第24話 vs 不機嫌嫁

 頭上を仰げば、空模様はイマイチだった。

 灰色の雲の裏に太陽は隠れ、徐々に風も強くなって来ている。そろそろ雨が降って来るのかもしれない。


 そんな曇天どんてん模様の空の下、グリアムは現在の状況に深い溜息を吐き出した。……うん。一体、何がどうなって、こんな事になったんだ?



「まーま! ぎゅー!」



 ふわふわと揺れる白銀の髪。無邪気に破顔してグリアムにしがみつく小さな体。彼を「ママ」と呼ぶ見知らぬ幼女を抱いて歩くグリアムは、背後から向けられる視線に耐え兼ねてとうとう俯く。


 彼にじとりと冷たい視線を送っているルシアは、やがて呆れたように声を発した。



「……死神よ。貴様、まさか浮気どころか隠し子までいるとは……そりゃ嫁も機嫌悪くなるだろ。悪いが俺はフォローしきれんぞ」


「だから隠し子じゃない……」


「ねー、お芋師匠。カクシゴってなに?」


「お前は知らなくていい……」


「えー!」



 不服げな声を上げるセルバを無視し、グリアムは腕の中で幸せそうに微笑んでいる幼女を見下ろした。兎耳に、丸っこい尻尾──という事は、兎獣人ラヴィアンの子供だろう。見る限りでは、まだ五、六歳のようだ。


 そんな兎耳幼女を見つめ、ルシアは鼻を鳴らす。



「……フン、兎獣人ラヴィアンか。器量の良さ故に娼館で働いている事が多いと聞く種族だが……なるほど、つまり貴様は娼婦と……、へえ~」


「違うわァ!! 俺はそんな店行った事ない!!」


「ハッ、説得力ないな」



 嘲笑し、ルシアは一人だけ道を逸れる。どうやらグリアムの家までついて来るつもりはないらしい。先程まで彼はウルにこき使われていたようだから、当然と言えば当然なのだが。



「フン、まあいい。せいぜい無様に土下座でもして、嫁に許しを乞うんだな」


「……許しを乞うも何も、そもそも隠し子じゃないって」


「あの女、今最高潮に機嫌悪いぞ。うっかり殺されないように気を付けろ、貴様は俺が殺すんだからな」



 くく、と喉を鳴らしてそれだけを言い残し、彼は猫のようにしなやかな動きでどこかへと消えて行った。神出鬼没な奴だな、とグリアムは嘆息する。


 そうこうしているうちに、セルバとグリアムは幼女を連れたまま自宅の前まで戻って来てしまっていて。



「……」


「……? どうしたの、お芋師匠。入らないんですか?」


「……いや……」



 つい足を止めてしまったグリアムに、セルバが不思議そうな表情で振り返る。グリアムは地面を見つめ、下唇を噛んだ。



(……やばい……。この子、全然離れないから流れでそのまま連れて来たが……よく考えたら、これって誘拐なのでは……)



 じわり。嫌な汗がてのひらに滲む。グリアムは腕の中でうとうとと微睡まどろんでいる幼女を一瞥し、どうするべきかと頭を悩ませた。かと言って、元の場所に置いて来る訳にもいかない。


 そもそも、ウルに何て説明したらいいんだ。そう考えて彼は脳内でシミュレーションを始める。


『あっ、ウル! ちょっと聞いて聞いて! なんかさ~、気が付いたら幼女がついて来ちゃって~。俺、いつの間にかママになってた! どうしよ~!』


 と、そこまでシミュレーションを進めたところでグリアムは頭を抱えた。……いやいや、さすがに頭悪すぎるだろ。


 しかしぐるぐると思い悩むグリアムを無視して、いつの間にかセルバが勝手に家の戸を開けてしまっていた。ぎく、とグリアムは目を見張る。



「あっ……! おいバカ!!」


「お邪魔しまーす!」



 元気に声を発し、セルバはずんずんと家の中に入って行く。すると、ソファに座って読書をしていたらしいウルが分厚い本を閉じて微笑んだ。グリアムはたじろぎ、目を逸らしてしまう。



「あら、セルバくんいらっしゃい。……ああ、ついでにあなたも、お帰りなさ──」



 ウルはいつも通りに笑顔で二人を出迎えたものの、グリアムの胸に抱かれている子供を見ると途端に言葉を詰まらせた。その青い双眸そうぼうが僅かに見開かれ、彼女はグリアムに抱かれている幼女を黙って見つめる。



「……」


「……」



 流れる沈黙。

 そのまま暫く口を噤んでいたウルだったが──ややあって、彼女は冷静に口を開いた。



「……その子は?」


「……あ……そ、その……」



 思いのほか静かに問い掛けられ、グリアムは息を呑む。ウルの碧眼はじっと腕の中の幼女を見つめていた。その表情に笑顔は無く、グリアムは冷や汗が止まらない。



(……い、いや、何を焦ってるんだ俺は……! 何もやましい事なんてないだろ……? この子も勝手について来ただけで、俺とは何の関係もない。それを伝えればいいだけじゃないか)



 彼は脳内でそう言い聞かせ、密やかに深呼吸をする。そしてようやく、グリアムは覚悟を決め、口を開いた。



「……あの、ウル、この子は──」


「お芋師匠の“カクシゴ”なんだって!」


(テメェ何言ってんだセルバアアア!!!)



 無邪気にとんでもない事を言い放ったセルバの口を即座に塞ぐ。「モゴォ!?」とくぐもった声を発した彼を睨みつつ、その後恐る恐るとウルに視線を向ければ──彼女は、ぱちりと目を見開いてグリアムを見つめていた。



「……」


「……あ、あの、ウル……違……」


「……へえ~。あなた、隠し子なんか居たんですか。可愛い女の子ですね」



 にこっ。


 やがて、ウルの表情には笑顔が戻る。案外すんなりとこの状況を飲み込んだ彼女に、拍子抜けしたグリアムはつい言葉を飲み込んでしまった。


 何も言えないまま固まっていると、「そろそろ三時ですし、おやつにしましょうか」と彼女はソファから腰を上げる。グリアムの手の力が緩んだ隙にセルバは拘束を脱し、「わーい、おやつ!」とテーブルに駆け寄って行った。



「……」


「お芋師匠~! 僕の隣に座って!」


「……あ、ああ……」



 グリアムはふと我に返り、幼女を抱いたままテーブルに近寄るとセルバの隣の椅子に腰を下ろした。「セルバくん、ホットミルクでいい?」と問うウルの声に、「はい!」と彼は元気よく答えている。


 キッチンで鍋に火をかける彼女に時折ちらりと視線を向けつつ、グリアムは落ち着かない様子で目を泳がせた。



(……? い、いつも通り、だよな……)



 先程ルシアから「あの女、今最高潮に機嫌悪いぞ」と脅されていただけに、おそらく発砲されるだろうと覚悟していたのだが──思ったよりも普通である。



(怒らないのか……? いや、ウルは頭が良いし、状況判断能力も高い。童貞の俺に隠し子なんているはずがないって事をすぐに見抜いたのか)



 そう結論を出し、ほっ、とグリアムは胸を撫で下ろした。無垢に爆弾発言を放ったセルバは気に入らないが、まあ、ウルが怒っていないようだから今回は不問にしてやろう。



(……はあ、ヒヤヒヤさせやがって……。とりあえず、ウルがいつも通りで良かった。あとは、この迷子の女の子を本当の母親のところに返してやらないといけないが……)



 と、グリアムがそこまで思い至ったところで、ウルがトレイにカップとタルトを乗せて彼らの元へ戻って来た。先程──ルシアに無理矢理手伝わせて──焼いたらしいタルトタタンが、美味しそうな甘い香りを立てている。



「アプロルをたくさん頂いたので、タルトタタンにしてみたんです。良かったら食べてくださいね~。コーヒーにもミルクにも合いますよ」


「わー! 美味しそう!」


「はい、セルバくんはホットミルク。そこの可愛いも、ミルクで良かったかしら~」


「……」



 グリアムと目を合わせる事無く、ウルは小さなマグカップに入ったミルクをテーブルに置く。膝の上に乗った幼女はきょとんと目を丸め、それを見つめた。


 ……いや、それよりも。



(……あれ? なんか、今……『隠し子さん』って言い方が、ちょっと刺々とげとげしく感じたような……)



 じわり。手の中に汗が滲み、嫌な予感が胸に満ちる。恐る恐ると彼女を見上げるが、やはり目は合わない。


 タルトタタンを丁寧に切り分け、ウルは皿に乗せたそれをセルバと幼女と自分の前に置く。


 そして最後にようやく、彼女はグリアムの分のタルトを切り分け、小皿に取り分けるとティーカップと共に彼の目の前にそれを置いた。



 ──の入ったティーカップと、タルトのが乗せられた、小皿を。



「……」


「……」


「……」


「……あら? お気に召しません?」



 にこり。目の前の嫁が愛らしい笑顔を浮かべて小首を傾げる。そんな彼女からグリアムはおろか、セルバまでもが顔を青ざめて即座に目を逸らした。


 すずめの涙ほどの分量しかないタルトの切れ端が乗った小皿を見下ろし、だらだらと冷や汗を流して、グリアムは思う。


 ……いや、これ……、



(絶対怒ってるじゃんんん!!!)



 途端に、重たい緊張感に包まれる食卓。


 そんな中、彼の膝の上に乗ってミルクを飲んでいる幼女だけが、口元に出来た白い髭を満足げに舐め取っていた。




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