第16話 芋神ポテイドン

(……俺、なんで教団の人に命狙われてんだ?)



 相変わらず木の裏に身を潜めたまま、グリアムは考え込む。未だにルシアの事を教団の関係者だと思い込んでいる彼は、まさかの「俺に殺されろ」発言に疑問符を浮かべるばかりだった。



(どういう事だ? ……まさかオズモンドの奴、俺の身勝手な行動にとうとうキレて、存在ごと末梢しようと……?)



 グリアムの脳内に、銀縁の眼鏡を光らせ、執務室のデスクに肘をついて微笑み、


『グリアムくん……君の横柄おうへいな態度にはずっと我慢して来たけど、僕もそろそろ我慢の限界だよ。即刻抹殺だ。君たち、 っちまいな!』


 と親指を地に向けてゴーサインを出すオズモンドの幻覚が浮かび上がる。彼は戦慄し、目頭を押さえて俯いた。



(お、オズモンド……! お前、そんな奴だったのか……!!)



 完全なる妄想に過ぎないのだが、あの温厚なオズモンドが胸の内でそう思っているのだと考えると胸が痛い。「オズモンドの裏切り者……!」と新たな勘違いの風評被害を生みつつ、グリアムは木の影から顔を覗かせる。


 セルバは目隠しされたまま泣きじゃくり、涙と鼻水でぐちゃぐちゃに顔面を濡らしていた。先程までの小憎たらしさが嘘のようなしおらしい様子に、グリアムはつい哀れんでしまう。



(生意気なクソガキとは言え、あれは少し可哀想だな……とにかく、まずはセルバを助けるのが先か。だが、俺が世界最強の魔導師だとアイツにバレるのはまずい……この村すぐ噂が広まるし……。俺の居場所が村の外にまで知れてしまえば、他の教団の連中にも一瞬で発見されてしまう……)



 そう考え、グリアムは今一度セルバの様子を窺う。泣きじゃくる彼は視界を奪われているため、“白銀の死神アルゲント・モルス”がグリアムだという事実にはおそらく気が付いていない。


 彼は冷静に状況を分析した。



(セルバが目隠しされているとは言っても、堂々と素顔で魔法を使うのは危険だよな……どこで誰が見ているか分からない。念の為、顔は隠しておいた方がいいだろうが……仮面は持ってきてないし、どうやって顔を隠せば……)



 グリアムは嘆息し、自身の持ち物を探る。


 とは言え、持っている物などいつも携帯している小型の護身用ナイフか、バスケットの中の食品類、そして袋に入った芋ぐらいのもので──



「……」



 ふむ、とグリアムは顎に手を当て、ポテ芋の入った袋を掴み上げる。ぽっかりと空いている二つの穴から転がり落ちた芋を手の中に収め、彼はその袋を凝視した。



(……これ、俺の顔、入るんじゃ──)


「──おい、死神! 聞いているのか!?」


「……!」



 不意に、いきどおったルシアが声を荒らげる。彼は舌打ちを放ち、捕まえているセルバを乱暴に地面へと投げ落とした。



「むぐっ……!」



 くぐもった悲鳴を上げ、地面に転がったセルバは芋虫のように身を縮こめる。不服げに鼻を鳴らしたルシアはセルバを足蹴にし、冷たい目で彼を見下ろした。



「……チッ、出て来ないつもりか死神め……。まったく、随分とお酷い魔導師様も居たもんだ。残念だったなあ、ガキ。世界最強の魔導師様は貴様を見放したようだぞ」


「……!」


「はあ。騒がしいガキをわざわざ捕まえて、殺さずに我慢してたってのに……まるで意味が無かったな。興醒きょうざめだ」



 ルシアは淡々と告げ、震え上がるセルバに短剣の刃先を近付ける。ナイフの腹で彼の頬にぴとりと触れれば、セルバの身体が過剰に反応して跳ね上がった。こわい、たすけて、と声にならない悲鳴を胸の内で必死に叫び続ける。


 しかしそんな彼の願いも虚しく、暗殺者はにたりといびつな笑みを描いてその耳元に残酷な言葉を囁いた。



「──もう、貴様に用はない」


「……っ」


「せいぜい良い声で泣いて死んでくれ」



 つう、と頬を滑る刃が恐ろしい程に冷たい。布の裏側に隠されたセルバの表情が、恐怖によって悲痛に歪む。



「……うっ、ううっ……」


「くく、もっと泣けよ、ガキ」


「うう……、ひぐっ、うあぁう……!」


「恨むのなら、貴様を見捨てた死神を恨むんだな」



 触れていた冷たい刃先が頬から離れ、ルシアは口角を上げた。そしてついに、短剣の切っ先がむせび泣く少年に向かって振り下ろされる。



「──死ね」



 ルシアの声が耳に届き、もうだめだ、とセルバは死を覚悟した。──しかし、その瞬間。


 うずくまっていたその体は突如ふわりと浮き上がり、刹那、頬に凄まじい風を感じて。



「……!?」



 強風によって体が浮き上がったかのような、不安定な浮遊感が背筋をなぞった。真っ暗な視界の中では状況が全く把握出来ず、彼の恐怖心が更に膨らむ。目隠しの裏で、瞳いっぱいに涙を溜めたセルバがぎゅっと目を閉じたその時──彼の小さな体は、暖かい腕の中に抱きとめられていた。



「……大丈夫か?」


「……!」



 ふと耳に届いたのは、聞き覚えのある声。

 数十分前まで一緒にいた、あの男の声。


 目元を覆っていた布が不意に緩まり、暗闇ばかりだった世界に光が入り込んだ。途端に彼の視界は上等な白いローブを捉える。それは、やはり彼の物で。


 セルバは涙でぼやける瞳をしばたたくと、静かに視線を持ち上げた。



(……も、もしかして、グリア──)



 ム、とその名を脳裏に思い描いた頃。


 ようやく鮮明になり始めたセルバの視界に映りこんだのは──「ポテ芋、小粒十個入り!」と汚い字で走り書きされた、だった。



(…………、ん?)



 ひく、と眉を顰め、先程までの泣きっ面がいぶかしげな表情に変わる。


 自分を助けたその人物は──なぜか、芋の袋を頭から被り、首から上をすっぽりと覆い隠してこちらを見下ろしていた。小さく空いた穴から片目だけが覗き、もう一つの穴からはへの字に曲がった口元がうかがえる。


 ぽかん、と呆気に取られながら彼を凝視していると、芋袋を頭に被った不審者は口を開いた。



「怪我はないか?」


「……むぐ」



 未だに口は布で塞がれているため、とりあえずセルバは反射的に頷く。鼻の穴からぴょこ、と出てしまっている鼻水をすすり上げた彼を見下ろした後、「そうか」と短く答えて芋袋の人物は立ち上がった。


 ……ってかこの人、なんで芋の袋被ってるの?



(……え? これグリアム、さん……? だよな? 声とか格好とか、多分同じだし……)



 セルバは盛大に眉を顰め、グリアムの姿を見つめる。……まさか、これで変装しているつもりなのだろうか。



(……え、嘘だろ? こいつ馬鹿なの? こんなバレバレの変装で、あのヤバい男が騙されるわけ……)


「……貴様……、一体何者だ?」


(んーー? アレーー? なんか普通に騙されちゃってるっぽいぞーー?)



 真剣な表情で訝しむルシアのまさかの発言に、セルバは脳内で「え、何こいつら? どっちも馬鹿なの?」と困惑した。しかしくだんの馬鹿二人は大真面目に睨み合い、無言で牽制し合っている。


 やがて、ルシアは鼻を鳴らした。



「……ふん。どこの誰だか知らないが、この俺の不意をついてガキを奪うとは……なかなかやるじゃないか」


「……」


「面白い、気に入ったぞ貴様。殺す前に俺のぐらいは教えてやろう」



 そう言い、ルシアは両手に無数のナイフを構えて不敵に口角を上げる。芋袋を被った不審者グリアムに狂気的な視線を向け、牙の覗く口をゆっくりと開いた。



「俺の仕事は暗殺業……つまり、俺はだ。“死を運ぶ黒猫ラモール・ケット”……それが俺の通り名」


「……」


「残念だったな、芋袋。貴様は俺に出会った事を後悔しながら、無惨に死ぬ事になる」



 くくく、と喉を鳴らす彼に、セルバは戦慄しながら生唾を飲んだ。胸の内だけで「あ、暗殺者なんて……相手したらダメだよ……殺されちゃう……」と怯え、グリアムを見上げる。


 すると、袋の中からボソボソと彼の声が聞こえた。



「……くそ、袋を被ってるせいでよく聞き取れなかった……。今、あいつ何て言ったんだ? 『卸し屋おろしやのタオルケット』……?」


(ちっがう!!)


「いや違うな……『カシミヤのタオルケット』か」


(それも違ぁぁう!!)



 見当外れにも程がある聞き間違いをしているグリアムは、「カシミヤか……随分と高級なタオル使ってるんだな……」と更に勘違いを進行させる。セルバは焦ったように目を血走らせた。



(“カシミヤ”じゃなくて“殺し屋”だよ! 耳腐ってんのか!? 早く逃げろバカーー!!)



 んー! んー! とセルバはくぐもった声を上げながら、必死の形相でグリアムに危険を訴える。そんな彼の様子に気が付いたグリアムは、「……ん、どうした?」と声を掛けようと口を開き──直後、ハッとしたように目を見開いた。


 程なくして突如「ごほん!」と咳払いを放ったかと思えば、彼はやや掠れた声を紡ぎ出す。



「……あ、あー……しょ、少年よ。我は君を助けに来た……のじゃ。ですので、あの……お家に帰るのじゃ。……です」


(何で今さら口調変えて他人のフリしてんだよ!! もう正体バレバレだわ!!)



 しかもちょっと恥ずかしがってんじゃねーよ!! と心の中で喝を入れるが、その思いはグリアムに届かない。


 彼が照れくさそうに頬を掻くかたわら、目の前の暗殺者は無数のナイフを手の上で遊ばせて楽しげに二人を眺めていた。



「……ふん。お喋りはその辺で終いにして貰おうか、芋袋。ああそうだ、さっき俺の不意をついた記念に、せっかくだから貴様の名も聞いてやろう。名乗れ」


「……!」



 高圧的な態度で問い掛けるルシアに、グリアムは動揺する。何も知らない──と思っているのは彼だけだが──セルバに、自らの正体を晒すわけにはいかない。


 一方のセルバは腕の中で藻掻きながら、はよ逃げろ! と念を送り続けていた。



「……」


「……どうした、名乗らないのか? それとも堂々と名乗れないような、何かやましい理由でも?」


「……っ、そ、そんなものは無い! わ、我の名は……」



 グリアムはムキになって声を荒らげつつ、忙しなく視線を泳がせる。えーと、えーと、名前、名前……! と脳汁を搾り出すが、口下手ゆえにうまい言葉が見つからない。


 ──とにかく、何か言わねば。二人に怪しまれてしまう。


 そう考えた彼の脳裏に辛うじて浮かんだのは──ころんと転がる、土の付着した丸っこい“芋”だった。



「……、い、いも……」


「……は?」


「……俺は、芋の神……!」



 そして彼は、ようやく導き出したその名と共に大声を張り上げる。



「芋の神──“ポテイドン”だ!!」


「……、……」



 しん、と静まり返る空間。

 硬直するルシアと、死んだ魚のような目を向けているセルバ。


 長い沈黙の続く中、僅かに見えている首元までを真っ赤に染め上げたグリアムの隠された顔を見上げ、セルバは胸の内で思う。


 ……だ……、



(……ダッセェ~~~……)



 世界最強の魔導師の壊滅的なネーミングセンスに、十二歳の少年の心が震撼しんかんした瞬間であった。




 .

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る