第20話 おや? 嫁の様子が……?

「あらあらあら〜、人気者なのねえ、グリちゃんったら」



 昼過ぎにグリアムの家を訪れたリザは、ふふふ、と笑って目の前の微笑ましい光景を見つめた。


 彼女の視線の先には、げんなりとした表情でソファに座り込むグリアム。そして、その両サイドに腰掛けて彼に密着している──セルバとウルの姿である。


 リザに気が付いたウルは、グリアムの腕に密着したまま愛想の良い笑顔を浮かべた。



「あら~、リザさんこんにちは。またお野菜の差し入れを持って来て下さったんです?」


「ええ、ポテ芋とカーヴがたくさん採れたのよ。玄関先に置いておくわね。ロバートさんのところのお野菜の味には適わないけれど、良かったら食べて」


「何言ってるんですか~。リザさんの畑で採れたお野菜、とっても美味しいですよ。ね、あなた」


「……あ、ああ……」



 グリアムは頷きつつ、ひくりと頬を引きらせる。……いや、何でこの状態で普通に会話してんのお前。俺死ぬほど恥ずかしいんですけど。


 そう思っていると、反対側にしがみついていたセルバもリザに向かって人懐っこい笑みを向けた。



「僕も、リザ婆さまのお野菜好きだよ! ロバートおじさまのも好きだけど!」


「ふふふ、ありがとうねセルバくん。嬉しいわ」



 リザは目尻を緩めて微笑む。すると不意に左腕に密着していたウルの拘束が解け、「コーヒー淹れますね〜」という声と共にその温もりが離れた。



「あらあら、いいのに。お構いなく」


「いえ、せっかくお野菜届けて頂いたので。それにこのコーヒー豆、すっごく美味しいんですよ~。アプロルパイによく合うんです、良かったらどうぞ~」


「まあ。だったら、お言葉に甘えちゃおうかしら」



 リザは嬉しそうに表情をほころばせ、椅子に腰掛ける。


 一方のグリアムは、密着していたウルから解放されてようやく安堵の溜息を吐いた。しかし彼女の居ない隙をついたセルバが「わーい! お芋師匠を独り占めだー!」とのしかかって来た事で、束の間の平穏も終わりを告げる。


 そんな彼らを眺めるリザは、やはり聖母のような微笑みを浮かべていた。



「ふふふ。良かったわねえセルバくん、グリちゃんに遊んでもらえて。お友達が出来たわね。あ、お友達じゃなくて、お兄ちゃんかしら」


「ううん、違うよリザ婆さま! お友達じゃなくて、グリアムさんは僕の師匠だよ! ポテイドン師匠!」


「ポテ……?」


「やめろセルバ、その名を出すな」



 言ってはいけない神の名を口にしたセルバの口を勢い良く塞ぐ。強制的に黙らされた彼に「いいか、その名は忘れろ」と耳打ちすれば、セルバはこくんと頷いて「はい、分かりました! あのダッッサイ名前は忘れます!」とトドメの一撃を放った。

 それはグリアムのハートにグサリと突き刺さり、心の奥に住まう内なる自分が血反吐ちへどを吐いて倒れ伏す。グリアムはその場で項垂うなだれ、ついに黙り込んでしまった。



「……」


「ああ、そうだわ、お友達といえば……玄関先に座っている彼も、グリちゃんのお友達?」


「……え? 玄関先?」


「ほら」



 そう言って、リザは前方を指差す。その指が示す先を視線で追えば、玄関先の小窓からぴょっこりと覗く、黒い猫の耳が視界に入った。


 あ……、とグリアムが頬を引き攣らせた頃、コーヒー豆を挽くウルがにこやかに答える。



「ああ、アレは我が家のです〜♡ 今、冷凍して玄関に寝かせてるところなんですよ、ご心配なく♡」


「誰が非常食だあああ!! このクソ女!!」



 ウルの発言が聞こえたのか、玄関からは怒鳴り声が響いた。しかし、声が響くだけでその姿は一向に現れない。


 それもそのはず、先程室内に侵入した彼──ルシアは、ウルによって銃撃された末、下半身を氷に埋められて玄関先に正座させられているのである。薄ら寒い気候の中で震える彼は身動きも取れず、忌々しげに歯噛みしてウルへの恨み言を呟いていた。



「畜生……っ、このクソアマァ……!! 貴様、いつか必ず痛い目見せてやるからな……覚悟しろよ……!」


「あら~、うるさい非常食ですね~。悪い口は消毒しないといけませんよね~? この、とーってもからい乾燥トーガランを口いっぱいに詰め込むなんてどうですか~? 殺菌出来るかも~」



 うふふふ、と恐ろしい笑みを浮かべたウルが玄関先へ向かって真っ赤な乾燥トーガランを投げ付ける。凶悪なそれにルシアは息を呑み、「くそォ……!」と悔しげに口を閉じた。


 そんな彼の扱いに哀れみの視線を送るグリアムだったが、リザは「あら~、仲良しなのね~」と呑気に微笑むばかり。……いやいや、どこが仲良く見えるんだ? と、そう考えていると今度はセルバが声を発する。



「お芋師匠! 暇です! 肩車して下さい!」


「……え、普通に嫌だ」


「じゃあおんぶ!」


「痛っ!?」



 がばあ! とセルバはグリアムの背中に飛び込んだ。相手が小柄な子供と言えど、線の細いグリアムにとってはなかなかのダメージである。


 纏わり付くセルバにうんざりと顔を顰める彼だったが、その様子をリザは微笑ましく見守っていた。



「ふふ。そうしていると、二人とも親子みたいね。グリちゃんは、きっと良いパパになると思うわ」


「……は……、パパ? 俺が?」


「ええ。……そういえば、二人はまだ、とかは無いの?」



 ──ザバァッ!!


 そんなリザの発言の直後、不意に何かがこぼれる音が耳に届く。反射的に視線を上げれば、ウルの足元に大量のコーヒー豆が散乱していた。グリアムは目を見開き、彼女に声を掛ける。



「えっ……!? お、おいウル、どうした?」



 すると、硬直していたウルはビクッ! と肩を震わせた。やがてくるりと振り向いたその顔には、いつも通りの笑顔が浮かんでいて。



「あ、ごめんなさい。手が滑りました」



 愛らしく小首を傾げながら平然とそう言い、何事も無かったかのようにウルは顔を背けた。「後でお掃除しますね」と続けた彼女に、グリアムは眉を顰める。



(……? あいつがミスするなんて、珍しい事もあるもんだな……)



 訝しみつつも、まあそういう日もあるか、と彼は深く気に留めずウルから目を逸らす。再びリザに向き直ると、グリアムは口を開いた。



「……えと、何の話でしたっけ」


「え? ……ああ、だから、二人はまだ子供は考えてないのかしら~って。まあ、まだ新婚さんだものね。ゆっくりでいいと思うわ」


「……あ、あー、子供……」



 グリアムは視線を泳がせ、言葉を濁す。もちろん、子供を作る予定など無い。二人は「偽装結婚」した「仮夫婦」であり、本当の家族ではないのだから。


 しかし、それを正直に話すわけにもいかない。

 とりあえず適当に誤魔化しておこうと、グリアムは口を開いた。



「まあ、そうですね……。いずれは、子供も欲しいと思ってま──」



 ──ガシャン!!


 刹那、食器が倒れる大きな音が耳に届いた事でグリアムの声は途切れた。弾かれたように顔を上げれば、俯いたウルが「熱っ……!」と自らの指を押さえている。


 どうやらコーヒーの入ったティーカップを倒したらしい。グリアムは慌てて背中からセルバを降ろし、彼女に駆け寄った。



「お、おい、ウル! 大丈夫か!?」


「……っ、あ……、ご、ごめんなさ~い、私ったら♡ 大丈夫です、ちょっとボーッとしちゃって……すぐ片付けますから……」



 ハッ、と顔を上げたウルは赤くなっている指を隠すように握り込み、珍しく辿々しい様子で微笑んで顔を逸らす。グリアムは眉根を寄せ、彼女の手を掴んだ。



「!?」


「バカ、こぼしたコーヒーの事なんかどうでもいい! それより指にかかったんだろ、早く冷やせ!」



 彼は語気を強めると素早く蛇口を捻り、冷たい水にウルの指をさらす。赤くなった指を冷やしながら、「痛くないか?」とグリアムはウルの顔を覗き込んだ。


 彼女は暫し黙り込み、やがて「……そんなに大した火傷じゃないのに、大袈裟ですよ」と小さく呟く。すぐに背けられてしまった彼女の表情は、彼の視点からではうかがい知る事が出来なかった。



「あら……ウルティナさん、火傷したの? 大丈夫?」



 事態を察したリザが心配そうに問うと、ウルは即座に普段通りの笑顔を作って振り返る。



「ああ、ごめんなさい。大丈夫です、心配いりませんわ。主人の分のコーヒーが無くなっただけですから」


「……、いや何で俺の分のコーヒー無くすんだよ!?」



 唐突な発言にグリアムは目を見開いて声を張った。「こぼしたのお前だろ! 自分の分無くせよ!」とすぐさま抗議するグリアムだったが、彼女は「えー、男なんですから我慢してくださいよ」と理不尽な主張でそれを一蹴する。


 こ、この女……! と眉間に深く皺を刻んだ彼を無視して、ウルはそのままグリアムの横を素通りした。



「はーい、お待たせしました~。コーヒーです~♡」



 火傷した指の治療もろくにせず、何事も無かったかのように彼女はトレイに乗せたコーヒーを運んで行く。そんな彼女の背中を見つめ、一層グリアムは訝しんだ。


 ……あいつ、やっぱり、何か様子がおかしくないか?


 そうは思ったが、おそらく問い質しても何も答えないだろう。はあ、と彼は溜息を吐き、再びソファへと戻って行った。



 結局その後、彼の分のコーヒーは、本当に出て来なかった。




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