第15話 vs 暗殺者
キィン、と閃光が
アプロルにレモネン、小麦粉と
(良かった……全部あるな)
ふう、と安堵の息をつき、グリアムは家に向かって歩き出した。やれやれ、随分と疲れるお遣いだった──と考えた、その瞬間。
彼は重大なミスに気が付く。
「……あっ……」
──“猫避けの薬”、調合してもらうの忘れてた。
それを思い出し、彼は眉間に深い皺を刻んだ。出掛ける前、ウルに「ダッシュで買ってこい」と頼まれていた薬である。食料品にばかり気を取られ、すっかりその存在を失念していた事に気が付いたグリアムは「しまったぁぁ……」と頭を抱えた。
「……やばい……買って帰らないと怒るよな、あいつ……」
はあ、と嘆息し、脳裏にウルの姿を思い浮かべた。
妄想の中の彼女はにこりと微笑み、「はァ? お遣いもロクに出来ないんですかぁ? このポンコツ芋野郎」と銃を構えて
あくまでただの想像に過ぎないのだが──現実の彼女の反応も、おそらく大差ないだろう。
(やばい、めっちゃ帰りたくない……何であんな女と結婚しちまったんだ俺……。いや、本当に結婚したわけじゃないけど……なんかあいつ完全に恐妻モードだしな……)
うふふふ、と微笑んで上司を
(……あいつ、可愛かったんだけどな、昔……)
グリアムくん、と小さな涙声で呼び掛け、服の裾を握ってついて来る幼い頃の彼女を思い出す。
あの頃のウルは同世代の子供達の中でも控えめで大人しく、あまり自分の意見を口に出せない子供だった。
魔導師としての才能はあったが、身体能力も魔法の技術も周囲に劣り、いつも部屋の隅で膝を抱えて一人で泣いているような──そんな姿を、よく覚えている。
一方のグリアムはその頃から既に規格外の魔力を持っていたため、魔導師としての質を高めるべく同世代の子供達とは切り離された生活を余儀なくされていた。
故に幼少期のウルと直接関わる機会は決して多く無く……というか、ほとんど関わっていない。
しかし、日々の監視された生活に飽き飽きしたグリアムがひっそりと宿舎を抜け出すと、よくウルが裏庭の隅で縮こまって泣いていて。そこでたまに顔を合わせるのが、幼い彼女との唯一の接点だった。
いつしか二人は言葉少なに会話を交わし、互いに歩み寄るようになって行ったわけだが……それがまさか、時が経ってあんな鬼嫁になろうとは。
(……つーか、俺の部下になってからだよな……? あいつが今みたいな性格になったの……)
数年前、師団長補佐に就任したウルがグリアムの元へ現れた際の事を思い出す。暫く顔を合わせないうちに随分と大人びた美女へと変貌を遂げていた彼女に、些か緊張もしたグリアムだったが──
再会した彼女の印象は、とにかく最悪だった。顔を合わせるなり眉を顰め、言い放ったのはこの言葉。
『……え、やだ……まさか、貴方が噂の“
『……』
いやよろしく出来るかあああ!!!
腹立たしい自己紹介を思い返してしまい、グリアムは思わずバスケットを地面に叩き付けそうになったが寸前で耐えた。はあ〜、と吐き出した深い溜息が空気に溶け、冷静さを欠いた頭が徐々に落ち着きを取り戻す。
(……いかんいかん、冷静になれ俺。しかしあの時のウルにはマジでムカついたな、美人になってて一瞬緊張したのがアホらしい)
深呼吸を繰り返し、彼は未だに荒ぶっている心を落ち着かせた。……全く、あいつは一体どうしてあんな風に性格がねじ曲がってしまったのやら。
そう考えつつ、グリアムは手元のバスケットに視線を落とす。
(……何にせよ、このまま帰ったら怒られるよな……。面倒だが仕方がない、もう一度村に戻って──)
──と、そこまで思い至った直後。
突如グリアムは背後から鋭い殺気を感じ取り、ハッと弾かれたように身を
彼が地を蹴ったその瞬間、それまで彼が居た場所には無数のナイフが突き刺さっていた。
「……ほう。やはり避けるか、
「……!」
不意に掛けられた聞き慣れない声にグリアムはぴくりと反応する。くくく、と喉を鳴らしながらその場に現れたのは、黒い装束に身を包んだ見知らぬ男だった。
猫の耳に、長い尻尾。右の頬にはタトゥーのような紋様が彫られ、鋭い目付きでグリアムを睨んでいる。
(……あ、あれは……ポテ芋……!? ま、まさか……!)
グリアムは息を呑み、すぐに手元のバスケットの中身を覗き込む。すると、明らかにロバートから貰ったポテ芋の数が減っていた。
よく見れば、芋の袋とバスケットの底に幾つか穴が空いてしまっている。
(し、しまった! あの穴から芋が落ちたのか……!!)
途端にグリアムは焦燥に駆られ、目を見開いた。せっかくロバートさんに譲って貰ったのに……! と焦る彼の視線は、傾斜をどんどん転がって行く芋を追い掛ける。
一方、
(……フン、どうやら俺の登場に驚いているようだな。くくっ、絶望に満ちた良い表情をするじゃないか。今からもっと絶望してもらうぞ、死神ィ……!)
(あ、あああ、芋が……! よく見れば三つも足りないっ……!!)
考えが見事にすれ違う両者はそれぞれの思惑を抱え、互いに──見ている物は違えど──向かい合う。
そして、彼らはついに地を蹴った。
(死ねェ! 死神!)
(待てェ! 芋!)
──ビュンッ!
短剣を引き抜き、
「……っ!」
ルシアは目を見張り、詰め寄るグリアムから一気に距離を取る。直後、手を伸ばしたグリアムのその手の中には──転がっていた芋が、綺麗に収まっていた。
(……よし! とりあえず芋はひとつ救出したぞ!)
(コイツ……っ! やはり俺の攻撃を完全に見切っている……!)
攻撃を躱されたルシアは勘違いを加速させ、忌々しげに舌を打った。やはり一筋縄では行かないようだな死神……! と奥歯を
しかし自尊心の高い
「──“
彼が冷静に詠唱を紡いだ刹那、グリアムの周囲の空気が
キンッ、と弾かれたように向きを反転したナイフは、投げ放った本人であるルシアへと矛先を変えて一直線に向かって行った。
「……っ!? くそ!!」
憎らしげに声を上げ、ルシアは木の上に飛び上がる。無数のナイフは誰もいない地面に次々と突き刺さり、やがて剣山さながらの状態となった地面には砂埃が舞った。
その場を脱し、しなやかな身のこなしで枝から枝へと飛び移るルシアを見上げながら、グリアムは眉を顰める。
(……ていうか……あいつ、誰?)
そしてようやく、彼は「なんかよく分かんない人に襲われている」という今の状況に気が付いた。グリアムは先程拾い上げた芋の表面を撫でながら、頭上を駆け回る影を目で追いかける。
(……? いや、全然知らない男だったよな。……でもさっき、俺を
任務先で仮面を着用している際にしか呼ばれる事の無いその名を告げた彼を見上げ、グリアムは更に
戦闘慣れした俊敏な身のこなし。
なぜか知られている正体。
なんかよく分からんけど付き纏ってくる。
──まさか。
(……まさか、あの男……、“
そう考え至り、グリアムはじわりと嫌な汗を浮かべた。よもや、家出した自分を連れ戻しに来たのでは。
(……そ、それはまずい! さっさと身を隠そう!)
焦燥に駆られた彼は即座に地面を蹴り、鬱蒼と茂る森の中へとすぐさま逃げ込んだ。無論、ルシアがそう簡単に逃がすはずもない。
「待て、死神ィ!!」
即座に後を追い掛け、茂みを掻き分けて短剣を振り回す。しかし既にどこにもグリアムの姿は無く、ルシアはチッと舌打ちを放った。
「……隠れたか」
ふん、と鼻を鳴らし、彼は踵を返す。そんなルシアの姿を木の影に身を潜めながら眺め、グリアムは「諦めてくれたみたいだな……」と胸を撫で下ろした。
が、安堵したのも束の間。
「──おい、死神。どこかで見ているんだろう。貴様が出て来ないというのなら、この
「……!」
はっ、とグリアムは目を見開く。
やがて、んー、んんー! というくぐもった声が耳に届いたかと思えば、ルシアに首根っこを捕まれた一人の少年の姿が彼の視界に飛び込んで来た。
(……セルバ!?)
彼──セルバは両手両足を縛られ、目元と口元に布を巻き付けられた状態でぶるぶると震えている。ルシアは不敵に口角を上げ、狂気に満ちた瞳孔を開いた。殺意を帯びるその瞳が、血に染まるグリアムの姿を待ちわびているようである。
「……さあ、選べ
くく、と楽しげに喉を鳴らして彼は続けた。グリアムは木の裏に身を潜めたまま、今しがたルシアが放った言葉の意味をゆっくりと咀嚼し、盛大に眉根を寄せる。
(……え? あの人俺を殺そうとしてんの?)
今の今まで何度も殺されかけていたというのに、グリアムはそもそも、たった今その事実を理解したのであった。
.
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます