第8話 ベッド・イン
ウルが部屋に乗り込んで来てから、数時間は経っただろうか。
現在彼女は濡れた髪を掻き上げ、ベージュ色のシンプルな寝間着を着用した姿でベッドに腰掛けている。普段高く結い上げている亜麻色の髪は下ろされ、白い首筋に水滴が
そんな彼女が鼻歌混じりに濡れ髪の毛先を弄っている一方で、先ほど同じく簡単にシャワーを済ませたグリアムは部屋の隅で膝を抱えて座り込んでいる。彼の視線は焦ったように泳ぎ、何も言わずに顔を背けて黙り込むばかりだった。
「……さっきから何をしているんです? 師団長。そんな所で縮こまって」
ふと、虫でも見るかのような冷たい視線を向けたウルが問い掛ける。グリアムはぎくりと肩を震わせ、おずおずと答えた。
「……い、いや、その……風呂上がりの女と、一緒の部屋にいるって事、あんまり無くて……ど、どうしたらいいのか……」
「ああ、童貞ですしね」
「どっ……!? お、お前! そういう事あんまり言うなよ! 仮にも女だろ……!」
「仮にも?」
「えっ、あっ、いえ……も、勿論、仮などではなく素敵な女性だと思います、はい……」
ぎらりと眼を光らせたウルが拳銃をチラつかせ、彼は即座に前言を訂正する。必死に彼女を怒らせまいと気を遣いながら、グリアムはキリキリと痛む胃を片手で押さえ付けた。
(い、いやいや……冷静になれよ俺……。一体何を変に意識しているんだ……? よく見ろ、あいつウルだぞ?)
そう己に言い聞かせ、目の前の彼女の姿を今一度
いくら容姿が整っていようが、この女の本性は
(そうだ、落ち着け……よく考えろ……。確かに見た目は女だし、顔もスタイルも良い方だとは思うが、所詮はウルだ。中身は排水溝に詰まったヘドロを煮詰めて熟成させたみたいな毒々しい──)
──ドォン!!
彼の思考を
「あ、ごめんなさ〜い。ついうっかり手が滑っちゃいました〜」
「……」
「何だかすごーく失礼な気配を感じた気がしたんですけど……気の所為だったかもしれないです〜」
うふふふふ、と頬に手を当てる彼女の瞳が恐ろしい眼光を放ち、グリアムは生唾を飲み込む。
──とんだ鬼嫁だぞ、こいつ。いや、
彼は身を強張らせ、弾倉に魔弾を詰めて微笑む目の前の
(……な、何でこんな事に……。俺はただ、平穏な暮らしを送りたかっただけなんだよ……!)
グリアムは額を押さえ、深く嘆息した。
そんな彼に悪魔さながらの微笑みを向けつつ、ウルは拳銃を枕元に起いてベッドの奥へ寝そべると厚手の毛布を上へ引き上げる。
「ふあ〜……眠い……。最近はどこかのアホを探すために野宿続きでしたからね〜、柔らかいベッドなんて久しぶりです。ってわけで、そろそろ寝ましょうよ〜師団長。夜更かしはお肌の大敵ですよ?」
「……」
…………え?
ウルの発言にグリアムは困惑し、ぴしりと硬直した。彼女が横になっているのは、広いダブルベッドの上。枕は二つ並べられ、ご丁寧に手前のスペースは一人分空けてある。
たらりと、またもや冷たい汗が流れた。
……いや、まさか。冗談だよな?
「……う、ウル……お前……どこで寝るつもりだ……?」
恐る恐ると問い掛ける。すると、やはりウルは柔らかな笑みを浮かべた。
「何言ってるんですか〜。もちろん、このベッドで寝ますよ?」
「……は、はあ!? お前正気か!?」
「やだ〜、師団長ったら酷〜い。こんな可愛い女の子に床で寝ろって言うんですか? 最低なクソ野郎ですねえ」
「何が“可愛い女の子”だ! お前なんか排水溝に詰まったヘドロ──」
「はァ?」
「あ、いえっ! な、何でもないです……」
一瞬で殺気を放ったウルに悪寒が走り、グリアムは瞬時に態度を改める。危うくまた発砲されるところだった、と彼が肝を冷やした頃、ウルは自身に掛けていた毛布を
「はい。どうぞお入りください、師団長」
「……、は……?」
「上司を差し置いて、部下だけベッドで寝るわけにはいきませんから。それに夫婦は同じベッドで寝るものでしょ〜? 広いベッドですし、師団長ヒョロヒョロですし、二人で丁度いい大きさですから問題ないですよ。さあどうぞ〜」
「ま、ままま待て! お前本気で言ってるのか!? だ、大体、“夫婦”のフリも俺はまだ認めてないぞ!!」
あからさまに
「……あら? 師団長ったら、まさかビビってるんですか? 世界最強のくせに?」
「な……!」
「そっかそっか〜、失礼しました! 師団長みたいなヘタレじゃ、なーんとも思ってない部下が相手と言えど、女の子の横には寝れませんよね〜。緊張しちゃいますもんね〜? もう成人した立派な大人の男性なのに……、ぷぷぷっ!」
「こ……っの……!!」
挑発的なその態度にグリアムは苛立ち、肩を
「!」
「バカにするのもいい加減にしろよ、ウル……!」
華奢な腕を強引にベッドへ押し付け、彼女の上に
「俺だって、男だぞ……。お前の事なんかこうやって簡単に押し倒せるし、その気になれば、このまま──」
と、そこまで言葉を続けた、その時。
不意に、石鹸のいい香りがふわりと彼の
それが彼女の濡れ髪から香っているのだと気付いた彼は、途端にウルが『女』である事を意識してしまい、その先の言葉を
「……っ、こ、このまま……」
掌に汗が滲み、頭が真っ白になって、彼は生唾を飲み込んだ。
視線を泳がせるグリアムをじっと見つめていたウルは、やがて呆れたように瞳を細める。そして、徐ろに膝を動かした。
──ドゴッ!!
「うっぐ!?」
突如
「……!」
「はーい、捕まえた〜。さ、寝ましょうね〜師団長」
「なっ、え、ちょっ……!?」
「はい消灯〜」
ウルは楽しげにグリアムの背中に密着し、呪文を唱えてランタンに灯っていた火を消す。暗闇に包まれたベッドの上で、ウルはグリアムに密着したまま自身の腕を前に回すと早鐘を打つ彼の胸に触れた。
「……っ」
「あれ〜? 変ですねえ、師団長。心臓がバクバク言ってますよ?」
「……ば、ばか、お前……くっつくなよ……!」
「だって寒くって〜」
わざとらしく耳元で囁き、ウルは更に身体を押し付けてくる。意外にも豊満なその胸が背中に当たっているのが嫌でも分かってしまい、グリアムの頬は一気に熱を帯びた。生唾を
「──じゃ、おやすみなさい。あ・な・た♡」
そんな声を最後に、ウルはグリアムの背中に抱きついたまま瞼を閉じた。ばくばくと心臓を忙しなく打ち鳴らしているグリアムは、じわりと滲む手汗を握り込んで、完全に開眼しきっている目を泳がせるばかり。
……ね……、ね……、
(眠れるかぁぁーーッ!!!)
心の中だけで絶叫しつつ、彼の長い夜は更けて行くのであった。
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