第12話 人質選びは慎重に

「……ふぅん……。あれが世界最強の魔導師……“白銀の死神アルゲント・モルス”ね……」



 高い木の上に身を潜め、猫のような耳を生やした青年──ルシアは、密やかにそう呟く。とぼとぼと歩き去って行く“世界最強”の背中は、随分と哀愁に満ちているように感じた。


 彼は赤くれたチュリボムの実を口に放り込み、舌の上に広がる甘みを咀嚼そしゃくしながら鼻で笑う。



(随分とヒョロい男だが……あれが本当に世界最強か? ガセネタじゃないだろうな)



 先日、西の帝国領内で外套がいとう姿の男に手渡された写真を再度見返し、ルシアはフン、と鼻を鳴らした。──まあ、何でもいい。さっさとあの男を殺して金さえ貰えりゃ、それでいいんだからな。


 彼はチュリボムの種を吐き捨て、くく、と笑う。

 するとその時、今しがたグリアムが出て行った家の扉が音を立てて開いた。



「──!」


「ふーん、ふん、ふーん」



 コツコツとブーツのかかとを踏み鳴らし、上機嫌に鼻歌を口ずさみながら出て来たのは亜麻色の髪を一つに結い上げた女である。ルシアは目を細め、家の前の花壇にジョウロで水を撒く彼女の姿を観察する。


 オフショルダーの白いニットに、丈の短い黒いショートパンツ。露出の多い格好をしている割に、その容姿は愛らしく、所作もつつましやかだ。一見すれば清楚で大人しそうな印象を覚える。



(……へえ。さっきのグリアムって奴の女か。まあまあ良い趣味しているじゃないか、ヒョロいモヤシの割には)



 そう考えて、つい口元が緩んでしまう。にんまりと楽しげに口角を上げ、ルシアは舌舐めずりをした。


 ──こういう女は、良い悲鳴を上げてくれそうだ。


 瞳の奥に殺意を孕ませ、木の上に座り込んでいたルシアの腰が持ち上がる。ぎらついた眼を細め、彼はウルの背中を見下ろした。



(まあ、俺の手にかかれば、ヒョロモヤシグリアムなんざ一瞬で抹殺出来るだろうが……仮にも、相手は世界最強の死神様らしいからな。あらかじめを握っておくのも悪くはない)



 くすりと小さく笑み、彼は瞳を閉じる。

 すると瞬く間にルシアの体は縮み、一瞬での姿へと変貌した。


 黒猫となった彼は細い枝の上を伝い、しなやかな身のこなしで高い木から降りて行く。



(ふっ……悪いな、白銀の死神アルゲント・モルス。残念ながら、俺は慈悲も情けも持ち合わせちゃいない)



 とん、と猫は地面に降り立ち、長い尻尾を揺らしながらウルの元へと近付いた。



(女だろうが、子供だろうが……容赦しないのが俺のやり方なんだよ)



 口内の牙を覗かせ、狂気に満ちたその瞳が細められる。猫の姿であれば警戒もされにくい。背後から近付き、油断させたところで羽交い締めにして縛り上げてやろうと彼は考えていた。──つまり、人質を取ろうというのである。



(折角の上玉な女だ。少し痛め付けても良いかもしれないな)



 そう密やかな悪巧みをくわだてているうちに、とうとう彼女との距離が残り数センチという所にまで迫る。そして遂に、彼はウルに手を伸ばした。



(許せよ、死神。貴様の女、人質ひとじちとしてありがたく利用させて貰──)



 ──と、そこまで思い至った瞬間。


 それまで花壇に水を撒いていたウルは、突如弾かれたように身をひるがえした。



「!?」



 一瞬の出来事にルシアが目を見開いたのも束の間、冷たい双眸そうぼうをぎらりと光らせて銃把じゅうはを握り込んだ彼女は迷いなく引き金トリガーを引く。

 ドォン!! と耳をつんざくような発砲音が鼓膜を大きく震わせ、瞬時に身の危険を察知した彼は反射的に発砲されたその弾丸を避けた。氷を纏った冷たい銃弾は黒猫の頬を掠めると、真後ろの木を貫く。


 目にも留まらぬ速撃ちを披露したウルは、目の前で硬直してしまっている黒猫にゆっくりと視線を向けた。そして数秒間の沈黙の後、「あらあらあら〜……」と不敵に微笑む。



「外しちゃいましたか〜。やっぱりまとが小さいと狙いにくいですねえ、まったく」


「…………」


「あ、ちょっと。そこ、動かないでくださいね? ──次は当てますから」



 うふふふ、と可憐に微笑み、ウルは拳銃に魔弾を詰め直した。その様子をぴしりと固まったまま見つめ、ルシアの背筋にはゾッと冷たいものが蔓延はびこる。


 ……こ、……こ、……こ、



(──こいつ怖ああああ!!?)



 脳内で絶叫し、今しがた自分の身に起きた事を理解すると彼は戦慄せんりつした。知らず知らずのうちに悪魔に喧嘩を売ってしまった暗殺者は、にこにこと微笑むウルを見上げて息を呑む。



(こ、この女、正気か!? 撃ったんですけど!? こいつ、猫を撃ったんですけど!? え、マジで何してんの!? 俺猫だぞ!? 天下の猫様だぞ!? こんな可愛い猫様を何の躊躇ためらいも無く撃つって、頭やばいんじゃないのかこいつ!! サイコパスかよ!?)



 と、自分が暗殺者である事は棚に上げてルシアは震え上がる。しかしやはり彼の前に立ちはだかるウルは明確な殺気をまとって銃を構え、くすくすと恐ろしく笑うばかり。未だに硬直しているルシアを見下ろし、彼女は口を開いた。



「……あ〜、そういえば……、明日、ハンバーグにしようと思ってたんですよね〜」


「……っ」


「……猫のお肉って、美味しいのかしら〜」



 ──いや、この女マジでヤバい奴だああ!!!


 ルシアはそう確信し、即座に地を蹴って走り出した。しかしウルは彼に銃口を向けて狙いを定め、冷たい双眸を細める。



「逃がしませんよ」


「……っ!!」



 ──ドォン!!


 再び響く銃声。ルシアは素早くその場から飛び退き、放たれた弾丸を避ける。


 するとウルは駆け出し、駿足しゅんそくで逃げるルシアを追いかけながら更に拳銃を構えた。直後、複数回の連続した発砲音と共に彼の脇を銃弾が掠める。地面に着弾した箇所はたちまち凍り付き、ルシアの行く手を阻むように氷の柱が出現した。



(くそ、こいつ……! 冗談だろ!?)



 行く手に立ち塞がる氷柱ひょうちゅうに眉を顰め、彼は即座に飛び上がった。柱の側面を蹴って別の柱へとしなやかに飛び移り、鋭利な切っ先を避けながら狭い隙間を縫って駆け抜ける。

 なんとか氷柱を切り抜けたルシアだったが、背後から追うウルは更に発砲し、放たれた銃弾は今しがた彼が通過した氷柱を粉砕した。砕けた氷の破片は鋭利な刃と化し、ルシアに向かって乱れ飛ぶ。



(まずい!!)



 焦燥と共に舌を打ち、彼は瞬時に体を人間の姿へと戻した。元に戻った途端、黒い装束のふところに手を突っ込んで小型の爆弾を取り出す。


 刹那、彼は後方に向けてそれを投げ付けた。



 ──バンッ!!



「!」



 たちまち爆発したそれは大きく煙を上げ、爆風を巻き起こす。ルシアへと迫っていた氷の破片は吹き飛ばされ、立ち上る煙と共に彼の姿も見えなくなってしまった。



「……チッ」



 ウルは舌打ちをこぼして足を止め、構えていた拳銃を下ろす。


 やがて煙が薄まり、視界が明瞭さを取り戻した頃──やはり、ルシアの姿はその場から忽然こつぜんと消えてしまっていた。ウルは落胆し、「あーあ……」とつまらなそうに声を発する。



「私とした事が、逃げられてしまいましたねえ……。やっぱり、猫は嫌いです」



 肩を竦め、彼女はくるくると指先で拳銃を回した。程なくして小さく息を吐き出したウルは、回していた銃を掴むと腰元のホルスターに納める。


 そして、その口元がにんまりと不適に笑みを描いた。



「──大方、帝国側から高額で依頼を受けてホイホイやって来た馬鹿な野良猫……って所ですかねえ? まあ何でもいいですけど……次来たら、毛皮を剥いで塩漬けにして、パスタと和えて夕食に並べて差し上げましょうか。切り刻んでミンチにしてミートボールにするのもいいですねえ、うふふ」



 そう呟き、彼女は地面に落ちていた氷の欠片を拾い上げる。そのまま真横にそれを放てば、鋭利な切っ先が太い木の幹にドスッ! と突き刺さった。


 意味ありげに微笑んだウルは「は〜、いい運動した〜」と満足そうに伸びをして、踵を返すと何事もなかったかのように家の方角へと戻って行く。


 一方、たった今ウルによって氷の刃を突き刺された木の真裏では──ガタガタと身を震わせて息を潜めていたルシアが、小さく縮こまって地面に座り込んでしまっていた。


 忙しなく心臓を打ち鳴らし、木の幹に深く突き刺さった氷の刃を一瞥しながら、彼は胸の内だけで思う。


 ──こ、こ、こ……



(怖ええええええ!!!)



 暗殺者の心の底からの絶叫が、声として発せられる事はなかった。




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