第17話 殺してくれ!

「……い、芋の神……ポテイドン? 芋の神ポテイドンだと……?」



 世界最強がネーミングセンスの無さを晒して数秒後、硬直していたルシアがようやく声を絞り出す。被った袋の下に覗く首元まで真っ赤に染め上げた芋神は、俯いてぷるぷると震え出した。



「……芋の神……ポテイドン……。芋の神……」


「……あの……」


「芋の神ポテイドン……」


「あの、すみません。何度も言わないで……」



 袋の上から額を押さえ、顔を逸らす芋神をセルバは死んだ目で見上げる。名乗るだけで既に精神面が羞恥心で大ダメージじゃねーか、と呆れていれば、ルシアはようやく正気に戻ったのか鋭い眼光と共に武器を構えた。



「……い、芋の神が何だ! 名前がちょっとカッコイイからって調子に乗るなよ、貴様!」


(え、カッコイイと思ってんの? あいつも大概センスやばいな)


「えっ……! か、カッコイイって言われた……!」


(お前もに受けてんじゃねええ! 早く逃げろよアイツ殺し屋なんだよ!!)



 むー! むぐー! と危険を訴えようと暴れるセルバだったが、手足を拘束されているせいで上手く動けない。未だに口元も布に塞がれたままのため言葉を発する事すら出来ず、ちくしょうもどかしい!! と更に苛立ちが募る。


 そうこうしているうちに、ルシアは狂気的な笑みを描いて手元で遊ばせていたナイフを構えた。



「ふ、ふん……まあいい……。芋神だろうが死神だろうが、俺の邪魔をする者は全て殺す。さっさとくたばれ、芋神ポテイドン!!」


「──!」



 ビュッ、と風を切り、無数のナイフがルシアの手の中から放たれる。グリアムは素早く反応し、セルバを抱えると即座にその場から飛び退いた。


 ルシアはにんまりと口角を上げ、飛び上がったグリアムの元へ更にナイフを放って追撃する。迫る無数の刃にセルバは目を見開き、くぐもった悲鳴を上げた。



「む、むむー!?」



 空中では避けようがない。セルバは焦燥し、涙目で身を強張らせる。


 しかしグリアムは向かって来るナイフを冷静に見つめ、己のてのひらを前方にかざした。



「“反転せよInver-sión”」



 短い詠唱の後、彼の周囲の空気は大きく波紋を描く。直後、見えない壁に弾き返されたナイフの雨はルシアへと矛先を変えた。彼は僅かに目を見張り、ナイフを避ける。


 ドドドドッ! と地面に突き刺さるナイフを横目に、ルシアは眉を顰めた。



(……こいつ、魔法も使うのか? しかも空間変異系の上位魔法……さっき白銀の死神アルゲント・モルスが使っていたのと同じ詠唱呪文だと……?)



 トン、と地面に着地した彼は深く眉間の皺を刻み、芋神を睨む。──こいつ、まさか。



「……フン、なるほどな。分かったぞ貴様の正体」


「……!」


「……貴様──なんだろ」


(あ~……なんかあの人、またよく分かんない勘違いしてる~……)



 不可解な発言を放ったルシアにセルバは呆れるが、もはや突っ込むのも疲れてきた。一方のグリアムも「えっ、俺にファンいるの?」とややこしい勘違いをしている始末で、セルバはじとりと彼を見上げて嘆息する。


 ルシアは鼻を鳴らし、再びナイフを取り出して宙に投げ上げた。すると一本のみだったはずのそれは突如分裂し、無数のナイフがルシアの周囲で円を描くように浮遊する。



「……ふん。貴様、面白いな。ますます気に入ったぞ、芋の神ポテイドン」


「……」


「この俺をここまで楽しませるとはな。褒めてやろう、芋の神ポテイドン!」


「……あ、あの、だからその名前、あんまり呼ばないでってば……」


「俺を楽しませてくれた礼だ! 全力で貴様を殺してやる!」



 ルシアは狂気を孕んだ瞳を見開き、今しがた分裂させたナイフを更に増殖させる。それらは空中で寄せ固まり、やがて密集して一つの形を作り上げた。


 セルバは震えながら息を呑み、おびただしい量のナイフによって形成された“それ”を見上げる。


 やがて、ルシアは低い声で詠唱を紡ぎ始めた。



「“我が声をもって命ずるは、あかき血のひらめき”──」



 頭上を覆い尽くすナイフを見上げ、グリアムは目を細める。木々がざわめき、空気が震え、空を覆い尽くさんばかりに密集したそれが頭上でうごめいていた。



「──“やいば猛虎もうこり、犀利さいりな牙で敵の身を裂け”」



 程なくして詠唱と共に無数のナイフで形成されたのは、巨大な“虎”である。


 それは威嚇するかのように恐ろしい表情で見下ろし、刃の切っ先を一点に向けた。おぞましい数のナイフを突き付けられ、戦慄せんりつするセルバの喉からはもはや言葉も出ない。


 にたりと口角を上げたルシアは、冷たい目で彼らを見遣った。



「……これで終わりだ。貴様ら二人共な」



 彼は狂気的な眼を見開き、猛虎をグリアムの元へと差し向ける。



「死ねェ、芋神!! 奥義、“紅虎刃無双べにとらやいばむそ”──」


「──はっくしょん!!」



 ゴウッ!!


 叫んだルシアがいざ刃の猛虎を解き放とうとした、刹那。間の抜けたクシャミが彼の声をさえぎり、その瞬間、グリアムの掌からは強烈な突風の魔法が放たれてしまった。


 またた旋回せんかいした風はルシアと虎を共に飲み込み、彼が声を上げる間も無く一瞬でその身を吹っ飛ばしてしまう。竜巻さながらの強烈な猛風に巻き込まれたルシアは、あらがう事も出来ぬまま青い空の遥か彼方へと飛んで行き──


 ──気が付けば、暗殺者も虎も、グリアムの前から消えてしまっていた。



「…………、あれ?」



 静寂に包まれた畦道あぜみちで、ぽかん、と瞳を瞬く。きょろりと周囲を見渡し、どこに行ったんだ? と首を傾げるグリアムだったが、いくら見渡せど先程の男の姿はない。


 そんな彼の腕の中で、全てを見ていた少年だけが、驚愕に目を剥いたまま硬直していた。



「……、……!?」



 愕然とするセルバは、静かに顔を上げてグリアムを凝視する。


 ……え? 今、一体何が起きた?


 そう考え、黙って彼を見つめるが、先程の光景が衝撃的すぎて全く理解が追い付かない。しかし芋袋を被ったその姿が、少年の目にはとてつもなく光り輝いて見えた。



「……」



 ……今、こいつ、一撃で倒した。

 さっきの、怖い男を──たった一撃で。


 ……こ、こ、こいつ……!



(めっちゃかっけええええ!!)



 よわい十二歳の少年が最終的に導き出したのは、そんな結論だった。強大すぎる魔法の力にすっかり魅了されてしまったらしく、ただの芋袋ですらイカした覆面に見えてしまう。


 そんな彼の熱視線に気が付いたのか、グリアムはふとセルバに視線を向けた。彼は嘆息し、未だにその口元を覆っている布の結び目を解いて緩める。



「……ああ、悪かったな、色々騒がしくて。大丈夫か? 怪我はない──」


「──師匠!!」


「……へ?」



 唐突に放たれた単語に、グリアムは間の抜けた声を発した。しかしセルバはやはり瞳を輝かせ、「師匠、めっちゃかっけーっす!」と彼を絶賛する。


 グリアムは困惑し、声を詰まらせた。



「……? え、えーと? 師匠って何……誰が? 誰の師匠……?」


「貴方です、お芋師匠! とてつもなくカッコよかったです! 僕を弟子にしてください!」


「は、はあ!? お前、いきなり何言って……」



 と、そこまで口にした頃、グリアムはふと気が付いた。


 今の自分は、グリアム=ディースバッハでは無い。

 芋の神・ポテイドンである。


 つまりこの少年は、芋の神に憧れているのだ。



(……そ、そうか……生意気盛りとは言え、セルバはまだ子供……。神を名乗る男が目の前に現れれば、少しは憧れるものだよな、うん)



 グリアムは一人でそう結論を出し、セルバを見下ろす。ごほん、と咳払いを一つこぼした後、彼はやや掠れた声を絞り出した。



「……ふむ。君の気持ちは嬉しいのじゃが、我は芋の神。土の下のポテイトーン王国に戻らねばならぬ……。ゆえに人間である君を、我の弟子にするわけには──」


「いや、何言ってんの? あんたグリアムさんでしょ?」


「…………、」



 ……え。


 呆れ声を発したセルバの発言に、グリアムはじわりと冷たい汗を浮かべる。硬直してしまった彼に、セルバは更に続けた。



「普通に最初から分かってたよ、グリアムさんだろうなーって。……ってか、ポテイドンって何? ダサすぎなんだけど……ネーミングセンスないんだね師匠。ポテイトーン王国ってのもめっちゃダッサい」


「……」


「てか、よくバレてないと思ったね? めっちゃヒヤヒヤしたんだけど僕……。まさかこんなに頭の悪い大人がいるとは思わなくてさあ……大丈夫? 僕のお家にたくさん本あるから、少しは勉強して頭鍛えた方がいいよ。そしたらきっとネーミングセンスも良くなるんじゃない?」


「…………」



 容赦なく放たれる辛辣な言葉のトゲが、グサグサとグリアムの心に穴を穿うがつ。芋袋の下で顔から首まで真っ赤に染め上げた彼は、ふらふらとその場に座り込んで頭を抱えた。



「わ……!? ど、どうしたの、しっかりしてお芋師匠!」


「……殺せ……」


「え?」


「……もういっそ……、俺を殺してくれ……!!」


「何でっ!?」



 グリアムは羞恥に耐え切れず、とうとうその場に膝をつく。そして、彼は心の底から叫んだ。



「誰か俺を殺してくれーー!!」



 望み通り殺しにやって来た暗殺者を、たった今自分で撃退してしまった事など、知る由もなく……。




 * * *




「……うう……くそ……芋の神め……」



 グリアムの家から数キロ離れた山の中。地面に這いつくばり、傷だらけになったルシアは忌々しげに声を発した。


 先程の、“芋神ポテイドン”と名乗る男との戦闘では一体何が起こったのだろうか。全く記憶が無い。いつの間にか吹き飛ばされていた彼は地面に体を強打し、つい今の今まで気を失っていたのであった。



「……ぐっ……、この俺が、こんな醜態を……!」


「──あーあ、負けちゃったか。偉そうな事言ってたけど、やっぱり君じゃ死神グリアムの相手にはならなかったみたいだね、ルシアくん」


「……!」



 くすくすと笑い、どこからともなく黒い外套がいとう姿の男が姿を現す。それが自分にグリアムの暗殺を依頼した男だと、ルシアはすぐさま理解した。直後、彼は男の発言に眉を顰める。



「……グリアム、だと……?」


「そうだよ、グリアム。こっそりアンタらの戦闘見てたけど、やっぱ面白いね、彼。妙な変装しちゃってさ」


「……変、装……」



 ルシアは呟き、ふと、芋の袋を被っていたポテイドンの姿を思い返した。

 袋の穴から覗く琥珀の瞳に、細身の体型。よくよく考えてみれば、グリアムのそれと一致している。


 ……よもや、自分は騙されていたのか?


 そう考えて──ルシアは奥歯を軋ませた。騙された上に、敗れたという事実。それはマーテル山よりも高い彼の自尊心をぐらぐらと揺さぶって傷付ける。


 震える手で地面の土を握り込む彼の横で、外套の男はへらへらと笑った。



「ま、しょうがないね~、負けは負けだし。ってわけで、あんたへの今回の報酬はナシに──」


「報酬など要らん……」


「……へ?」


「おのれ……、おのれグリアム=ディースバッハぁ……!」



 ぶるぶると肩を震わせ、怒気を孕んだ低音が憎き標的の名を紡ぐ。ルシアは怒りに燃えた目を血走らせ、忌々しげに声を続けた。



「この俺を怒らせた罪は重いぞ……! 覚悟しろグリアム……!」


「……あの~? おーい?」


「貴様の命……! 死を運ぶ黒猫ラモール・ケットの名にかけて、必ずや奪い取ってみせる……!」


「……あー、ダメだこりゃ。完全に自分の世界に入っちゃってるわ」



 外套の男は嘆息しながらも、「まあいっか」と楽観的に言い放って背を向ける。立ち去っていく男には目も向けず、怒りに燃える暗殺者──ルシアは、グリアムを殺す事を心に固く誓ったのであった。




 * * *




「ふえっくしょい!」


「お芋師匠、風邪ですか?」


「いや……、ってか、師匠じゃないから……」


「嫌です、お願いします! 弟子にしてください! 師匠!」


「あー、もー……」



 世界最強に付き纏う人物が、いつの間にか続々と増えている事を、当の本人はまだ知らない。




〈第3章 …… 完〉

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