第3話 探さないで下さい

 執務室を出た二人は長い廊下を歩き、普段彼らが自室として利用している宿舎へと向かっていた。カツカツとブーツを踏み鳴らし、ウルの腕を引いたまま前を歩くグリアムに「いつまで女性の体に触れているつもりですか?」と微笑みながら彼女が問い掛ける。


 呆れたように振り返ったグリアムは、仮面の下で盛大に眉を顰めた。



「妙な言い回しをするな。お前が余計な事ばかり口走るのが悪いんだろうが」


「ふふ、やだ〜。真実を述べただけじゃないですかぁ〜」


「お前の発言は悪意だらけなのがありありと分かるんだよ……少しは上司である俺の気苦労も考えろ」



 はあ、と嘆息しながらグリアムはウルの手を解放する。ウルは口角を上げたまま、「団の最高権力者の挨拶を平然と無視するような上司に言われても、説得力なんかありませんねえ〜」と変わらず毒を吐いて自身の目元を隠している仮面に手をかけた。


 目深に被っていたフードと共にその仮面を取り去れば、普段刺々しい言葉ばかり紡いでいるとは到底思えぬような可憐で愛らしい素顔があらわになる。長い亜麻色の髪を一つに結い上げた彼女は、優しげな青い双眸をグリアムに向けて目尻を緩めた。



「それでは、私は自室へ戻らせて頂きますね。お疲れ様でした、師団長。せいぜい寝首を掻かれませんように~。良い夢を~」


「……だから一言多いんだよ、お前は」



 そもそも寝てる間に俺の首を取れるとしたらお前ぐらいだ、と小声で呟き、高く結った髪を揺らして去って行く部下の背中を見送る。やがてその姿が廊下の突き当たりを曲がって見えなくなった頃、グリアムは指先で宙に五芒星ペンタクルを描いた。



「“転移せよse-déplacer”」



 呪文と共に描いた五芒星が淡く輝き、グリアムの体を包み込む。途端に彼の姿はその場から消え──ひとつまばたいた頃には、殺風景な自分の部屋へと一瞬でしていた。



「……」



 グリアムは小さく息を吐き、ようやく任務が終わったと肩の荷を下ろす。深く被っていたフードを脱ぎ、顔を覆い隠していた銀の仮面を取り外せば、無造作に伸びた白銀の髪と琥珀色の瞳が現れた。


 整った容姿ではあるが、その顔にはまだ少年のような面影が残っている。



(……今日も、つまらない任務だったな)



 静まり返る部屋の中、グリアムはローブを脱ぎながら退屈そうに視線を落とした。思い返すのは勿論、本日ウルと共におこなった北の地での任務である。


 ──今日の二人の任務は、森の中に現れた大量の魔獣ヴォルケラを討伐するという内容だった。


 そもそも、あれは自然に発生した生き物では無い。

 魔獣ヴォルケラとは、大陸西部にある“レイノワール帝国”によって開発された生物兵器の総称である。野生動物に特殊な魔力を注ぎ込み、意思を奪って凶暴化させた生命体。人の手によって創り出されたなのだ。


 それらは帝国軍によって設置された“魔獣核ヴォルコア”と呼ばれる転移装置を介して作為的に敵国の領土内に送り込まれ、大陸各地に甚大な被害をもたらしている。


 そんな帝国の脅威から人々を守るべく、大陸各地から腕の立つ魔導師を集めて設立されたのが──ここ、“白薔薇の教団ロサ・ブランカ”。団員達は大陸中を日々駆け回り、各地の魔獣核ヴォルコアを破壊して、凶暴な獣達から国を守っているのだ。


 中でもグリアムとウルは戦場において最前線を担う“第一師団”のリーダー格であるだけに、特に凶暴な魔獣ヴォルケラ蔓延はびこっている地域に派遣される事が多い。数百、数千といった軍勢を相手取る事もしばしばな二人だが──しかし。


 グリアムは、そんな生活にすっかり飽き飽きしていた。


 何故なら、立ち向かうべき相手が総じてからである。



(いくら数千の群れで襲い掛かって来た所で、俺の魔法の一撃で全部消し飛んじまうんだよな……)



 はあ、とグリアムは後頭部を掻いて嘆息しながら高級感のある上質なベッドに腰掛けた。──つまらない。非常につまらない。“世界最強”だ、“死神”だと周囲にどれほど持てはやされた所で、もはや何の感情も生まれない程度には心が凍てついてしまっている。



(……旅に出たい……田舎でのんびり暮らしたい……友達欲しい……。最強とか、何が楽しいんだよ……もうつまんねー……)



 口から零れ落ちるのは溜息ばかり。どうしてこんな事になった。こんなつまらない毎日の、どこに自分の生きがいがあるんだ。そう考え、グリアムは柔いベッドに倒れ込む。


 ──物心ついた頃には魔法の才を見込まれ、教団に引き取られて、ウルや同世代の子ども達と共に教団内での生活を始めていた。


 しかしグリアムの魔力の強さがあまりにも規格外だったために、同世代の子ども達からは早々に引き離され、隔離されて──たった一人、孤独に魔術を扱うためのすべを叩き込まれる事になった。


 友人も出来ぬまま、勉学や娯楽に身を投じる事も無く、ただ戦場を生き抜くための実力だけが向上して行く毎日。

 そんな生活を続けるうちに、いつの間にか彼は戦闘団の師団長を務めさせられるまでになっていたのだ。


 一見、トントン拍子に出世して来た順風満帆な人生だろう。だが、いくら周囲から讃えられても、一向に心の満足感が得られない。



(……つまらない、な……)



 グリアムは一度閉じたその瞼をゆっくりと持ち上げ、己の掌へと視線を落とす。……魔術なんて、使えなければ良かったのに。そう何度思った事だろうか。



「……こんな所、来るんじゃなかった」



 ぽつり。呟いた声は静寂の中に溶けて消える。

 時折、自分は孤独なのではないかと酷く不安になるのだ。可愛げのない補佐や呑気な上司は居るものの、彼には家族も居なければ友人も居ない。その作り方も分からない。──つまらない。心底そう思う。



(……ここじゃない、どこかに行きたい)



 グリアムは虚空をぼんやりと見つめ、強く願った。具体的な希望は何も無い。ただ、この閉鎖的な教団ホームを出て自由に暮らせるのであれば、どこでもいい。


 ああ、もういっそ、少しの間だけでも家出してしまえれば──。



「…………」



 ──


 はた、とグリアムは瞳を瞬いた。一瞬頭に浮かんだその言葉を、彼は今一度脳内で繰り返す。


 家出。いえで。

 家を、出る。



(……あれ……? もしかして……)



 ──俺、家出すればいいんじゃないのか?


 そんな名案が、孤独に慣れた彼の脳裏にすとんと舞い降りてきた。途端にグリアムは光を無くしていたはずの双眸を輝かせ、上体を起こす。


 思えば、この教団に連れてこられて以降、己の我儘わがままを誰かに告げた事など無かった。常に求められるがまま、周囲の期待と名声を背負い、魔獣ヴォルケラを蹴散らして屍を積み上げる日々。気が付けば十代を終え、いつの間にか成人していた。


 このままずっと、死ぬまで同じような生活が続くというのなら。



(……一度くらいは、俺の我儘を通しても、いいんじゃないか……?)



 グリアムはその答えに行き着き、徐ろに腰を上げる。

 そして彼は羽根ペンを握り、暗い部屋の中でひっそりと、卓上の紙にインクの付いたペン先を走らせた──。




 * * *




「ふん、ふん、ふーん……」



 窓際に留まっている小鳥達のさえずりに合わせ、鈴のような声で鼻歌を口ずさみながら、穏やかな日差しを浴びたウルは亜麻色に輝く長い髪にくしを通す。

 さらさらと流れる髪をかし、一つに纏めて高く結い上げた頃──彼女の部屋の扉は勢い良く開いたのであった。



「ウルティナ様ぁ!!」



 バァン!! とけたたましく扉が開いた瞬間、窓際で歌っていた小鳥達が一斉に飛び立つ。ウルはぴくりと一瞬眉根を寄せるとすぐさま笑顔を浮かべ、今しがた飛び込んで来た男に銃口を向けた。



「まあ、おはようございます。朝からうららかな淑女の寝室に無断で押し入るなんて、新手の自殺志願でしょうか? でしたら、お望み通り額のド真ん中を派手に撃ち抜いてさしあげますね? せーの……」


「ち、ち、違います! 落ち着いて下さい!! 失礼は重々承知の上ですが、そんな事より大変なんですって!! これ見て下さいよ!!」


「わぷ」



 慌ただしく男は首を振り、ウルの顔面にメモのようなものを押し付ける。「もー、何なんですか、本当に殺しますよ……」と呟きつつ彼女はそのメモに視線を走らせ──にこりと、穏やかに微笑んだ。



「……あら?」



 やんわりと細められた目尻。愛らしく傾げられた小首。しかし、放たれた声には僅かな殺気が滲んでいる。



「あらあらあら。まあまあまあ……」


「う、ウルティナ様……」


「なるほど、そうですか。そうですかぁ~」



 うふふ、と一通りメモに目を通したウルは上品に微笑んだ。やがてそれを目の前の卓上に置き──バキリと、手に持っていたくしを片手でへし折る。男の頬は途端に引き攣った。



「これってつまり、あの人がって事ですよね?」


「……は、はい……」


、自分だけ悠々自適に暮らすって事ですよね?」



 うふふふふ、と穏やかな声に静かな怒りを孕ませたサソリが微笑む。男は震え上がり、ただひたすらこくこくと頷いた。



「へえ~、なるほどぉ~」


「……」


「良い度胸してるじゃないですか〜、あのクソ野郎」



 青い双眸をぎらりと光らせ、ウルは立ち上がる。「一人だけ良い思いをさせる訳には行きませんね」と口角を上げた彼女は、カツカツと踵を踏み鳴らして歩き始めた。



「そう簡単には逃がしませんよ、師団長」



 愛用の銃を指先でくるくると回した彼女は不敵な笑みと共に宣言し、颯爽と部屋を出て行く。


 彼女の部屋の中に残されたのは、震え上がる男の姿と、卓上に放置された走り書きのメモ。その文面には、こう記されていた。




 ──世界最強の魔導師は家出したので探さないで下さい。




 最強の男による命がけの家出が、今、幕を開ける。




 .


〈第1章 …… 完〉

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