第22話 vs 据え膳

 子作り、する?


 耳元でそんな言葉を放たれて、数秒。グリアムは硬直したまま、何の言葉も返す事が出来ずにいた。

 ベッドの上で密着する身体が熱い。どくどくと忙しなく動き続ける心臓の速度は増すばかりで、行き場のない手が宙を彷徨さまよう。


 ──こづくり……、こづくり。


 その言葉が脳内を駆け巡り、グリアムの頬は急速に熱を帯びて紅潮した。え? これってアレだよね? 今、アレだよね? 勘違いじゃないよね?



(……俺、今コイツに、『私はぜんですよ~♡』って、言われてんだよね? コレ)



 グリアムはカラカラに渇いてしまいそうなほど見開いた目を瞬く事すらままならぬまま、静かに生唾を飲んで冷や汗を浮かべる。いや、困った。困ったぞこれ。一体どうしたらいいんだ。


 ──据え膳ならば食すべし。


 内なる自分がそう囁く。


 ──おい何言ってるんだ! 据え膳とは言え、そいつはウルだぞ! 毒入りのお膳に決まってるじゃないか!


 しかし間髪入れずにもう一人の自分が反論した。

 グリアムは行き場をなくしていた手を握り込み、自身に強く言い聞かせる。



(そ、そうだ、こいつはウルだぞ……! 目を覚ませ俺! 所詮、こいつはヘドロ……! 全然可愛げなんかないし、今もきっと、ただ俺を揶揄からかってるだけ──)



 そう心の中だけで考え込んでいると、不意にウルの手がきゅっとグリアムの衣服を握り締めた。どきりと心臓が跳ね上がったその刹那、耳元で吐息混じりの小さな声が囁く。



「……グリアムくん……」


「……っ」


「……何も、しないの?」


(んんんんんあああああ可愛くない可愛くない!! こんな奴全ッッ然可愛くないから本当に!!)



 歯を食いしばり、グリアムは脳内で絶叫した。今にも誘惑に負けそうな己の心を制し、「これは罠、これは罠だ……!」とひたすら頭の中で繰り返す。


 いや、だって、どう考えても罠だろ。そうに違いない。

 暗いし、密着してるせいでウルの顔は全く見えないが、この女の事だ。今の状況を楽しんで、こちらの反応を見ながらほくそ笑んでいるに決まっている。



(……くそ、こいつ……! いつもと手法を変えて来やがって……! そっちがその気なら、こっちも反撃してやる……!)



 様々な憶測を並べ立てるうちに謎の闘志に火がついてしまったグリアムは、ウルの肩を掴むと密着している身体を強引に引き剥がした。ひゅ、と息を呑む音が耳に届いた直後、彼はベッドの上に彼女を押し付けて馬乗りになる。両手を掴んで四肢の自由を奪えば、いくらこの鬼嫁であろうと反撃は出来まい。



「……っ」



 息を詰まらせ、ウルの視線が僅かに上向うわむく。徐々に暗闇に慣れてきた視界。ウルの顔をぼんやりと捉えているが、やはり鮮明には見えない。ただ、大きく見開かれた双眸と視線が交わった事だけは分かった。


 何も声を発さない彼女の様子に、「ふっふっふ、驚いてるな。ざまあみろ」とグリアムは内心だけでほくそ笑んで口を開く。



「……いい加減にしろよ、ウル。いつも俺をおちょくりやがって」


「……」


「こうやって捕まえたら、もう抵抗出来ないだろ。今夜は俺の勝ちだな」



 ふっ、と渇いた笑みをこぼして彼は顔を離す。程なくして彼女の腕を解放し、満足げな表情のグリアムはそのままウルの上から退しりぞこうとしたが──突如、彼女の腕がするりとグリアムの首に絡み付いた事でその動きは止まった。



「……っ、うわ……!? 何っ……」


「……しないの……?」


「……、は?」


「……子作り」



 ぎく、とグリアムの心が揺らぐ。しかしすぐにかぶりを振り、脳内に蔓延はびこる煩悩を散らした。いかんいかん、騙されるな! これは罠だ、ただの演技だ! 同調した途端に嘲笑されるのが目に見える!


 グリアムは自らに言い聞かせ、努めて冷静に、悠然と彼女を見下ろす。



「……お前、まだ俺を揶揄からかうつもりか? 冗談言ってないで、早く寝ろよ」


「……!」



 突き放すように告げ、グリアムはウルの手をやんわりと剥がした。彼女は僅かに目を見開いたように見えたが、特に何も言わず、ややあってその手を大人しく引っ込める。



「……」


「……ほら、もう少しこっち側に寄って寝ろ。落ちるぞ、ベッドから」


「……」


「……ウル?」



 返事のない彼女に呼び掛け、訝しげに眉を顰めた。「……どうした? 大丈夫か?」と続けて問えば、ウルはそっと顔を上げる。


 暗闇の中、にこりといつも通りの笑顔を浮かべているのが、かろうじて確認出来た。



「……やだ~、全然大丈夫です~。しつこく揶揄からかってすみません、師団長。童貞の反応が面白かったもので、つい楽しくなっちゃって~」


「……、お前……」


「うふふ、もしかして本気にしちゃいました? 子作りなんて、本当にそんな事するわけないじゃないですか~。だって私たち、仮の夫婦なんですよ? 師団長ったら妄想力豊かなんですね、気持ち悪~い」


「……」



 あっけらかんと言い放ったウルに、グリアムは呆れる。はあ、と深い溜息を吐き出し、彼は彼女に背を向けると再び毛布に潜り込んだ。全く、バカにするのもいい加減にしろよコイツ。



「……さっさと寝ろ、おやすみ」



 そう一言呟いて、目を閉じたグリアムだったが──ふと、背中に細い指先が押し当てられる。そのまま彼の背をなぞるように動き出したそれに、グリアムはビクッと肩を震わせた。



「……っ、おい、ウル!?」



 呼び掛けるが、反応はない。しかし指先は動き続ける。背中をなぞる感覚に眉を顰める彼だったが、やがて彼女が何かの「文字」を書いているのだと察した。



(……? そういえば、この前膝の上に乗って来た時も、背中に何か書いてたよな……こいつ……)



 黙り込み、指先が記す文字を頭の中で思い描く。ゆっくりと動くそれが、彼の背中に残した言葉は──



『ば』


『か』



(──いや普通に悪口かい!!)



 グリアムは眉間に深く皺を刻み、恨めしげに振り返った。



「……誰がバカだ、このアホ」



 我ながらセンスのない悪口だと思いながらもウルに告げれば、触れていた指先が離れる。暗闇の中、僅かに確認出来る彼女の表情は、いつも通りの笑みを描いていた。



「──おやすみなさい、師団長」



 暫しの沈黙の後、ただ一言。

 いつも通りの言葉を口にして。


 ウルは背を向け、毛布を引き上げると──そのまま、何も言わなくなった。


 いささか間を置いて、グリアムもまたゆっくりと彼女に背を向ける。二人の間に出来たほんの何十センチかの距離が、随分と遠く感じた。



(……あれ……やっぱり、くっ付いて来ない……)



 静寂に包まれる中、グリアムは視線を泳がせる。しかしやはり、いくら待っても、いつも感じていたはずの温もりが背中に触れる事は無かった。


 今日はもう、散々揶揄からかって満足したのだろうか。



(……なんだ、満足してくれたのなら好都合だな。これで、今夜はよく眠れる……)



 そう考え、瞼を閉じる。


 だが、不思議と心がざわついてしまい、なかなか寝付く事が出来ない。ようやく訪れた安息だというのに、空いた背中が酷く寒く感じた。


 ──はやく、寝ろよ、俺。


 自身に言い聞かせ、固く目を閉じる。



 結局その晩、グリアムは、何故だかほとんど眠る事が出来なかった。




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