第23話 ママになりました

 ウルと「子作り」のやり取りをしてから、数日。


 グリアムは得体の知れないモヤモヤを胸中に抱え、ぼんやりと虚空を見つめていた。収穫した芋を入れたカゴを手に持ったまま、ぼうっと畑の真ん中に立ち尽くす。


 彼の脳裏に浮かぶのは、寝ても醒めてもウルの事ばかり。



(……昨日も、避けられたな……ウルに……)



 はあ、と深く溜息がこぼれた。

 そしてまた、ウルの顔がぼんやりと頭に浮かぶ。


 子作り、する? と、彼女に問われたあの日以来──ウルは、グリアムに密着したり、わざと胸を見せ付けて彼の反応を揶揄からかったりといった事をぱったりとしなくなった。


 とは言え、口や態度は普段通りに毒舌で横暴だし、何かに怒ったり落ち込んだりしているような素振りは全くないのだが──とにかく、彼女からグリアムに触れるという事がなくなったのである。


 もちろん、夜も引っ付いて来ない。

 ベッドに転がる二人の間には数十センチ分の隙間が空き、互いに背を向けたまま眠る日々が続いていた。


 ……きっと、これは良い事だ。グリアムはそう自身に言い聞かせる。ウルの揶揄やゆに対して、無駄な労力を割かずに済むようになったのだから。


 しかし、何故だろうか。


 ここ数日のグリアムはろくに睡眠も取れず、胸の奥に不快なモヤがこびりついたままで、どうにも心が落ち着かない。



(……何だこれ……俺、何かの病気なのか……?)



 はあ、と再び溜息。魔力が強いせいか、これまでやまいわずらった経験などついぞ無いグリアムだが、この気の沈みようは異常だ。もしかすると重い病気なのかもしれない。


 そう考え、芋のカゴを抱えたまま彼は俯いてしまった。すると不意に、背後から「グリちゃん、」と優しい声が呼び掛ける。



「──あ……リザさん……」


「グリちゃん、大丈夫? なんだか、最近少し元気がないんじゃない……?」


「い、いえ……そんな事は……」



 ないです……、と、グリアムは弱々しく紡いで取り繕った笑みを浮かべる。しかし、元々笑うのが苦手な彼の作り笑顔ではリザの目をあざむく事が出来なかった。



「何言ってるの、無理してるでしょう。バレバレよ」


「……う」


「今日はもう大丈夫だから、お家でゆっくりお休みなさいな。随分顔色が悪く見えるわ、ウルティナさんも心配するわよ」


「……」



 その“ウルティナさん”に彼は悩まされているわけだが、『実は、嫁が俺の背中に胸を押し当ててくれなくなったんです』なんて言えるはずもない。彼は目を逸らし、「そうですね……」と返事を返すのが、精一杯だった。




 * * *




 結局あの後、リザから「家に帰って休みなさい!」と強引に畑を追い出されたグリアムは、重い足取りで畦道あぜみちを歩いていた。だが──めっちゃ帰りたくない。


 何故こんなにも帰りたくないのか分からないが、とにかくウルと目を合わせるのが怖くて気が進まない。いや、元々彼女は怖いのだが、それとはまた違う恐怖心が彼の中に渦巻いていた。


 ──もしかしたら、嫌われてるかも、なんて。



(……う……めっちゃ胃が痛い……)



 きゅう、と胃の付近を締め付けられるような痛みがグリアムを襲う。……いや、待て、これ胃痛なのか? 胃というより、もっと奥の方が痛んでいる気がするんだが。


 彼はもはや何度目になるのかも分からない溜息を吐き出し、いよいよマジで病気かもしれない……、と懸念しながらとぼとぼと歩みを進めた。


 しかし、不意にグリアムの耳が鋭く風を切る音を拾い上げた事で、その足は歩みを止める。彼は素早く反応すると片手を上げ、己に向かって飛んできたそれをいとも容易く掴み取った。


 直後、チッ! と忌々しげな舌打ちが耳に届く。



「……くそ……っ、やはり一筋縄には貴様を殺せないようだな、死神……! フン、面白い。それでこそ俺の標的ターゲッ──」


「タオル、いたのか」


「誰がタオルだああ!! 俺は“死を運ぶ黒猫ラモール・ケット”!! タオルケットじゃない!! ナメやがって!!」



 尻尾の毛を逆立て、現れた男──ルシアはグリアムに向かって怒鳴った。対するグリアムはどこか上の空で「あー、うん、そうだっけ?」と適当な返事を返し、先程掴み取ったナイフを彼に返す。「あ、どうも……」とルシアも大人しくそれを受け取った。


 連日、様々な手法で奇襲を仕掛けてくる彼だったが、こうして毎回失敗に終わっている。その度に「覚えてろよ貴様!」とお決まりの台詞を吐き、そのままどこかへ去って行くのがもはや恒例になっているのであった。


 しかし、今日の彼はまだ帰ろうとしない。



「……? まだ何かあるのか?」


「……おい、死神……」


「?」


「貴様……あの女、そろそろどうにかしろ」



 圧のある低音が放たれ、グリアムはぎくりとたじろいだ。あの女、とは、おそらくウルの事だろう。


 ルシアは恨めしげに眉根を寄せ、更に続けた。



「あの女……! 機嫌が悪いからって何もかも俺に当たり散らしやがって……! さっきも貴様の家にトラップを仕掛けようと思って侵入したら、思いっきり撃たれて下半身を氷に埋められて正座したまま鍋の火の番をさせられたんだぞ!!」


(……いや、それ自業自得なんじゃ……)


「しかもその後も、正座したままタルト生地を捏ねさせられたり、野菜を切らされたり、洗濯物を畳まされたり、トイレ掃除させられたり……っ、とにかくあの女は悪魔だ!! アイツの機嫌を直せ早く!!」


(なんかこいつ、知らぬ間にうちの家政婦として完全に利用されてるような……)



 いつの間にか“我が家のお手伝いさん”と化している暗殺者を哀れみつつ、「やっぱりアイツ機嫌悪いのか……」とウルの事を考えてしまい気が重くなる。


 あからさまに落胆しているグリアムを見るルシアは、眉を顰めるとあざけるように鼻を鳴らした。



「……フン、やはりあの女が不機嫌なのは貴様が原因のようだな。浮気でもしたのか? くく、良いご身分だな、世界最強の魔導師様は」


「……は、はあ!? バカ言うな、浮気なんか──」


「あ!! お芋師匠~~!!」



 ルシアに反論しようとしたところでふと、無邪気な声がグリアムの言葉をさえぎる。振り向けば、嬉しそうに破顔したセルバがぶんぶんと手を振って駆け寄って来ていた。


 途端にグリアムは「うわ、面倒なのが増えた……」と頭を抱える。



「畑仕事の帰りですか? 僕もお芋師匠のお宅に遊びに行きたいです!」


「……あー……悪いが、今日はやめとけ。ウルの機嫌悪いみたいだし……」


「えー! でも、今から師匠とタオルとこの子のでお家に帰るんでしょ? ずるいずるい! 僕も行きたい!!」


「誰がタオルだ、このクソガキ!!」



 憤慨するルシアはセルバの首根っこを捕まえるが、「うわあ!! やめろよタオル、ウルティナさんに言い付けるぞー!!」とセルバが暴れた事で彼は歯噛みして言葉を詰まらせた。おいおい、どんだけウルの事が怖いんだコイツ。


 ──いや、そんな事よりも。



「……って、何だ?」



 今しがたセルバの放った言葉を、グリアムは聞き逃さなかった。──“三人”。確かに、彼はそう言ったのだ。今、この場にはルシアとグリアムのしか居なかったというのに。


 問えば、セルバはきょとんと目を丸める。程なくして、グリアムの足元を指さした。



「……え? だって、三人だよ。ほら、も含めたら」


「……?」



 セルバの指差す先を視線で追い、グリアムは自らの足元を見下ろした。


 すると、そこには──まるで雪のように全身が真っ白な、小さい女の子が黙ってその場にたたずんでいて。大きな赤い瞳が、じっとグリアムの顔を見上げている。



「……、へ?」



 思わず素っ頓狂な声が飛び出し、グリアムは彼女を凝視した。──自分と同じ、白銀の髪と真っ白な肌。ぴょこんと生えている耳や尻尾はさながら兎のようで、どうやら獣人族セリアンらしいという事は見て取れる。


 だが、もちろん面識など無い。

 グリアムは戸惑いながらも、見ず知らずの幼女に向かってとりあえず口を開いた。



「……え、えと……? 君、誰……? もしかして、迷子とかそういうやつ──」


「ママ!」


「……です……か……」



 …………、は?


 突然の「ママ」呼びにグリアムは困惑し、思わず言葉を飲む。すると兎耳幼女の表情がパアッと明るくほころび、彼の足にしがみついた。



「……え!? え!?」


「ママ! ママ~!」


「え!? ちょ、何、……ってか、パパじゃなくて!?」


「まーま!」



 むぎゅう、と幼女は足にしがみついたまま嬉しそうに「ママ! ママ!」と繰り返す。混乱状態に陥ったグリアムは、助けを求めようとルシアとセルバに視線を向けるが──ルシアは若干引いた表情で、グリアムの事を見つめていた。



「……え……隠し子……?」


「違うッ!!!」



 ぼそりと呟かれたルシアの言葉を全力で否定する。しかしその間も幼女は嬉しそうにグリアムの足に擦り寄るばかりで、「ママ~!」と頬ずりしていた。


 この訳の分からない状況に、グリアムは一人混乱する。



(……え? お、俺……、いつからママになったの!?)



 いつの間にかママになってしまった彼は、冷たい視線を向けるルシアと頬ずりする幼女に挟まれ、ただただ困惑する事しか出来なかった。




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