第25話 誰かと幼女と暗雲

 重い空気の中、“三時のおやつ”の時間は刻々と進んだ。ウルはニコニコと笑顔を浮かべてコーヒーを飲み、その向かい側でグリアムはティーカップに入ったに震えながら口を付ける。


 ただならぬ空気感に表情を引きらせたセルバは、早々にタルトタタンを食べ終わると「ぼ、僕、用事思い出しちゃった~……」とよそよそしい言葉を残して逃げ帰って行った。


 その一方で、静かな怒りを放出するウルや逃げ帰ったセルバの様子など気にも留めない膝の上の幼女は、「うーまー」と満足げに微笑んでタルトを口に運んでいる。



「……さて、師団長」



 ふと、発せられた言葉にグリアムはの心臓はドキィッ! と跳ね上がった。錆び付いた動きでぎこちなく顔を上げれば、やはり微笑むウルの顔が視界に入る。



「一応、聞きますけど」


「……は、はい……」


「一体どこの娼婦メスブタとの子供です? それ」



 くい、と笑顔のまま顎をしゃくり、ウルは幼女に視線を向けた。笑ってはいるが、彼女の瞳の奥には明らかな「怒り」の感情が見て取れる。グリアムは顔を青ざめ、ウルに向かってぶんぶんと首を振った。



「う、ウル! 聞いてくれ、本当に違うんだ! この子、さっきその辺で偶然出会っただけの、ただの迷子で……」


「ママー! ぎゅーっ!」


「……あらあら~。さっき出会ったばかりの迷子にしては、随分と懐かれてるんですね~? マ~マ?」



 首を傾げて微笑むウルの恐ろしい眼光に、グリアムは思わず息を呑んだ。全身の毛穴からドッと冷や汗が噴き出し、つい言葉を詰まらせてしまう。


 しかし、ここで言い負かされる訳にはいかない。何としてでも誤解を解かなくては……! と彼は奮起し、身を乗り出した。



「ほ、本当だ……! 信じてくれウル、本当に俺の子じゃない!」


「……」


「俺は……っ、俺はまだっ──童貞なんだッ!! 頼む、信じてくれ……!!」


「……あなた、いきなり何の告白してるんです?」



 彼の心底どうでもいい告白を聞きながら、ウルは呆れたように嘆息する。確かに俺は一体何をカミングアウトをしているのだろうかと今更羞恥心に苛まれて後悔するグリアムだったが、やがて「まあ、分かってましたけど」と呟いた彼女の声によって彼はパッと顔を上げた。



「……へ? 分かってた、って……?」


「ただでさえ童貞こじらせすぎてる師団長が、娼婦を買う度胸なんかあるわけないって事ぐらい最初から分かってます」


「……あれ、何でだろう、誤解が解けたはずなのに全然嬉しくない」



 歯に衣着せぬ物言いでズバズバと言い放つウルの言葉がグリアムの心に穴を穿うがつ。落胆する彼の膝の上では幼女がきょとんと瞳を瞬き、「マーマ?」と首を傾げていた。


 ウルは溜息混じりに立ち上がり、窓際へと歩み寄りながら再び口を開く。



「……ま、師団長の事なら大抵分かりますよ、長い付き合いですし。どうせその子供に勝手に懐かれて、突き放せずに連れ帰って来たんでしょう? やだ〜立派な誘拐犯じゃないですか〜怖〜い」


「や、やっぱり誘拐か!? これ!」


「誘拐でしょうね、このロリコン野郎」


「……お前、やっぱちょっと怒ってない?」



 辛辣な言葉を投げかけるウルに恐る恐ると問いかけるが、彼女は「別に〜?」と窓の外へと視線を向けた。その碧眼を細め、ウルは黙ったまま何かを見つめている。



「……? ウル、さっきから何を見てるんだ?」



 急に黙り込んだ彼女に問えば、ウルはすぐさま笑顔を浮かべて振り返った。



「……いいえ〜、何も〜。ちょーっと目障りな虫が見えたもので……そんな事より師団長、その子、私が村に返して来ますね。というわけで渡して下さい」


「……えっ?」


「迷子なんでしょう? 自警団の方々に預けた方がいいですよ〜。でも男の師団長が幼い女の子を連れて歩くのは、いかにも誘拐っぽいので……面倒ですが私が連れて行きます。さ、渡してください」



 にこりと優しげに微笑み、ウルは手を差し出す。


 面倒事を率先してウルが請け負うなんて珍しいな……、とややいぶかるグリアムだったが、もっともらしい言葉を並べ立てた彼女の言い分は的を射ていた。確かに、彼が幼女を連れ歩くよりはウルが連れて行った方が安全だろう。グリアムは納得し、「ああ……」と頷いて幼女を抱き上げた。


 しかし、いざ彼女に任せようとしたところで、それまで大人しかった幼女が突如身をよじって暴れ出す。



「うー! やあー!!」


「うわ……!? ちょ、あ、暴れるなって。大丈夫、怖くないから……本当のママのところに帰れるんだぞ?」


「やーあー! ママー!」


「いや、だから俺はママじゃな……」


「やーー!!」



 じたばたと暴れ、幼女はグリアムにしがみついた。

 どうやら完全に彼を母親だと思い込んでいるらしく、ぐずぐずと愚図る彼女はグリアムの胸から一向に離れようとしない。一方、しがみつかれた彼はオロオロと視線を泳がせるばかりだった。



「……う、ウル……! これ、どうしたら……!」


「……」


「あ、そうだ……俺も村までついて行こうか? そうすればこの子も泣かないし──」


「ダメです」



 かれと思って提案した彼だったが、その案はウルに冷たく一蹴されてしまう。あまりの即答ぶりに言葉を詰まらせたグリアムは、やがて眉を顰めると怪訝な表情で彼女の顔を見つめた。



「……ウル?」


「……」



 ウルは口を閉ざし、黙ってグリアムの腕の中にいる幼女を見下ろす。徐々に冷たく張り詰めた空気がその場に満ち、僅かな殺気すら感じる彼女の視線に──彼は、ようやく違和感を覚えた。


 眉間に深い皺を刻むグリアムの目の前で、ウルは静かな声を発する。



「──なるほど。思ったよりもかしこいのね」


「……は?」


「てっきり脳までに成り下がっているものだと思っていたけれど……誤算だったわ」



 不可解な発言を続けるウルは腰元のホルスターからおもむろに拳銃を抜き取り、直後、グリアムに向かってまっすぐと銃口を向けた。──否、正確には、に向かって。


 グリアムは目を見開き、咄嗟に幼女を抱き込んで隠す。



「……え!? お、おい、何してるんだよ!?」


「師団長、そのガキから離れて下さい」


「は!?」


「あら、まだ気付いてないんですか? 相変わらずポンコツですねえ、師団長ったら。……あなたの抱えてる、その子──」



 カチリと構えた拳銃の奥で、ウルの碧眼へきがんが細められる。冷たい彼女の視線の先、対照的な幼女のくれない双眸そうぼうが、ゆっくりと持ち上がった。



「──魔獣ヴォルケラですよ」




 * * *




「あはは、やっぱりバレちゃった。さすが“蠍の女王クイン・スコルピオ”」



 高い木の幹に寄りかかり、黒い外套がいとうに身を包む男がにんまりと口角を上げる。彼──アンデルムは、一連のやり取りを木の上から楽しげに傍観していたのであった。


 その視線の先で幼女に銃口を向けているウルは、未だ大人しい魔獣ヴォルケラの動向を警戒しながらも一瞬窓の外へとその目を向ける。おそらく自分アンデルムの存在にも勘付いているのだろうと、彼は更に口角を上げた。



「へえ〜。どこまで知ってるのかなあ、優秀な毒サソリちゃん。ぜーんぶ知ってたりして。少なくとも僕の正体ぐらいは気付いてるかな〜……、って事は、」



 ──彼がなのかも、もちろん知ってるんだろうねぇ。


 くすりと笑い、フードの奥に隠れた瞳の中にグリアムの姿を映す。よく知ったその顔は焦りの表情を色濃く浮かべており、「さーて、どうするのかなあ死神は」と彼は頬を緩めた。



「ま、どうにしろ、邪魔者には消えてもらわないとね」



 にた、といびつに弧を描く口元。

 暗い雲が垂れ込める空からは、ぽつぽつと小雨が降り始めていた。




 .

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る