第2章 結婚は突然に

第4話 vs 芋

 ──オルバエスト大陸中部。マーテル山脈に囲まれた、山のふもとにある小さな村外れ。


 荒れた農地の一角にくわを振り下ろし、土を耕す青年は泥の付着した手で銀の髪を掻き上げ、額に浮かぶ汗を拭った。西の山に沈みゆく太陽が空を赤々と染める様を仰ぎ、無意識のうちにほう、と息を吐く。そんな彼の背後から、腰を曲げた老婆が不意に声を掛けた。



「グリちゃん」


「──!」



 呼びかけられ、青年──グリアムは振り返る。老婆はやんわりと破顔し、水の入った革袋を彼に手渡した。



「ずっと働いて、もう疲れたでしょう。助かったわぁ。もうすぐお日様も沈んでしまうし、そろそろ切り上げて大丈夫よ。ありがとう」


「……いや、その……小屋を貸して貰ってるんで……。これぐらいで良ければ、いつでも手伝い……ます」



 慣れない敬語を用いてぼそぼそと告げれば、「あらあら、気にしなくていいのに」と老婆は微笑んだ。グリアムは手渡された水を喉に流し込み、再び深く息を吐き出す。



「……農地を耕すって、大変だな……魔獣ヴォルケラを殺す時は魔法の一撃で終わりだったから……」


「ん? グリちゃん、何か言った?」


「……あ、いえ。お水、ありがとうございました……リザさん」



 グリアムは老婆──リザに礼を告げ、近くの木に鍬を立てかけた。彼女は首を傾げつつ、彼から革袋を受け取る。


 ぼんやりと赤い空を仰ぐグリアムに、やがてリザは優しげな微笑みをを浮かべた。



「ああ、そうだわグリちゃん。農作業のお手伝いしてくれたお礼に、今夜うちでお夕飯食べていかない? 昨日採れたお芋でスープを作ったから」


「え……、あ、いや……俺が勝手に手伝ってるだけだし、昨日もご馳走になったし……そこまで甘えるわけには……」


「あらあら、遠慮しなくていいのに。……じゃあ、お芋だけでも少し持って帰って頂戴。たくさんあって私一人じゃ食べ切れないから」


「……」



 うふふ、と優しく微笑み、リザは収穫して間もない“ポテ芋”の入った麻袋をグリアムに手渡す。彼は表情に戸惑いを浮かべ、暫し迷った末に、ずしりと重たいそれを彼女から受け取った。



(……こ、これ……どうすればいいんだ……?)



 グリアムは困惑し、頬を引き攣らせる。

 流れに任せて受け取ってしまったものの、教団から支給される食事しか取った事の無い彼には調理方法どころか「芋の皮の剥き方」すらも分からないのだ。


 しかし折角親切に分け与えてくれたものを、要らないと一蹴して突き返すわけにもいかない。



「……あ、ありがとうございます」


「ふふ、焼くだけでも美味しく食べれるわよ。調理道具が足りなかったらいつでも言って頂戴ね」


「……はあ……」



 とりあえず、魔法の火で焼いてみればいいか……?


 自信は無いが、まあどうにかなるだろう。グリアムはそう結論を出し、再びリザに礼を告げた後、芋の入った麻袋を抱えたままその場を離れたのであった。



 ──彼が教団に置き手紙を残し、一世一代の“家出”に踏み切ってから、早いものでもう一週間。

 宛ても無く歩き出した彼は、教団を出てからたったの二日で──早速、


 世界最強の肩書きを背負っているとは言え、野宿の経験もなければ包丁を握った事すらない彼である。獣や暴漢に襲われる心配はなかったものの、人生初の「飢え」には、全く歯が立たなかったのだ。


 丸二日も食事に有り付けず、空腹に耐えかねた彼はとうとう山の中で倒れた。生まれて初めて感じる強烈な空腹。あまりの辛さに、「俺はもうダメだ……」と半ば諦めかけた頃──偶然通りがかった老婆が、彼の身を案じて声をかけたのである。


 その時グリアムを救った老婆というのが、先ほどのリザであった。



(……リザさんは、本当に良い人だ……。口下手で愛想も悪い俺に食事を与えてくれて、空き家まで貸してくれるなんて)



 グリアムは小さく息を吐き、芋の入った麻袋を抱え直す。


 行き倒れていたグリアムを救ったリザは、山の麓で一人暮らしをしていると言い、家を飛び出して行く宛てがないと告げた彼に「だったら、ちょうど使ってない小屋があるのよ。まだ建てたばかりなのに使わないのも勿体ないから、良ければ好きなだけ使って頂戴」と快く空き家を提供してくれたのだった。


 最初は一晩だけで出て行くつもりだったグリアムだが、彼が過ごしやすいようにと部屋を掃除してくれたり、食事を分け与えてくれたり、着替えを用意してくれたりと、生活能力に乏しい彼に心優しく尽くしてくれるリザについつい甘えてしまい──結局、こうして五日ほどここに居座ってしまっている。



(流石にタダで面倒見てもらうのは気が引けるし、農作業を手伝うと言ってはみたが……結構大変だったな……)



 はあ、とグリアムは嘆息した。普段何気なく食していた野菜や小麦が、まさかこんな重労働の末に収穫されていたとは。魔獣ヴォルケラ退治よりも遥かに大変な仕事じゃないか、などと考えているうちに、彼はリザから貸りている家の前へと辿り着く。


 小さな木造の一軒家。

 周囲は伸びた雑草や散らばった枯葉によってやや荒れてはいるが、外装はまだ比較的新しい。家を借りた初日にリザが掃除してくれたため、室内も──かなり殺風景ではあるが──小綺麗に片付けられている。ごちゃごちゃと物で溢れた空間を嫌うグリアムにとっては、生活感に欠けたこのぐらいの質素さが心地よかった。


 グリアムは鍵を差し込んで部屋の扉を開け、中へと足を踏み入れる。

 薄暗い部屋の燭台に魔法で火を灯せば、やはり殺風景な室内が彼を出迎えた。グリアムは芋の入った麻袋を床に降ろし、徐ろに中を覗き込んで、いびつな形をしたそれを一つ取り出す。



(……焼くと旨いって、言ってたよな……)



 ふむ、と顎に手を当て、グリアムは芋を持ったてのひらに魔力を込めた。──そして加減もせず、彼は魔法で火を放つ。



「“火よ灯れluz-flamma”」



 直後。


 手の上にあったはずの芋は、当然のごとく燃え盛り──やがて、見事なへと変貌を遂げていたのであった。




 * * *




(……芋を焼くって……難しいんだな……)



 ぐうぐうと鳴る腹を押さえ、足元に積み上げられた消し炭芋だった物から目を逸らしたグリアムは、深い溜息と共に頭を抱えて項垂れた。強すぎる彼の火炎魔法によって、五つの芋が犠牲になってしまったのだから致し方あるまい。

 折角リザさんに譲って貰ったのに……、と自らの失態に心の底から落ち込んでしまう。


 ちらりと麻袋の中を一瞥すれば、芋の数は残り三つとなっていた。



(……もういっそ、生で食べた方が……)



 そう考え、グリアムは袋の中の芋を手に取る。しかし土で汚れたまま食べてはマズいだろうと、彼は再び掌に魔力を込めた。──しかし。



「“雫よ洗い流せlavare-rosée”」



 ──ザパァァ!!


 詠唱と共に勢い良く噴き上がった水流は、凄まじい速度で彼の手から芋をさらって行く。水と共に視界から消えた芋はパァンッ! と派手に壁に叩き付けられて粉砕し、見るも無残な姿となった残骸が床へと散らばった。



「…………」



 眼下に散らばる芋のむくろを黙って見つめ──ようやく、グリアムは気が付く。


 ……あれ? ちょっと待てよ……?



(……俺って……もしかして……)



 ──ポンコツ……?


 じわりと額に嫌な汗が浮かび、グリアムは戦慄した。

 戦場では世界最強の戦闘力を発揮する事が出来る“死神”だというのに、よもや日常生活においての自分は、とことん役に立たないのではないのか。そんな疑念に苛まれる。



(……嘘だろ……? 俺、成人してんだぞ……)



 まさか、そんな。立派な成人男性であるというのに、芋の一つも洗う事が出来ないなんて、そんなはずが……。



「……」



 残った芋を見下ろし、グリアムはごくりと生唾を飲み込んだ。


 ──リザから貰った芋は、残り二つ。


 

(お、落ち着け……! 俺は世界最強の魔導師だ……! こんな、たかが芋如きに、苦戦するわけには……!!)



 芋を睨み、彼は再び掌に魔力を込めた。ぐう、と腹の虫も盛大に空腹を告げている。グリアムは意を決し、詠唱を紡いだ。


 必ず……必ず俺は、この芋を仕留めてみせる……!



「“雫よ洗い流せlavare-rosée”!!」



 ──そして、僅か一秒後。


 噴き上がった水流に弾き飛ばされた二つの芋は、やはり壁に叩き付けられて四散する。


 完膚なきまでの敗北をきっした世界最強の魔導師はついに白旗を挙げ、無力な己を責めながら、床に膝を付いたのであった──。




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