第21話 子作り、する?

 ウルの淹れたコーヒーを飲みながら他愛のない話をして、リザは昼前には自宅へと戻って行った。グリアムに付き纏うセルバは結局夕方頃まで居座っていたが、日が落ちる前になって「そろそろ晩御飯だから!」とだけ言い残し、彼もまた家路につく。


 氷が溶けるまで正座させられていたルシアに至っては、日がとっぷりと暮れ落ちた頃にようやく解放されたのか、「くそォ……覚えていろ、グリアム……!」と半泣きで──なぜかグリアムに──捨て台詞を吐き、痺れる足を引きずりながらどこかへと消えて行った。


 そして、現在。午後十一時。


 風呂も夕飯も済ませ、あとは眠るだけとなったグリアムは、大きく欠伸をこぼしてベッドの上に横になっていた。



(はあ……今日も、騒がしかったな……)



 彼は目を閉じ、嘆息する。

 平穏な暮らしを求めて家出したはずなのだが、日毎に騒がしさが増しているような気がするのは気のせいだろうか。いや絶対気のせいじゃないよな。


 額を押さえ、明日こそは平穏に暮らしたい……、と静かに願っていれば、不意にウルの足音が近付く気配を感じて彼はふと目を開けた。



 ──ぎしり。



 やがて、ベッドが軋む。

 ウルが毛布に潜り込んだのだと理解した途端、グリアムはごくりと生唾を嚥下えんげした。


 こうして二人で同じベッドに寝るのも、もう何度目だか分からない。しかしいくら相手がウルとは言えど、異性と同じベッドで寝る事に対して、彼は未だにどうしようもなく緊張してしまうのだった。



(……コイツ、俺の反応を楽しんで、毎晩わざとくっ付いて来るしな……)



 おそらく今夜も、その豊満な胸を背中に押し当てて揶揄からかうつもりなのだろう。だが、今日こそは動じないと強く心に誓った。


 ごそごそと、グリアムの背後では早速ウルが動いている。


 ……ふふん、なるほど。そろそろ背中に密着するつもりだな? 世界最強の魔導師様はお見通しだぞ、この毒サソリめ。毎晩けしからん乳を押し付けやがって。



(……さあ、来るなら来い、この毒女。いつも通りに乳を押し付けて来い! しかし、俺は動じない! 華麗なる無反応に徹し、お前の焦る顔を拝んでやる!!)



 そう心の中で叫んだ瞬間、部屋の明かりが消える。いよいよだ、とグリアムが身構えた頃、背後からウルの声が耳に届いた。



「──それじゃ、おやすみなさい。師団長」



 いつも通りの挨拶。いつも通りの声。

 おそらく今から数秒後には、彼女が背中に密着して来る。グリアムは目を閉じ、今か今かとその時を待った。



「……」


「……」


「……」


「……」


「………………」



 …………、あれ?


 ぱちり。グリアムは瞼を開け、眉を顰めて目の前の壁を見つめる。想定外の事態に、彼は視線を泳がせた。


 ──ウルが、なぜか抱きついて来ない。



(……え? 嘘だろ? そ、そんな馬鹿な……!)



 グリアムは焦燥に駆られ、生唾を飲む。


 普段、嫌という程に乳を押し付けながら俺に眠れぬ夜を強要させる毒嫁が、今夜に限ってなぜ密着して来ない……!? な、何を考えてるんだこいつ……! ふざけんな! 来いよ! 乳を押しつけて来いよ!! さあ!!


 と、脳内でそんな念を送る彼だったが──待てど暮らせど、ウルの胸が押し当てられる事は無かった。



(……な、何で……何で来ないんだ!?)



 毛布の中だというのに、背中がやけに薄ら寒く感じる。なぜだか嫌な汗までてのひらに滲み、やがて痺れを切らしたグリアムはとうとう振り返った。



「……なあ、ウル──って、遠ッ!?」



 振り向けば、なぜかベッドの端っこ──しかもかなりギリギリの場所──でウルが横になっている。こちらに背を向けたまま動かない彼女に、グリアムは手を伸ばした。



「お、おい、お前落ちるぞ! もう少しこっちに──」


「っ……」



 その肩を掴むと、途端にウルの体が震える。直後、彼女は咄嗟に枕元の銃を握り込んだ。

 途端に「げっ……!」と頬を引き攣らせるグリアムだったが──慌てて掴み取ったせいなのか、握ったはずの拳銃は、彼女の手の中からこぼれ落ちる。


 カシャン、と床に拳銃が落ちる無機質な音が暗闇に響いて、グリアムは瞳を瞬いた。次いで、訝しげに眉根を寄せる。


 ──彼女がミスをするのは、これで三度目だ。



「……ウル。お前、本当にどうした?」


「……」


「体調悪いのか? 何か変だぞ、今日」



 グリアムは上体を起こし、彼女を覗き込んだ。しかしウルは彼の視線を避け、枕に顔を埋めてしまう。



「……ウル……?」


「……」


「……どうしたんだよ……どこか体調がおかしいなら、無理せず言ってく──」


「──師団長、」



 彼の声をさえぎり、枕に顔を埋めたままのウルの声が耳に届く。思いのほか弱々しいその声色に、グリアムの心配は更に募るばかりだ。



「……ど、どうした? どこかおかしいのか?」



 出来うる限りの優しい言い方に努め、彼女の言葉を待つ。するとウルは、やがてボソボソと声を続けた。



「……師団長、って……」


「うん」


「……こども、欲しいんですか……?」


「…………」



 …………、はい?


 思考が一瞬動きを止め、彼女の発言の意味をゆっくりと咀嚼そしゃくする。……「こども、欲しいんですか」? え? いや、何でそうなる?


 そう考えてふと、彼は今日のリザとの会話を思い出した。「いずれは子供も欲しい」と、その場をしのぐつもりでうそぶいてしまった、己の発言を。



(……まさか、あんな事言ったから怒ってるのか?)



 じわりと、背中に冷たい汗が浮かぶ。『……は? 私と子供? クソ童貞のくせにキモイですよ師団長、そういう目で私を見てるんです? イタい妄想するのもいい加減にして下さい』とさげすんだ瞳で己を見下ろしながらののしるウルの姿が脳裏を過ぎった。


 グリアムは顔を青ざめ、誤解を解こうと彼女の背中に向かって口を開く。



「ち、違う! 誤解だ! 俺は別に、お前との子供が欲しいわけじゃない!」



 そう弁解すれば、彼女はぴくりと反応した。そのままウルは黙り込み、暫しの沈黙が流れる。


 あれ……? とグリアムが首を傾げた頃、ウルは再び口を開いた。



「……そうですか。じゃあ、他の女と子供作るんですね」


「……は?」


「そうですよね、師団長はお顔がまあまあお綺麗ですし、その気になれば女なんて選びたい放題ですもんね。さっさとその口下手なとこ直して、その辺の女と子供作って来たらいいんじゃないですか」


「……はあ!?」



 心做こころなしか棘のある言葉を投げ付けた彼女に、グリアムは盛大に顔を顰めた。語気を強めつつ、彼は反論する。



「何でそうなるんだよ! 相手が女なら誰でもいいみたいな言い方するな! 他の女で良いわけないだろ! だって今、俺はお前のっ……!」


「……!」


「……お、俺は、お前の……旦那、だ、ろ……?」



 ……あれ? 俺、なんで今、『俺はウルの旦那だ』って、そんな事を主張してるんだ?


 ついカッとなって無意識に口走った己の発言に、グリアムはきょとんと瞳を瞬いた。尻すぼみになる声を詰まらせた彼は黙り込み、視線を泳がせる。


 だって、そんな事を主張したら、まるで──。



「……」


「……私の、旦那様だって言うなら……」


「……」


「……私と、子供作るって、事?」



 か細い声が、そう問い掛ける。

 グリアムは視線を泳がせながら、「……ち、違……」としどろもどろに声を発した。


 ……あれ? ちょっと待て。何? この流れ。

 なんか、変な空気になって来てない?


 暗闇の中、どくどくと自分の心臓が忙しなく早鐘を打つのが分かった。やがて、するりと布の擦れる音が耳に届き、石鹸の香りと共にウルの腕がグリアムの首の裏に回る。


 びく、とグリアムが肩を震わせた途端、彼女の体は彼に密着した。爆速で動いていた心臓が、更に大きく跳ね上がる。呼吸をする事すらも忘れて、グリアムはウルに抱きつかれたまま硬直した。



「……私、今日、お風呂で身体、綺麗に洗いましたよ」


「……っ」


「それに、今、とっても可愛い下着つけてるんですよ」



 耳元で小さく囁かれる声が、グリアムの体内の温度を徐々に上昇させて行く。──いや、待て。これはアレか? もしかしてアレなのか? と、彼は脳内で飛び交う一つの可能性にごくりと生唾を飲んだ。


 程なくして、彼の中で浮上したその“可能性”は、確信へと変わる。



「……グリアムくん……」


「……」


「……子作り、する?」



 ぎゅっと彼の衣服を握り込んだウルのその一言は、世界最強の理性など容易く粉々に出来るほどの破壊力で、グリアムの心にぶっすりと突き刺さった。




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