第11話 vs おっぱい

 ウルと半ば強制的に結婚させられてから、約一週間。つまりグリアムが家出してから約二週間が経過した、ある昼下がりの事。



「……おい……」



 グリアムは眉間に深く皺を刻み、低い声を発してウルを睨み付けた。

 対する彼女はいつも通りの笑顔を浮かべ、「どうしました?」と何食わぬ様子で首を傾げる。



「……どうしました? じゃないだろ、ウル……」


「やだ、怒ってるんですか?」


「怒るに決まってるだろうが……」



 グリアムは怒気を孕ませた声で威圧し、彼女に鋭い眼光を向けた。「やだ〜、怖〜い」とおどける彼女に苛立ち、「あのなあ!」と彼は更に声を荒らげる。



「お前……お前な……! いい加減にしろよ……!」


「……」


「お前のっ……!」



 グリアムは忌々しげに低音を発し、部屋の隅にぶら下がっているを真っ直ぐと指差した。



「──お前の下着は俺の目に見えないとこに干せって、何度も言ってるだろうがァ!!」



 直後、彼が真っ赤な顔で訴えたのはこれである。ウルは呆れたように嘆息し、部屋の隅に干された下着を見つめる。



「……師団長、童貞こじらせるのもいい加減にして下さい。あんなもんに何を恥ずかしがっているんです? ただの布じゃないですか」


「お前はもっと恥じらいを持て! あんなに堂々と下着を干すな! 俺は男だぞ!?」


「やだ〜、師団長ったら私のパンツで興奮するんですか? オカズにするのは結構ですけど汚さないで下さいね?」


「するかァ!! そういうんじゃないけど目に付くんだよ! もっと目立たないところに干せ!!」



 憤慨するグリアムだが、ウルは「そんな事言われても、あそこが一番日当たりいいんですもの〜」と肩を竦めるばかり。「外に干せよ!」と負けじと食い下がる彼に、彼女は「え〜」と唇を尖らせて首を振る。



「嫌ですよ〜。私可愛いんですから、盗まれちゃうかもしれないじゃないですか〜。こういう田舎には不審者とか多そうですし」


「俺の下着は外に干してるだろ!?」


「師団長のパンツなんか盗まれようが鳥につつかれようがどうでもいいでしょ?」


「お前……っ」



 さも当然というように言い切った彼女に頬が引き攣り、グリアムは頭を抱えた。こいつ、上司を舐め腐りやがって……! と握り込んだ拳を戦慄わななかせれば、不意に不敵な笑みを浮かべたウルがずいっと彼に迫る。



「……!」


「ねえ、師団長。干してある下着が目に付いちゃうって事は、つまり師団長が女の子の下着をから緊張しちゃうって事でしょう?」


「は……?」



 彼女の発言に眉を顰めた──刹那。

 突如自身の着ていた衣服の胸元をぐいっと引っ張って下着をさらけ出したウルに、グリアムは目を見開いて後ずさった。



「ぶわあああッ!!?」


「はい、どうぞ~♡ 私の下着見て、見慣れる練習してくださいね?」


「ばばば馬鹿!! やめろーッ!!」


「やだ〜、師団長ったら顔真っ赤じゃないですか〜。照れちゃって可〜愛い〜♡」



 くすくすと悪魔のような微笑みを浮かべ、一切の恥じらいもなく胸元をはだけさせたウルがグリアムに迫る。豊満な胸の谷間が視界に入り込み、急速に熱を帯びて赤く染まる顔を逸らした彼は目を閉じて必死に抵抗した。



「う、ウル! いい加減にしろ! 本当に怒るぞ!!」


「え〜、怒られるのは嫌ですう。じゃあ師団長が怒ったら、このまま脱いでお詫びしますね?」


「何でだよ!? ……っう、うわ、お、おい馬鹿……っ! くっ付くな……!」



 胸元をはだけさせた状態のまま密着するウルの体を押し返したくとも、直接伝わる感触がどこもかしこも柔らか過ぎて触れる勇気が出ない。いやさっさと引き剥がせよ、俺のヘタレ!! と脳内で絶叫するが、結局何も出来ないままウルの距離はどんどん近付き、とうとうグリアムは壁際に追い込まれてその場に座り込んでしまった。



「うふふっ。あなた〜、目を開けて下さいよ〜」


「む、む、むり……むりです……マジで離れて頼むから……!」


「じゃあ、あの場所に下着干してもいいですか〜? 許可してくれたら、離れてあげてもいいんですけどね~」


「……っ、お前! それが狙いか……!」


「あら、嫌なんです? だったら仕方ありませんね〜、もっと頂かないと……」



 そう言うと、ウルは壁に縋り付いているグリアムの体をまたいで馬乗りになる。彼はぎくりとたじろぎ、即座に声を発して白旗を上げてしまった。



「う、うわあああっ!! わっ、分かった! 分かりましたすみません!! あそこに干していいです!!」


「まあ! 本当ですか? ありがとうございまーす♡」


(……っ、くっ、くそぉ……!)



 恥ずかしげも無く己の体を使い、恐喝まがいの方法でグリアムからの許可を得たウルは、何事も無かったかのように彼から離れると鼻歌を口ずさみながら背を向けて去って行く。


 一方、ようやく解放されたグリアムは「また負けた……!」と己の不甲斐なさを悔やんでその場に座り込んでしまっていた。



(……ちくしょう……アイツ何なんだよ……! もう少し恥じらえよ女だろ……!? そこそこ胸デカいからって、これ見よがしに武器に使いやがって……)



 脳内だけで文句を垂れ流しつつも、先程押し当てられた体の柔らかさを思い出してしまい、グリアムの頬はみるみる紅潮こうちょうして行く。思春期の青少年でもここまで初心うぶではないのではなかろうか。そう心配になってしまう程に酷い己の免疫の無さをうれいていると「師団長〜、」と不意にウルに呼び掛けられ、再び彼の肩が跳ね上がった。



「……っ、な、な、何……」


「私のおっぱいの感触を思い出して妄想に浸っている所に水を差すようで申し訳ないんですけど、ちょっとお買い物に行って来て頂けませんか~?」


「は、買い物……? っていうか、妄想なんかしてねーよ!!」



 つい声を荒らげるグリアムだが、ウルはお構い無しに「はい、どうぞ♡」と彼に空のバスケットを手渡した。有無を言わさず押し付けられたそれを戸惑いがちに見下ろしていると、彼女は勝手に話を進める。



「まずは農場で果物ですね、アプロルとレモネンを二つずつ。それから雑貨店で小麦粉と、お花屋さんで香草ハーブも。あと、魔法具店でのお薬を調合して頂いて来て下さいね」


「……猫避け?」


「ええ、猫避け」



 復唱し、ウルの瞳からは一瞬光が消える。暗い双眸そうぼう虚空こくうを見つめ、彼女は声を低めた。



「……私、基本的に動物って好きなんですけど、どうにも猫だけは苦手でして……」


「……は? そ、そうなのか……?」


「ええ、そうなんです……。最近この辺りでよく黒猫が彷徨うろついてるのを見かけるんですけど、もし家に侵入されたらと思うと気が気じゃなくて……。と、いうわけで、猫避けの薬買ってきて下さい。ダッシュで」


「……」



 さも当然のように上司をあごで使う部下にグリアムは呆れたが、この横柄おうへいな態度に若干慣れつつあるのも確かである。

 彼は複雑な心境で手の中のバスケットを抱え直し、「分かったよ……」と嘆息した。するとウルは微笑み、まるで子どもにでも接するかのようにグリアムの頭を撫でる。



「師団長、えらーい♡ 帰って来たら、美味しいアプロルパイを焼いてあげますからね〜」


「……お前、本当上司を舐めてるよな……」


「やだ〜、今は旦那様でしょ〜?」



 うふふ、と笑ったウルは彼の腕に胸を押し当てて絡み付いた。途端にグリアムの頬は紅潮し、「くっ付くな!!」と怒鳴ってすぐさま彼女を引き剥がす。


 先程の胸の感触を再び思い出して鼓動が速まる中、グリアムは赤い頬を隠すようにウルから目を逸らした。彼女はそんな彼の反応を楽しげに見つめている。



「さ、むっつりスケベな旦那様。さっさとお買い物に行ってきてくださいな」


「……っ、お、俺は別に、むっつりスケベじゃな──」


「はい、行ってらっしゃーい♡」


「うわッ!?」



 ──ドンッ。


 強引に玄関から締め出され、グリアムはバスケットを抱えたまま地面に尻餅をついた。「……あいつ……!」と恨めしげに扉を睨みつつ、やがて立ち上がった彼は深い溜息を吐きこぼす。



(……俺は……一体いつになったら、アイツに勝てるんだ……)



 世界最強のはずなのに……、と彼は落胆し、先ほどウルに押し当てられた胸の感触を思い出して頬を赤らめながら、ふらふらと村の市場へ向かって歩き始めたのであった。


 ──そんな彼に近寄る不穏な影が、にんまりと口角を上げてその背中を見つめている事にすらも、気が付かずに。




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