第19話 師団長争奪戦

「……ご馳走さま」


「ふふ、残さず食べてくれたんですね~。嬉しいです」


「……」



 朝食を食べ終わり、不服げに唇を尖らせたグリアムはだんまりと口を閉ざして席を立つ。


 彼女の態度は腹立たしいが、本日のサンドイッチの味もやはり絶妙で、結局全部食べ尽くしてしまった。たまには小さな反抗のつもりで「こんな不味いモン食えるか!」と残してやりたい気分だが、それすらもなかなか上手くいかず、少しばかり悔しい。


 むっすりとヘソを曲げたまま、近くの革のソファ──先日リザが譲ってくれた──に腰を下ろせば、ウルは「あらあら」と微笑んで頬杖をつく。



「やだ~、師団長ったら。拗ねてるんです?」


「……拗ねてない」


「拗ねてるじゃないですか~、可愛い人~」


「お前、バカにしてるだろ……」



 むっ、と更に眉根を寄せる。対するウルは楽しげに微笑み、「バカになんかしてませんよ~、アホ面だとは思ってますけど」などと相変わらずの減らず口を叩いた。


 こいつ、いつかギャフンと言わせてやる……! とグリアムは奥歯を軋ませ、ふん! と彼女から顔を逸らす。


 すると丁度同じ頃合で、家の扉がバァン! とけたたましく開いた。直後、耳に届いた声にグリアムはぎくりと頬を引きらせる。



「お芋師匠ー!! おはようございます!!」


「……」



 意気揚々と家に押し掛けてきたのは、金のおかっぱ頭をふわりと揺らした少年──セルバだった。途端にグリアムは額を押さえ、「面倒なのが増えた……」と嘆く。



「あら~、セルバくん。いらっしゃい」


「あ! ウルティナさん! おはようございます! 今日もお美しいですね! 素敵です!」


「うふふ、やだ~、当たり前じゃなーい」



 さも当然というようにお世辞を肯定し、ウルは鼻歌を歌いながら食器を片し始めた。そんな彼女に憧憬どうけいの眼差しを向けていたセルバだったが、程なくして振り返った彼は更に瞳を輝かせてグリアムを見つめる。


 その視線が居心地悪さを増幅させ、グリアムはそっと目を逸らした。



「お芋師匠ッ!! 今日も素敵な銀髪ですね! 寝癖もオシャレでカッコイイです! あ、口元にパンくず付いてます! 今朝の朝食はサンドイッチですか!? カッコイイです! 最高です!!」


「あの……頼むから、その何でも褒めるやつやめてくんない……? めちゃくちゃ恥ずかしいんだけど……あと、サンドイッチがカッコイイって何?」


「嫌です、やめません! 弟子たるもの、師匠の背中を見て学ぶべきだと思いますので! 明日から僕も朝食にはサンドイッチを食べて、口元にパンくずを付けて来ます!」


「やめて……恥ずかしいからやめて……お願い……」



 丸い瞳をキラキラと輝かせ、セルバは真っ直ぐとグリアムを見つめている。純粋無垢なこの瞳を無闇に突き放す事も出来ず、彼は頭を抱えるばかりだった。


 先日、セルバの前で魔法を使ってしまって以来、彼はずっとこんな調子である。居心地悪い事この上ない。


 グリアムは口元についているらしいパンくずを袖口で拭い、未だに続くセルバの『必殺・褒め殺し攻撃』を片手でさえぎった。「むぐ!」とくぐもった声を発してようやく口を閉じた彼を見下ろし、グリアムは嘆息する。



「……俺の真似も、褒め殺し攻撃もしなくていいから……とりあえず座ってろ。静かにな」


「むご! もご!(分かりました、師匠!)」



 セルバは力強く頷く。グリアムはホッと胸を撫で下ろし、彼の口元を塞いでいた手を離した。


 これでようやく静かになる、と安堵して目を閉じた彼だったが──直後、膝の上にずしりと重みを感じた事で、グリアムの瞳は再び開眼する。


 すると、彼の膝の上には背筋を伸ばしたセルバが当たり前のように座り込んでいた。



「……え、お前何してんの?」



 冷静にグリアムが指摘する。彼は顔を上げ、キラキラと輝く瞳でグリアムを見上げた。



「だって、座ってろとおっしゃったので!」


「……いや、そうじゃなくて。何で俺の膝に座ってんの」


「だって、師匠のお膝が空いていたので!」


「……いや、空いてるけど。俺の隣も空いてるだろ」


「……だって、師匠に、少しでもお近付きになりたいので……」



 だめでしたか……? と膝の上のセルバが肩を落とす。悲しげに俯いた彼にグリアムの良心はぐらぐらと揺さぶられ、「う……!」と思わずたじろいだ。



(ひ、卑怯だぞセルバ……! これで断ったら、俺がめちゃくちゃ悪い奴みたいになるじゃないかッ……!)



 眉根を寄せ、グリアムは歯噛みする。これは承諾するしかないのか……、と半ば諦めて頷きそうになった彼だったが──寸前のところで「ダメですよ〜」とウルの声が割り込んだ。


 直後、グリアムの膝の上に乗っていたセルバは背後から接近したウルに抱き上げられる。



「うわあっ!?」


「ほらほらセルバくん、私の旦那様が困ってるじゃないですか。退いてあげてね〜」


「……っ、ウル……!」



 セルバを抱き上げたウルは、グリアムに視線を向けると片目を閉じてウインクした。おそらく気を利かせてフォローしてくれたのだろうと察し、グリアムは彼女にいたく感激する。



(……う、ウル、お前……! 俺を舐め腐ってばかりいると思っていたが、こうして困った時にはちゃんと助けてくれるんだな……! すまないウル、誤解していた。やっぱりお前は俺の信頼できる部下──)



 と、彼女への評価を改めようとしていたグリアムだったが。


 不意に再び膝上の重みが増し、ふわりといい香りが鼻腔に満ちて、彼は瞳をしばたたいた。その瞬間、ウルの腕がするりと背中に回され、色を帯びた声が耳元で囁く。



「……だって、貴方の膝の上は、わたしの席ですもの。ねっ? あ・な・た♡」



 ──気が付けば、なぜかウルはグリアムの膝に乗って、堂々とそんな言葉をのたまっていた。


 その状況をようやく理解し、彼の頬は急速に熱を持つ。



「……っう、うわあああッ!!?」


「うふふ、何を照れているんですか〜? 私たち夫婦ですよ〜? そんなに照れなくてもいいじゃないですか、夜はくっついて寝るくせに〜♡」


「ば、馬鹿ふざけるな!! 夜はお前が勝手にくっついて来るだけ……、っちょ、マジで待って!! 体勢がこれは本当にマズい!!」



 むにい、と豊満な胸が押し当てられ、向かい合う形で彼にまたがっているウルの瞳が楽しげに細められた。至近距離にある彼女のそれから目を逸らし、グリアムは何とか逃れようと腰を引くが、引いた分彼女は詰め寄って来る。彼は涙目でウルを睨んだ。


 前言撤回! やっぱりコイツは悪魔だ!

 ただ俺の反応を楽しんでるだけじゃないか!



「ちょ、ウル、頼むから……! やめてくださいお願いします、ほんとにやばい……!」


「何がやばいんですか〜? お顔が真っ赤っかですよ、あなた♡」


「こ、子供が見てるんだぞ! こんなの教育に悪い──」


「ずるいですウルティナさん! 僕もお芋師匠と遊びたいです!」


(遊んでねええ!!)



 純粋無垢な少年は真っ直ぐな瞳でウルに訴える。しかし彼女はフフンと得意げに微笑むと、更にグリアムに胸を当てがって密着した。



「だ〜め。ですから」


「……っ」



 ぴと、と頬をすり寄せられ、グリアムの心臓が大きく跳ね上がる。耳元で繰り返される息遣いがやけに官能的に感じてしまうが、「違う違う違う何考えてんだこいつはヘドロだぞ!!」と強く己に言い聞かせて理性を保った。


 しかし硬直したままの彼に追い打ちをかけるように、ウルの指先は彼の背中を伝い始める。



「──ひぇ!?」



 不意打ちの刺激にびくっ! とグリアムの肩が跳ね、喉から思わず奇声が飛び出した。慌てて口を閉じ、「おいウル!」と彼女を叱咤しったするが、彼女の指の動きが止まる気配はない。


 くるくると、背中で何かを描く指先の感覚。──何か、文字でも書いているのだろうか。続くそれに、彼の喉は生唾を嚥下えんげする。



「……っ、お、おい……!」


「……」


「……、 ウル……?」



 ふと、グリアムは黙りこくってしまった彼女へと顔を向けた。しかしウルは彼に抱き付くような形で密着しているため、その表情はグリアムの視点から確認できない。


 ただ、かろうじて視界に入った彼女の耳が──若干ではあるが──赤く染まっているような、そんな気がして。



「……? お、おい、ウル、どうした? どこか体調でも、」



 悪いのか? と、彼が言葉を続けかけた、直後。

 彼らの家の扉は再びけたたましい音を立てて開け放たれた。



「グリアム=ディースバッハぁ!! 今日こそ貴様の命、この死を運ぶ黒猫ラモール・ケットが貰い受け──ゴフッ!?」



 これまた意気揚々と声を上げて室内に侵入して来たのは、最近やたらとグリアムに付きまとうようになった暗殺者ルシアである。しかし高らかと発したその言葉を全て言い切る前に、彼はせ返って口元を押さえてしまった。


 と、いうのも、現在グリアムが──子供が目の前にいるというのに──嫁と密着しているからで。ルシアは途端に顔を赤く染め、慌ててセルバの視界を覆い隠した。



「うわ!? な、何するんだよタオルケット!」


「誰がタオルケットだ!! ……じゃなくて! き、ききき貴様ら何してんだ!? まだ朝だぞ!? ガキの目の前でなんちゅうプレイしてんだこの破廉恥はれんち夫婦が!! 時と場合を考え──」



 ──ドォン!!


 しかし早口で叱責したルシアの声は、響いた銃声によって掻き消される。彼の頬を掠めた弾丸は真後ろの壁に穴を開け、周囲を氷で覆い尽くした。


 途端にルシアは頬を引き攣らせ、汗を滲ませて息を呑む。



「猫は入室禁止です」



 にこり。いつも通りの笑みを浮かべたウルは、白煙を上げる銃口の奥で殺気を放った。即座に身の危険を察したルシアは顔を青ざめて後ずさる。


 ウルはグリアムの膝に乗ったまま、彼に冷たい眼光を向けて銃把じゅうはを握り込んだ。


 そして──



「バン♡」



 愛らしく紡がれたその一言の後、大量の発砲音と共に断末魔さながらのルシアの悲鳴がその場に響き渡ったのは、言うまでもなかった。




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