幕間
幕間 - 2 - ウルティナの本音
まだ薄暗い部屋の中、しとしとと降り続く雨の音が耳に届く。
近くで穏やかに繰り返されている呼吸音と、やけに暖かな人肌の温度。そんな温もりに包まれて、ウルはふと目を覚ました。
「……ん……」
未だにぼんやりと霞む視界。まず最初にその目に映ったのは、黒いインナーと無造作に伸びた白銀の髪だった。そろりと視線を上げれば、瞳を閉じて眠るグリアムの整った顔が至近距離にある。
(……グリアム、くん……)
まだ深い眠りの中にいる彼の顔を見つめ、やがて沸々と羞恥心が込み上げた。程なくしてウルは顔も耳も真っ赤に染め上げ、どくどくと高鳴る胸を押さえると咄嗟に彼から目を逸らす。
昨晩の出来事は、全部自分の夢だったんじゃないかと思っていた。けれど、多分、夢じゃない。
そう思うと、更に羞恥心が増してしまう。
(……は、初めて、男の人から……抱き締められた……)
ウルは火照る頬を両手で押さえ付け、平常心を保とうと表情を引き締める。が、なかなか上手くいかなかった。
──ああ、もう。調子が狂う。せっかく気丈に振る舞っていたのに。全部グリアムくんのせいだ。
ウルは恨めしげに心の中で呟き、涙目でグリアムを睨んだ。しかし
「……グリアムくんのばか」
微かな声でこぼし、ウルはその胸にそっと身を寄せた。彼の温度と匂いを感じながら、彼女の心は自然と安堵感に包まれる。
やや強引にこの家に押し掛け、グリアムと暮らすようになってから、朝は必ず彼の寝顔を覗き込むのが習慣化してしまっていた。
普段の彼は壁と向かい合って眠っているのだが、今日ばかりはこちらを向いているため覗き込まずともその顔が確認出来る。ウルは緩む口元を引き締める事も出来ず、暖かなその胸の中にぎゅう、と抱き着いた。
本当はずっとこうしていたい、なんて、口が裂けても言えない。なぜなら、自分は恐ろしい程に素直ではないのだ。──緊張を解こうと意識しすぎて、口が勝手に毒や暴言を紡いでしまう程度には。
(……口だけは達者になったけど……本当の私が、昔とちっとも変わってない弱虫のままだって知ったら……グリアムくん、幻滅するかな……)
ウルは視線を落とし、切なげに目を細める。
彼の横に並び立つために、幼かったウルは誰よりも努力して強くなった。人よりも劣っていた身体能力や魔法の技術を鍛え、体が傷だらけになるまで連日鍛錬に打ち込んだのだ。
長い年月をかけて修行するうち、周りから馬鹿にされぬようにと自然と身に付けたのが、あの毒舌や威嚇射撃である。弱い自分を見せぬよう、取り繕った笑顔の裏に全てを隠して過ごして来た。
そうして
……しかしまさか、自衛のために始めたこの毒舌や傲慢な態度をこじらせすぎて、憧れ続けた彼にまで毒を吐き散らかす事になるとは──その時は思いもしなかったのだけれど。
(……あーもう……私のバカ……何ですぐ余計な事言っちゃうの……)
はあ、とこぼれ落ちる溜息。暖かいグリアムの胸にすりすりと頬を寄せ、起こさぬよう控えめに抱き締める。
昨晩は寝るのも遅かった上に、今は早朝。おそらくあと数時間、彼は起きないだろう。
「……」
ウルは黙ったまま、彼の寝顔を見つめた。長らく見て来たその顔は随分と大人びたけれど、まだ幼い頃の面影が少し残っている。
特に、昨晩の少し不機嫌そうな顔は、昔「昼食に嫌いな野菜が入ってた」と拗ねていた時の表情とほとんど変わっていなくて笑いそうになってしまった。
(……そういえば、昨日……どうしてあんなに機嫌悪かったのかな)
ふと、ウルは昨晩拗ねていたグリアムの事を思い返しながら考える。彼の挙動がおかしいのはいつもの事だが、昨日は明らかに様子がおかしかった。
突然「師団長って呼ぶな」と言い出したり、アンデルムとの関係を訝しんだり。あんな風に抱き締められるなんて事も初めてだ。おかげでつい動揺してしまった。
ウルは視線を落とし、無言のまま考え込む。
(……もしかして、ヤキモチとか、妬いてたりして)
と、そう考えてすぐに顔が熱を持った。……いやいや、この激ニブ芋野郎に限ってそれはないでしょ、自意識過剰にも程があるわ私……! と都合のいい解釈に結び付けようとする自身の妄想を
やがて再び彼女は顔を上げ、すやすやと呑気に眠る彼を見つめた。安心しきった表情で眠るその綺麗な寝顔が、なんだか無性に腹立たしい。
……本当、人の気も知らないで。
(……そもそも、ヤキモチなら……私の方が妬いてるし……)
むう、と無意識に眉根が寄る。
ここ数日、彼の周りには人が増え過ぎているのだ。元々グリアムは無自覚に人を
先日、セルバから彼の膝の上を奪い取った時だってそうだ。グリアムがセルバや
そのまま勢いで抱き着いて、グリアムの背中にあんな言葉を記してしまった事に関しては、少し反省しているけれど。
(……ほんと、馬鹿みたい……『私も見て』、だなんて……)
女々しすぎて笑える、とウルは自嘲した。
やがて彼女は名残惜しく思いながらも彼から離れ、まだ深い眠りの中にいるグリアムの体に毛布をかける。
微笑みを浮かべたウルは穏やかな寝息を繰り返す彼を見下ろし、その髪をそっと撫でた。
「……グリアムくん」
「……」
「私が、必ず守るからね」
そう呟いたウルの脳裏に一瞬過ぎったのは──美しく咲き誇って、すぐに踏み散らされた、仲間はずれの赤い薔薇。そして、潰れてしまったその花弁に涙を落とした幼い自分の姿。
ウルはグリアムの手を握り、切なげに微笑んだ。
「絶対に、守るよ……」
──だって、そのために彼女は、
〈幕間 2 …… 完〉
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