第26話 嫁着火ファイヤー

 幼い子兎に銃口を突き付け、数秒。

 ウルは黙ったまま、冷たい瞳で彼女を睨んでいる。グリアムは腕の中の幼女を庇うように抱き締め、困惑した表情でウルに口を開いた。



「ま、待て、ウル……! 一旦銃をしまえ! この子のどこが魔獣ヴォルケラなんだ!? 一度説明しろ!」


「……説明しているような時間はありません。さっさとそのガキを離して下さい」


「離したら、どうするんだよ……!」


「射殺します」



 ウルは一切動じずに言い放つ。グリアムは息を呑み、腕の中の幼い子供を更に抱き込んだ。



「……っお前……! 少し落ち着け! この子が魔獣ヴォルケラなわけないだろ! 俺も長い事アイツらを討伐して来たんだ、気配ぐらい分かる! この子からは魔獣ヴォルケラの気配なんかしない! 普通の子供だ!」


「今は隠しているだけです。近々暴走します」


「何を根拠に言ってるんだよ!?」


「……」



 ウルは目を細め、一瞬視線を逸らした。しかしすぐに幼女へと視線を戻し、構えた銃の向こうで淡々と声を紡ぐ。



「……あなたが知る必要はありません」


「……は……!?」


「とにかく、その子から離れて下さい。師団長ごと撃ちますよ」



 ウルは冷酷に告げ、引き金に手をかける。グリアムは眉間に皺を深く刻み、彼女を正面から睨み付けた。腕の中の幼女は「ままぁ……」と不安げに声を発している。


 やがて、彼はウルに向かって口を開いた。



「……撃つなら撃てよ」


「……」



 ウルは黙り込み、静かに睨むグリアムの琥珀の瞳を見つめる。ややあって、彼女は「そうですか」と微笑んだ。



「──それじゃ、遠慮なく」



 刹那、引き金トリガーを引いたウルが連続して発砲する。グリアムは冷静にその魔弾を見定め、軽やかに飛び退くとすぐさま詠唱を紡いだ。



「“炎よ我が声に応えよFlamma-voz-àna”──」



 かざしたてのひらの先に薄紅色の淡い光が宿る。腕の中の幼女は、その光にぴくりと反応した。



「──“紅蓮に燃ゆる灼熱の雨で敵を討てCalor-kırmızı-pluvia”!」



 グリアムの詠唱が終わった瞬間、翳した手から大量の“炎の矢”が放たれる。


 燃え盛りながら飛び込んで来るやじりに目を細めたウルは腰元のホルスターからもう一丁の拳銃を冷静に抜き取り、両手で銃把じゅうはを握り込んだ。


 そして彼女もまた口火を切る。



「“魔弾・白百合Fritillaria-Lilium──六花Lumihiutale”」



 紡がれた詠唱の後、ウルは二丁の拳銃の引き金を同時に引いた。銃声が響き、白百合の花を彷彿とさせる筒状の氷の結晶が彼女の身を守るように大きく花開く。


 それは降り注ぐ炎の矢を受け止め、絶対零度の氷の花弁にそのやじりが触れた瞬間、燃え盛っていた灼熱の炎は一瞬で凍り付いてしまった。更にウルは発砲し、矢を受け止めた氷の白百合を粉砕する。



「……を、しましょうか」



 くすりとウルが笑った直後、粉砕した氷の破片はグリアムに向かって放たれた。鋭利な尖端は彼を捉え、さながら豪雨のように襲い掛かる。


 グリアムは幼女を抱き込んだまま床を蹴り、同じく炎の矢を放って迎撃した。窓は割れ、グラスや食器が次々と床に散らばって砕け散る。


 戦場と化してしまった家の中、彼は焦る事もせず、銃を構えるウルを見つめていた。同じくこちらに視線を向けている冷たい碧眼へきがんは、“世界最強”を前にしたとて決して揺らぐ事は無い。


 グリアムは小さく息を吐き、言葉を発した。



「……やめておけ、ウル」


「……」


「お前じゃ、俺には勝てない」



 床に散らばる硝子片がらすへんを踏み砕き、グリアムは彼女に向かって静かに語り掛ける。対するウルは微笑みを浮かべ、愛らしく小首を傾げた。



「……あら、それはどうでしょうね? そのガキを庇ったまま私を相手取るのは、結構骨が折れると思いますけど」


「……」


「過信は身を滅ぼしますよ、師団長。ご自身の状況をよく考えてから、場を見極めて発言するべき──」



 と、そう彼女が続けた時。正面に居たはずのグリアムの姿は、一瞬でその姿を消した。


 ウルは途端に目を見張り──直後、真後ろに感じた気配に背筋を冷やす。



じゃない」



 背後から耳に届く声。ウルは即座に身をひるがえしたが、既に遅かった。



「──だ」


「うっ……!」



 ガッ、と強い力で腕を捻り上げられ、ウルは拳銃を取り落とした。グリアムはそれを蹴り飛ばし、護身用に携えていたナイフを素早く抜き取ると彼女の喉元に切っ先を突き付ける。


 ウルは苦く表情を歪め、彼を睨んだ。グリアムは冷静に彼女を見下ろし、更に言葉を紡ぐ。



「……ウル。お前は十分強い。自信を持っていい。……だが、お前こそ自分の力を過信するな。同期の中では魔力も高くて強い方だろうが、相手との力量差は見極めろ」


「……っ」


「俺はお前の上司だ。お前がいくら強くても、力で俺に勝る事は無い。……これが、師団長である俺と、補佐であるお前との差だ」



 グリアムは静かに言い聞かせ、ウルの手を解放する。彼女は暫し黙り込み、やがて「芋も一人で洗えないくせに、よく言いますね……」と皮肉をこぼした。


 うるせーそれはそれだろ、と眉根を寄せるグリアムだったが、乱れた髪や服を整えるウルが再び襲い掛かる気配はない。

 ふー、と深く息を吐き出した彼女は髪紐を解き、ばさりと広がった長い髪を一つに束ねると、高い位置で結い直しながら口を開く。



「……知りませんよ、どうなっても」


「……ウル。まずは具体的な根拠をはっきり説明しろ。何をどう思って、あの子が魔獣ヴォルケラだと断定したんだ?」


「それは師団長が知らなくてもいい事です」


「……そんな事あるわけないだろ。お前は憶測だけで物事を判断して動くほど馬鹿じゃない。何か根拠があるんだろ、言え」


「ですから、師団長は知らなくても──」



 と、やや語気を強めたウルが口を開いた頃。彼女は何かに気が付き、一瞬言葉を詰まらせた。


 程なくして、「師団長、」とウルは再び口火を切る。



「……ん?」


「あのガキはどこにやったんです」


「……え、ああ……。巻き込まないように、さっきそこのベッドに降ろして──」


「居ませんけど」



 淡々と告げるウルの言葉に、え、とグリアムは振り返った。すると彼女の言う通り、ベッドに幼女の姿がない。



「……え、あれ!? 嘘だろ、一体どこに……! だってあの子裸足だったし、こんな硝子片が散乱した床の上を移動出来るわけ……」



 焦ったようにグリアムがそう続けた直後──ふと、ウルは鋭い殺気を感じ取った。



「っ、師団長、飛んで!」


「えっ」



 彼女は声を張り上げ、グリアムの体を抱くと即座にその場から飛び退く。刹那、二人のいた場所には鋭い爪が振り下ろされた。それを寸前でかわし、ウルはグリアムの上に覆い被さるような形で二人まとめてベッドへと倒れ込む。


 突然の事態に驚く彼だったが──それ以上に、混乱してしまっていた。


 と、言うのも。

 彼の体に覆い被さったウルの胸が、思いっきり顔面に押し当てられているからで。



(おっ、おおお、おっぱぁぁぁ!!?)



 ぼふんっ、とグリアムの顔が一気に紅潮する。


 柔らかく、程よい弾力のあるその二つの膨らみ。ふわりと香る彼女の匂い。あ、おっぱいだ、と理解したグリアムの脳が歓喜で満たされる。


 久しぶりだ。久しぶりすぎるぞ、この感触。


 あまりに久方振り過ぎて、その香りと柔らかさにグリアムはいたく感激してしまったのであった。最近ずっと避けられてたからなあ……、とつい目頭が熱くなる。やばい、めっちゃ嬉しい。めっちゃ久しぶりにウルの胸が押し当てられてる。


 そう考えながら一人感動するグリアムを差し置いて、ウルは後方を睨み付けると舌打ちを放った。



「……チッ、やっぱり暴走してる……。本当は覚醒する前に片付けたかったんですが、仕方ありませんね」


「……」


「師団長、やりますよ」



 じんわりとウルの胸の感触に浸っていたグリアムだったが、彼女が離れた事でふと我に返る。「あ、ああ……」としどろもどろに返事を返して上体を持ち上げれば──彼らの正面で四つん這いになったまま「ゥー……」と低く唸って牙を剥く、幼い兎獣人ラヴィアンの真っ赤な双眸と視線が交わった。


 彼女は牙を剥き出し、血走った眼球をぎょろりと動かして、威嚇するように二人を睨んでいる。幼い獣の額には、くっきりとレイノワール帝国の紋章が浮かんでいた。その紋章が、彼女が帝国に造られた魔獣ヴォルケラである事を明確に証明している。


 グリアムは息を呑み、声を詰まらせた。



(……そんな……、獣人セリアンが、魔獣ヴォルケラに……!?)



 聞いた事も無い現象に、グリアムは目を見開いて硬直する。まるで獣のように唸り、四つ足で威嚇する獣人セリアン。それは先程の幼女と同一人物で間違いない。


 現在の彼女の放つ殺気は、彼らが普段討伐している“魔獣ヴォルケラ”の気配と非常に酷似していた。禍々しい魔力によって造られ、自我を無くした人造兵器の、哀しき末路を思い出す。



「……っ」


「……ほら。だから言ったでしょう? 師団長。あの子は魔獣ヴォルケラだって」



 ウルはグリアムに語り掛け、彼の前に立ちはだかった。次いで彼女は口角を上げ、威嚇する幼女を冷たく見下ろす。



「さて、と。敵だと断定出来たところで、あとは討伐するだけです。ま、旦那の隠し子が相手なら、例え子供だとしても遠慮なくボコっていいですよね~、うふふ♡」


「……おい、だから隠し子じゃな……」


「ほーら、早く飛び込んでらっしゃい、クソガキ」



 ウルは髪を掻き上げ、グリアムの言葉も無視して、細めた碧眼に魔獣ヴォルケラの姿を映した。


 口元からよだれを滴らせ、牙を剥く小さな兎が唸り声と共に彼女を睨む中──ウルは、愛らしく微笑みを浮かべる。



「師団長は、私が守ります」



 そう宣言し、敵意を向ける魔獣ヴォルケラを、彼女は迎え撃った。




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