第7話 夫婦なら問題ない
「……ウル。お前、一体どういうつもりだ」
静けさを取り戻した室内で、グリアムはぼそりと低い声を発して問い掛ける。するとウルは振り返り、素知らぬ顔で首を傾げた。
「あら、何の事ですか? あなた」
「それだ! それ!! 何が“あなた”だ、何で俺がお前の旦那になってる!?」
「やぁだ〜、怒鳴らないでくださいよ〜。家庭内暴力なんて言語道断ですよ? あ・な・た♡」
(コイツ……! さっきまで俺の背中に銃口突き付けといて、よくもいけしゃあしゃあと……!)
のらりくらりと怒号を
──数分前。
グリアムとウルが夫婦だとすっかり信じ込んでしまったリザは、「大変! 二人で住むなら寝具が足りないわね! すぐもう一つ持ってくるわ!」と慌ただしく自宅へと戻って行ったのだった。
その後、グリアムはようやく塞がれていた口元を解放されたのだが──手が離れ、背中に押し当てられていた拳銃の脅威が消えても尚、彼女が何をしたいのか全く理解出来ずに困惑するばかりで。目的の読めないその笑顔には、ただただ寒気しか感じない。
彼女を見つめたままグリアムが訝しげに眉を顰めていると、その視線に気が付いたのかウルの口元は弧を描いた。
「何です? そんなに情熱的に見つめて。照れちゃうじゃないですか」
「……心にも無い事を言うなよ」
「あらら、バレちゃった」
ぺろりと愛らしく舌を突き出し、ウルはグリアムから離れる。「まあ冗談はさておき、」と続けた彼女は再び椅子に腰掛け、脚を組んで彼を見上げた。
「言ったでしょう? 私がここまで来たのは、別に師団長を連れ戻すためじゃないんです。これは本当ですよ? もし連れ戻すために来たんだったら、今頃迷わず
「……」
何故、こいつはいちいち傷口に塩を塗り込もうとするのか……。
不穏な言葉を口にするウルに嘆息して目を逸らしつつ、「……じゃあ、何のために来たんだ?」とグリアムは問い掛ける。するとやはりウルは微笑み、「そんなの決まってるじゃないですか〜」とわざとらしく首を傾げた。
「お仕事ぜーんぶ放り出して、悠々自適に暮らすつもりでいたんでしょう? 師団長。……でも自分だけ良い思いするなんて、そんなのずるいじゃないですかぁ」
「……」
「そ、こ、で〜、」
うふふっ、とウルは上品に笑う。しかし、グリアムは全く笑えなかった。──何となく察しが付いてしまったのだ、この女の
頬を引き
「だったら、私も一緒に家出しちゃえ〜って思って~♡ お仕事面倒だし、勝手に居なくなった
「……、やっぱそういう事か……」
「そしたら師団長、こーんなに素敵なお家を既に見付けているなんて! 流石です〜。ってわけで、今日から私も家出のお仲間に入れてくださいね?」
「……」
チャカ、と再び向けられた銃口。断ったら殺す、とその愛らしい笑顔が物語っている。
グリアムは額を押さえ、深い溜息を吐きこぼした。
「……お前も、黙って教団を出てきたのか?」
「まっさか〜、どこかの
「……だったら、尚更まずいだろう。お前の立場は第一師団の“師団長補佐”だ。……俺を見付けた上で
「何言ってるんですか。バレなきゃいいんですよ、師団長」
グリアムの言葉に
「家出なんて、子供の思い付いた小旅行みたいなものです。気分転換出来たな〜って満足したり、ヤバいって思ったら、さっさと家に帰っちゃえばいいんですよ。それまでは悠々自適、何にも縛られず気ままな生活! 素敵〜!」
「……」
「まあ、私は行方不明者の捜索って名目で外出してますから、たまに本部に戻って上に報告するクソ面倒な義務があるんですが……貴方の居場所は口外しませんので、どうかご安心を」
これでも一応貴方の補佐ですからねえ、と続けたウルに、グリアムは内心ホッと安堵した。一見
「──ま、もし上にバレても、ぜーんぶ師団長に責任押し付けちゃえば良いだけですし〜。さすがに世界最強の魔導師様なら、クビになる心配ないでしょ~? これで万事解決ですねっ♡」
「…………」
……この、上司を
グリアムは額を押さえ、もう何度目かになる溜息を深く吐きこぼした。すると丁度そのタイミングで、ぱたぱたと駆け寄って来る第三者の足音が耳に届く。
「はあ、はあ……、待たせちゃってごめんなさいね、二人とも! これ、使って頂戴! 大丈夫よ、ちゃんとお洗濯はしてあるから」
息を切らし、そう言って室内へと駆け込んで来たのはやはりリザだ。ウルは途端に人懐っこい笑顔を浮かべ、「まあ〜! わざわざありがとうございます〜!」と声のトーンを上げてリザの手渡した枕を受け取る。
堂々と猫被りやがって……、と脳内だけで毒突くグリアムだったが──そこで、彼はある事に気が付いた。
(……いや、ちょっと待て……)
──枕だけ渡されるって、何かおかしくないか?
グリアムは眉を顰め、ちらりと後方を一瞥する。そこにあるベッドの数は勿論、一つしかない。
一人で使用するには明らかに大き過ぎるそれは、横幅が広く、おそらくダブル以上のサイズ感はあるだろう。
グリアムは
(……ウルの奴、どこで寝る気だ?)
よもや雑魚寝などではあるまい。そもそも彼女が納得するものか。下手すればグリアムを床に転がして自分だけ悠々とベッドを占領し、素知らぬ顔で熟睡してしまう女である。
そう考えて頬を引き攣らせる彼の心境など知る由もないリザは、にっこりと聖母さながらの笑みを浮かべて口を開いた。
「良かった。ベッドが一つしか無いから、心配したけれど……夫婦なら、一緒に寝ても問題ないわね!」
「…………」
「…………」
──……!!?
想像だにしていなかった発言に、グリアムは目を見開いて凍り付く。
……え? 何? リザさん今なんて? え? と混乱する脳内を落ち着かせる事も出来ないまま、彼は震える声を発した。
「……え、ちょ、一緒に寝っ……、え? あの、」
「シーツの替えならクローゼットの奥にあるはずだから、好きに使って頂戴! 戸締りも忘れずにね! それじゃあ、おやすみなさい!」
「え!? ちょ、待っ……リザさ……!」
──バタン。
にこやかなリザはそそくさと部屋の扉を閉め、あっという間に去って行ってしまった。残されたグリアムとウルは硬直したまま、ただ呆然とその場に立ち尽くす。
「……」
「……」
長い沈黙が続き、双方ぴくりとも動かない。グリアムは背中に冷たい汗が流れる感覚を覚えつつ、何も言わないウルの背中を緊張した面持ちで見つめていた。
そしてとうとう、彼女が振り向く。
「──では、私は先にお風呂に入らせて頂きますね」
「…………、は……」
しかし、振り返ったウルの様子はあまりにもいつも通りで。
ぽかんと呆気に取られているグリアムに、「何アホ面してるんですか」と毒突く態度も相変わらずだった。
彼女はリザから手渡された枕をグリアムに預け、やはり普段と変わらぬ様子で微笑む。
「それ、ベッドに置いといて下さい」
「……っ、え? べ、ベッドに、って……」
「じゃ、お先に〜」
ウルは何事もなかったかのようにグリアムの横をすり抜け、風呂場へと消えて行った。ぽつんとその場に放置された彼は、枕を抱いたまま視線を泳がせる。
(……え……? あ、あいつ、本当に同じベッドで寝るつもりじゃ……ない、よな……?)
……いやいや。そんなまさか。
そんなわけない、そんなわけない……、と
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