第3章 暗殺者は突然に

第10話 結婚しました

 ──大陸西部、レイノワール帝国城。

 鬱蒼うっそうとした深い森を抜けた先に、その帝国は存在する。


 高い城壁に囲われ、まるで要塞のようなその城の門前にて待ち構えているのは、以前この地を独裁していたと言われる皇帝レイノワールの肖像。城の内部では、漆黒の鎧を装備した兵士達がずらりと隊列を作って行進している。


 そんな城内を遠くから眺め、行進の列を吟味ぎんみする男が一人。

 彼は猫さながらの耳を生やし、長い尻尾を揺らして、大きな木の上で密やかに目を細めた。



「……ふん。帝国の虫共は今日も群れで行進ごっこか。城壁を警備で固めて、一体何を恐れているんだか」



 短く一つに結った黒髪を風に揺らし、青年はあざけるように笑う。すると不意に、下方から聞き慣れない声が耳に届いた。



「──へえ〜、今から金をせびる相手を〝虫〟呼ばわりかい? 一流の暗殺者アサシンともなれば、随分と態度が大きくなるものだねえ」



 眼下に目を向ければ、そこにあったのは黒い外套がいとうに身を包んだ男の姿。青年は口角を上げ、即座に木の上から飛び降りる。


 とん、と軽快に地面へと着地した彼は薄ら笑いを浮かべ、外套姿の男の元へ歩み寄った。



「やあやあ、やっと来たのか。帝国のノロマなお偉いさん。俺を待たせるとはいい度胸だな、虫けら風情が」


「はは、どうやらあんたは噂通りだ。傲慢で高飛車、プライドが高い獣人族セリアン暗殺者アサシン。……ま、思ってたよりガキみたいだけど」


「……舐めた口を聞くなよ、虫けらが。本来なら殺してやるところだが……まあいい。金に免じて今回は見逃してやろう。──で? 仕事があるんだろう? この俺に」



 まだ十代であろう若い暗殺者アサシンが問い掛ければ、目深まぶかに被ったフードの隙間から覗く男の口元がにんまりと上がる。「まあね」と答えた彼は一枚の写真を取り出し、それを投げ渡した。



「……!」


「そいつを捕捉して連れてきて欲しいんだ。名前はグリアム=ディースバッハ。〝白銀の死神アルゲント・モルス〟と呼ばれる、白薔薇の教団ロサ・ブランカ・第一師団の師団長だよ。二つ名ぐらいは聞いた事があるかな?」


「……〝白銀の死神アルゲント・モルス〟だと?」



 青年は眉を顰める。

 白銀の死神アルゲント・モルス──それが「世界最強」とうたわれる、かの有名な大魔導師の名である事を彼はすぐに理解した。その素性は謎に包まれており、実在するのかどうかも怪しいとちまたでは噂されていたが。



(……この写真の男が、死神……?)



 青年は眉根を寄せ、手渡された写真を今一度凝視する。そこに写っている、「グリアム」という名らしいその男は──


 何故か、くわを持って疲労困憊の顔で畑を耕していた。



(世界最強の魔導師って、農業してんの?)



 ぽかん、と呆気に取られた青年は更に眉を顰める。


 ──つーか、このド田舎は何だ? まさかこんな長閑のどかなとこに住んでんのか? 死神のくせに?


 そう考え、ますます彼は困惑した。大量の疑問で脳内が占拠されつつある中、外套の男は「あ、もっと写真いる? あげるよ」と更に写真を追加して投げ渡して来る。


 それを受け取り、一枚ずつ確認するが──「真顔で芋と睨み合っている写真」、「真剣な顔で老婆の肩叩きをしている写真」、「女に後頭部を踏み付けられて土下座している写真」──と、どれもろくな物ではない。


 青年は呆れたように肩を竦め、いぶかしげに男を見つめた。



「……おい。これ、本当に白銀の死神アルゲント・モルスなのか……?」


「うんうん、間違いないよ。彼が死神さ」


(出来れば間違いであって欲しかったんだが)



 そう考えて頬を引き攣らせつつも、まあいいか、と青年は写真をふところにしまう。例え写真の男が別人だったとしても関係ない。“受けた依頼の標的は必ず仕留める”、己の使命はただそれだけだ。



「……とりあえず、こいつを捕まえりゃいいんだな」


「そうそう。報酬は弾むよ」


「ふん。せいぜい大金を用意して待っていろ。この俺に仕留められない獲物は居ない」


「ふふ、頼もしいねえ〜」



 男は笑い、フードを深く被り直す。



「期待してるよ。“死を運ぶ黒猫ラモール・ケット”──ルシアくん」


「……ふん」



 青年──ルシアは背を向け、男の元から去って行った。その口元に、いびつな笑みを浮かべて。




 * * *




『あー、あー。もしもーし、聞こえますか〜? ……アレ? おっかしいなぁ……、もしもーし?』



 ──ザザ、ザ、ザ……ッ。



『……あ、良かった、やっと繋がった! やあ、ウルティナくん! 調子はどうだい?』



 にこ、と眼鏡の奥の目尻を緩め、白薔薇の教団ロサ・ブランカの司令官──オズモンドが問い掛ける。彼は今、本部の執務室から遠く離れたウルに向かって“念話ねんわ”を送っていたのであった。


 念話とは、ある程度高い魔力を有する者同士でやり取り出来る「頭の中の会話」である。直接声に出さず、己の意思を伝え合う事が出来る伝達手段の事をそう呼ぶのだ。

 ただし、遠くにいる相手との念話は魔力の消耗も激しい上に繋がりにくいため、普通は近距離感で用いられる伝達法だったりするわけだが──彼やウルのように魔力量が多い魔導師の場合、あまり距離は関係なかったりする。



『ああ、オズモンド司令官。報告が遅くなってしまいすみません。来週末までには、一度本部に戻りますわ』



 オズモンドからの念話を受け取ったウルはにこやかに応対し、返事を返した。普段通りの彼女の様子に安堵し、オズモンドは微笑む。



『いやあ、元気そうで良かったよ。二週間ぐらい顔を見てないから、ちょっと心配でね。……ところで、グリアムくんは見つかったかい?』


『いえ……彼の魔力を追って探していたんですが、途中で途絶えてしまいました……。申し訳ありません』


『そうか……。まあ、彼はああ見えて器用だからね。自分の魔力の痕跡を遮断する事ぐらい容易いだろう。念話の受信も拒否してるみたいだし……』


『芋は洗えませんけどね』


『え? 何て?』


『いえ、何でも』



 ぽろりと漏れた言葉を誤魔化すように、ウルはわざとらしい涙声を発して『師団長、無事だといいんですけれど……心配ですわ』と白々しくうそぶいた。


 オズモンドは『そうだよね……心配だよね……』と憐れむように嘆息し、ウルの虚言きょげんをあっさりと信じ込む。『もう、心配で心配で……夜も眠れません……』と心にも無い嘘を平然とのたまい続けるウルを気遣い、彼は優しく語り掛けた。



『……でも、グリアムくんならきっと大丈夫さ。彼の強さは、君が一番よく知っているだろう?』


『……はい。もちろんです』


『本部の事も心配しなくていい。第一師団の二人は長期の任務に出てもらっているって事で、事情を知っている一部の人間とは口裏を合わせてあるから。君はグリアムくんの探索に集中してくれ』


『承知致しました……ぐすっ、ありがとうございます……』



 オズモンドの言葉に、ウルは涙ぐみながらこくりと頷く。よほど彼が心配なのだろう、と彼女の心中を察してオズモンドは胸を痛めた。



『困った事があれば、いつでも連絡しておいで。無理はしないようにね』


『はい……』


『そういえば、君自身には最近何か変わった事は無かったのかい? 僕で良ければ相談に乗るけど』


『……変わった事……ですか?』



 うんうん、とオズモンドは頷く。

 第一師団の師団長補佐、という重鎮じゅうちんを担っているとはいえ、ウルはまだ二十代前半の若い女の子だ。悩みや愚痴を聞いてあげるのも上司としての務めだよね、と考え、彼は優しく彼女の心に寄り添う。



『何でもいいんだよ、何かあったなら言ってごらん』



 そう語りかけて微笑むオズモンドに、ウルは暫し考え──やがて、口を開いた。



『……そうですねえ、強いて言えば……』


『うんうん』


『結婚しましたね』


『あ〜、そうかそうか。なるほどね、けっこ──』



 ──ん?


 何食わぬ様子で放たれたその発言に、オズモンドの思考がぴたりと動きを止める。……え? ケッコン? ケッコンって、何だっけ? と動きの鈍った頭の中で考えるが、明確な答えに辿り着かない。──否、ケッコンの意味は分かるのだが、彼女が何を言っているのか分からないというか、何というか。


 彼が混乱した脳内を整理していると、『あら、』と不意にウルが声を上げた。



『ごめんなさ〜い、司令官。夫が起きてしまいました〜』


『……ん? え? お、オット?』


『ってわけで、そろそろ朝食の支度に戻らないと……、あっ! あ・な・た〜♡ おはようございまーす♡』


『え? ちょ、ウルティナく──』



 ──ブツッ。


 甲高い彼女の声を最後に、ウルとの念話は途絶えた。

 オズモンドは執務室のデスクに肘をついたまま、暫し黙り込む。しかし、彼はやがて重々しいその口を開いた。



「……今、なんか……結婚したとか、聞こえたような……」



 ……いやいや……聞き間違いだよね? うん。


 オズモンドは自身にそう言い聞かせ、「いやいやいや、違う違う違う……」と呟きながらかぶりを振る。


 行方不明になった世界最強の魔導師が、既にサソリの猛毒の餌食になってしまっている事など──彼が知る由もなかった。




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