てるんじゃ……」と疑心暗鬼に陥り始めていた。


 頼むから早く雨止んでくれ……、と空に向かって切に願っていれば、アイシャはその可憐な顔を更に近付ける。グリアムはぎくりと身を強張らせ、赤らむ頬を誤魔化すように彼女から顔を逸らした。



「お願いしますの! アイシャと結婚しましょうの! お芋王子!」


「……だ、だから! 何度も言ってるけど、俺は君とは付き合えないし、妻がいるんだって!」


「嫌ですの! アイシャの王子様になって下さいませの! お願いしますの!」


「いや、だから──」


「愛してますの!」


「おぅふ……っ」



 ド直球な言葉に一瞬ぐらりと心が揺れて口元が緩んでしまう。しかしすぐさま煩悩を振り切り、「い、いかんいかん、断れ俺……!」と自身を律して近付く彼女を片手で制した。



「む、無理です、ごめんけど無理! お、俺、もう結婚してるから……!」


「結婚してるだなんて、そんなの嘘ですの!」


「う、嘘じゃないって!」


「だったら王子様、なんでをしていませんの!?」


「……えっ……」



 アイシャの言葉にグリアムはたじろぎ、息を呑む。


 彼女に向けて突き出した彼の左手薬指には、指摘された通り──指輪がない。グリアムとウルは実際の夫婦ではないのだから当然の事だ。


 しかし、その事実が、グリアムの胸を酷く締め付ける。



「……っ」



 ウルと自分は、何の関係もない赤の他人。

 その事実をまざまざと実感してしまう。


 毎朝彼女に起こされて、美味しいご飯を作ってもらって、夜は一緒に眠る──それがもはや当たり前の日常になっていて、あれほど嫌だった“嫁”というすらも、いつの間にか心地よく感じてしまっていて。


 可愛い娘や息子さながらの存在や、騒がしい家政夫みたいな男。それに、優しく世話を焼いてくれる義母のような存在も出来た。


 けれど所詮、全て、ただの“家族ごっこ”だ。

 本当の、“家族”ではない。


 薬指の空白が、その現実をグリアムに突き付ける。



「……」



 黙り込んでしまった彼の耳元に、アイシャはそっと唇を近付けた。耳心地の良い柔らかな声色が、彼の鼓膜を優しく揺らす。



「──わたくしなら、貴方に、“本当の家族”を与えられます」


「……」


「貴方を、孤独から救ってあげられるんですよ」



 グリアムの耳に寄せられた口元が僅かに笑みを描き、アイシャは硬直する彼の首に腕を回して身を寄せた。彼女の硝子玉のような瞳と視線が交わり、まるで蛇に睨まれた蛙にでもなったかのように、ぴくりとも動く事が出来ない。


 口を開いたアイシャは、更に続けた。



「……ね、お芋の王子様」


「……」


「アイシャと、家族になりましょ」



 笑みを描く形の良い唇が、黙りこくるグリアムの唇へと迫る。


 首に回された手。近付く唇。直後、首の後ろにチクリと鋭い痛みを感じ、グリアムは思わず「いっ……!」と声を発して目を閉じた。そして再び彼がその目を開いた頃──アイシャの顔は、互いの鼻先が触れ合う距離にまで近付いていて。



「……っ!」



 グリアムは目を見開き、咄嗟に彼女の肩を掴んだ。あと数センチで唇が触れるという寸前で、彼は強引にアイシャの体を引き剥がす。


 口付けを拒まれたアイシャはぱちりと瞳を瞬き、黙って目を逸らすグリアムの顔を見つめた。



「……お芋王子?」


「……、ごめん……俺、やっぱ……無理だ」


「え?」


「……俺には……、ウルが……」



 グリアムはぼそりとその名を口にし、一瞬言葉を飲み込む。やがて彼は顔を上げ、アイシャの目を見つめて言い放った。



「……俺の帰りを待ってる、“今の家族”がいるから」


「……!」


「だから俺は、君の気持ちには答えられな──」



 ──どさっ。


 不意に、降りしきる雨の音に混じって何かが地に落ちる音が響く。反射的に振り向けば──傘を地面に落とし、呆然と立ち尽くすウルの姿があった。


 グリアムは息を詰まらせ、目を見開く。



「……えっ……、ウル……?」


「……」


「……お、お前、何で……ってか、傘! ちゃんと傘させよ! 風邪ひくぞ!?」



 テラスを飛び出し、グリアムは慌てて彼女の落とした傘を拾い上げた。するとウルは小さく声を発し、グリアムを見上げる。



「……今……」


「?」


「……キス、してた?」


「…………え?」


「あの子と……」


「……、んええッ!?」



 ──いや、してないけど!!?


 即座にそう思ったが、同時にハッとグリアムは察する。先程アイシャが至近距離まで近付いた際、ウルのいた場所からでは二人の唇が触れているように見えたのかもしれない。なんてこった、そりゃまずい。即刻誤解を解かなければ、とグリアムは口を開いた。



「ち、違う、ウル! さっきのは本当に、き、キスとかじゃなくて──」


「とーっても情熱的なキッスでしたのっ! ね、お芋王子っ♡」


「……!?」



 グリアムの声を遮り、会話に割り込んだアイシャが彼に密着する。ウルはぴくりと眉根を寄せたが、アイシャはふふっと笑って見せ付けるようにグリアムに身を寄せた。



「あなたが彼の、奥様ですの? うふふ、ごきげんよう。素敵な旦那様ですのね、キッスもとってもお上手でしたの」


「……は!? ちょ、何言って……!」


「……」



 ウルは眉間に深く皺を寄せ、じろりとアイシャへ鋭い視線を向ける。やがて、「……嘘つき」と彼女は呟いた。



「……この人が、上手にキスなんか、出来るわけないじゃないですか」


「え~?」


「……この人は、私のパンツ見ても、おっぱい触っても、最終的に手が出せないドヘタレ芋野郎なんですよ。上手なキスなんてしようものなら、挙動がおかしくなって言葉も通じなくなる猿以下の脳ミソしてるに決まってるでしょ」


(待ってウル、なんちゅうイメージ持ってんのお前)



 辛辣なウルの言葉にグリアムは絶句するが、アイシャはくすりと笑うばかり。彼女は更にグリアムに擦り寄り、挑発的な視線をウルに向けた。


 ウルはより一層眉根を寄せ、彼女を睨む。



「……ちょっと。私の旦那ですよ。ベタベタしないでくれます?」


「えー? でも奥様、あまり彼に愛されていない気がしますの」


「……!」


「だって、彼にんでしょ? 指輪もしてないし、本当に結婚してるんですの?」


「……」



 ウルは言葉を詰まらせ、一瞬視線を落とす。アイシャは口角を上げ、更に続けた。



「わたくしは、彼を愛していますの。彼もきっと、わたくしを愛してくれますの。だって、わたくし達は“本当の家族”になれますから」


「……っ、私だって、ずっと……!」



 ウルは語気を強めて声を発する。しかし彼女は途中で言葉を切って飲み込んだ。「……私だって……」と力なくこぼし、彼女は顔を上げてグリアムを見つめる。


 降りしきる雨の中、悲しげに表情を歪ませた彼女に、グリアムは眉を顰めた。



「……ウル……?」


「……っ、……ばか!!」


「あっ、おい! ウル!!」



 やがて彼女はそう吐き捨て、横殴りの雨の中に走り去って行く。グリアムはすぐに追いかけようと地を蹴った。しかし駆け出そうとしたその瞬間、背後のアイシャから腕を掴まれる。


 グリアムは苛立ったように振り向き、「離せよ!!」とつい声を荒らげた。しかしアイシャは臆する様子もなく、ただ微笑んで彼の手を掴み続ける。



(……っ、何だコイツ……! めちゃくちゃ力強ッ……!?)



 強く握り込まれた腕を強引に振り払おうとするが、いくら力を込めても微動だにしない。並の女性の力とは到底思えぬそれにグリアムが息を呑んだ頃、彼女は口を開いた。



「……貴方は、必ずの元を選びますよ。グリアム様」


「……っ、は……!?」


「お待ちしております。“本当の家族”と共に」



 不可解な言葉を告げ、アイシャは彼の腕を解放した。急に手を離されてよろめき、彼女の言葉を訝しみながらも──グリアムはすぐさま地面を蹴り、走り去ってしまったウルを追い掛ける。


 残されたアイシャの口元が描くのは、不気味な微笑み。



「……は、無事に完了ね」



 小さくなって行くその背中を見つめ、アイシャはくすりと微笑んで、ゆっくりとその場を後にしたのであった。




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