第5話 最恐の襲来

「あら、グリちゃん、どうしたの? 何だか元気がないんじゃない……?」


「……あ、いえ……そんな事、ないです……」



 ──芋に敗れても、陽はまた昇る。


 グリアムはどんよりと負のオーラを放出しながら相槌を打ち、穏やかな陽射しの中でくわを振り下ろした。

 結局、昨晩は夕食にありつけず、ぐうぐうとやかましくうなる腹を押さえ付けた彼は意気消沈したまま眠りについたわけで。


 腹は減るし、部屋は焦げ臭いし。

 己の無力さに絶望する事しか出来ない。


 グリアムは嘆息し、「俺って、もしかして一人じゃ何も出来ないんじゃないのか……」とボヤいて落胆するばかりだった。彼の補佐であるウルが見れば、さぞ楽しそうに笑って馬鹿にする事だろう。


 ──そう考えてふと、白薔薇の教団ロサ・ブランカは今頃どうなっているだろうかと彼は顔を上げた。



(……俺が居なくなった事で、少しは騒ぎになっていたりするのか……?)



 仮にも、グリアムは“世界最強の魔導師”である。教団最大の戦力が突然行方知れずになったのだから、今頃本部内は大騒ぎになっているかもしれない。

 彼の抜けた穴はかなり大きいと思うが──まだ、彼はあの場所に帰ろうとは思えなかった。教団ホームを出た事で己の不甲斐なさに気付いてしまったのだから、致し方ない。



(……まあ、教団は精鋭せいえい揃いだし、俺一人居なくなったところで簡単に魔獣ヴォルケラ共に潰されたりはしないだろうが……、ウルには、悪い事したよな……)



 グリアムは視線を落とし、可憐な笑みと共に毒ばかりを振り撒く可愛げのない部下の姿を思い浮かべた。


 戦場において最前線で戦わねばならない“第一師団”の師団長補佐を担っているウルは、直属の上司であるグリアムの抜けた穴を埋めるべく仕事に追われている頃だろう。


 帰ったらマジで殺されるかもしれないな、と彼は全く笑えない現実に頬を引き攣らせた。



「──おぉーい、リザさん」


「……!」



 ふと、のどかな田園風景の中に第三者の声が響く。振り返れば、よくリザの家に野菜や果物を届けに来る初老の男が手を振っていた。



「あらあら、こんにちは。ご苦労さまです」



 リザがにこやかに会釈すれば、男も破顔して畑の中へと入って来る。──どうやら野菜を売りに来たわけでは無さそうだが、一体何の用だろうか。



「すまんねえ、畑仕事の最中に。やあ、居候くんもこんにちは」


「……」



 微笑む男にグリアムは黙ったまま小さく頭を下げた。その後、「今日はどうされたんです?」と問い掛けたリザに、男は「ああ、それがなあ……」と眉を顰める。



「どうやらマーテル山道さんどうで、帝国の獣が目撃されたらしいんだよ。今朝、村長のせがれが襲われたらしくてな」


「まあ! セルバくんが!?」


「……!」



 帝国の獣──つまり魔獣ヴォルケラである。どうやらこの周辺の山中にまで、奴等が現れたらしい。


 リザは不安げに眉尻を下げ、身を乗り出して男に詰め寄った。



「それで、セルバくんは? あの子は大丈夫なの!?」


「ああ、安心してくれ。セルバの奴は大丈夫だ。危うく殺されるとこだったらしいが……何でも、偶然通りすがった旅人が助けてくれたとかでな。無事に山を越えれたそうだ」


「まあ、旅人さんが……! 良かったわねえ、無事で……!」


だったみたいでな、やたら強かったんだとよ。捜し物してるって言ってたらしくて……って、まあ、それはどうでもいいな。何にせよセルバの奴が無傷で良かったよ、まだ子供だしなあ」



 男が苦笑すると、リザも「本当にねえ」と深く頷いた。グリアムは黙ってその話を聞いていたが、不意に男と目が合って瞳をしばたたく。



「居候くんも、暫くは山に入らない方がいい。危険だからな。今日はそれを伝えに来たんだ」


「まあまあ、そうだったんですね。わざわざありがとうございます。そうだわ、よろしかったらお茶でも飲んで行かれてくださいな。丁度休憩にしようかと思っていたところなの」



 うふふ、と穏やかに笑うリザの誘いを、「おお! では、お言葉に甘えて」と男は快く受け入れた。次いで、彼女はグリアムにも優しげな視線を向ける。



「グリちゃんもおいで、休憩にしましょう。今朝、美味しいマフィンを焼いたのよ」


「……え、あ、いや……」



 そこまで俺に気を遣わないで下さい、と続けようとしたところで──ぐぎゅるるる! と突如グリアムの腹が盛大に音を立てた。

 咄嗟に両手で腹を押さえた彼だったが、二人の耳にははっきりと届いてしまったようで。



「ぶっ……、ハッハッハ! そうかそうか、食べ盛りな頃だもんなあ! こりゃ多めに用意してやらねーと。なあ、リザさん!」


「ふふふ。そうねえ、お腹空いちゃうわよね。たくさんあるから食べて頂戴、グリちゃん」


「…………」



 醜態を晒したグリアムは頬を赤らめて俯き、視線を泳がせて暫し黙り込んだ末に、「……頂きます……」と弱々しく告げたのであった。




 * * *




 結局その日、グリアムはリザの家で大量のマフィンを胃に収め、その食べっぷりを気に入ったらしい農家の男──ロバートから、野菜と果物のお裾分けまで譲り受けてしまった。「お前ヒョロヒョロじゃねえか! 若いんだからちゃんと食えよ!」とロバートはグリアムの背中を叩き、自身の仕事場へと戻って行ったわけだが──。



(……また、食材が増えてしまった……)



 日暮れに家へと戻ったグリアムは、貰った野菜と果物をテーブル上に広げながら頭を抱える。


 キャロラッツに、オニオム、フリル菜──そして、宿敵ポテ芋。ルーベリーの実もカゴごと貰ってしまい、グリアムは眉根を寄せて困惑した。



(……ルーベリーとフリル菜はそのまま食えそうだが、他は火を入れた方が良さそうだよな……硬いし……)



 おもむろにポテ芋を手に取り、土の付着した歪な表面を睨む。──そして、彼はリベンジした。



「“火よ灯れluz-flamma”!」



 ──ボッ。


 燃え上がった炎は、手の中の芋を赤々と包み込み──やはり、一瞬で真っ黒な消し炭に変えてしまった。グリアムは額を押さえ、椅子に深く腰掛ける。



(……俺はもうだめだ……)



 勝てる気がしない、この芋に。


 嘆息と共に項垂れた彼が炭と化した芋をパラパラと手の中から滑り落とした頃──不意に、部屋にはノックの音が響いた。

 コンコン、と控えめに叩かれたその扉の向こうを、グリアムは訝しげに見つめる。



(……? 誰だ? こんな時間に……)



 窓の外を一瞥すれば、既に日は暮れて真っ暗である。

 このタイミングで訪ねて来るという事は、おそらくリザだろう。またお裾分けをしに来たのだろうか。



(本当に、世話になりっぱなしだな……)



 己の不甲斐なさを再認識しつつ、グリアムは重い腰を上げた。

 ゆっくりと扉に近付き、ドアノブに手を掛ける。──しかしその瞬間、彼は凄まじいを感じ取った。



「──ッ!?」



 目を見張り、弾かれたように後退したグリアムはすぐさま宙に五芒星ペンタクルを描く。



「“大地よ壁となれrocher-mur”!!」



 ──ドォンッ!!


 刹那、殺風景な部屋の中に銃声がとどろいて氷を纏った弾丸が乱れ飛んだ。

 静寂を裂いて乱射される銃弾を魔法によって造り出した“岩の防御壁ぼうぎょへき”で防ぎ、グリアムは更に詠唱を紡ぐ。



「“水よ我が声に応えよVíz-voz-àna”──」



 かざした手の先に青い光が宿り、彼は琥珀の双眸で前方を睨んだ。



「──“敵を水底へと沈めし大波となれInunda-ción-fluctus”!」



 青い光が集束したてのひらで防御壁と化した岩肌に触れ、グリアムは魔法を放つ。



「“アクリオラAgur-ola”!」



 カッ、とひらめいた光は瞬く間に激しい水流となり、岩の壁を飲み込んで濁流だくりゅうと化した。囂々ごうごうと流れるそれが標的を飲み込もうと迫るが、そいつは銃をホルスターに収めると素早く地を蹴って高く飛び上がる。

 軽快な動きではりにぶら下がり、真下を通過した濁流をかわすと、空中でくるりと転回しながら敵は再び彼に銃を突き付けた。──そして、グリアムの背筋は凍り付く。



「……っ!!」



 刹那、ドォン! と爆音を響かせて放たれた銃弾。氷柱つららのように凍り付いて迫って来たそれを避け、グリアムは床に転がった。


 ──まずい。これはまずい。



「……やーっと見つけましたよ〜、師団長」



 トン、と細身の体が土石流によって汚れてしまった床の上に着地する。細められた碧眼へきがんと目が合い、グリアムは頬を引き攣らせた。脳内では危険信号が赤々と点滅している。


 ──ああ、まずい。これは、マジでまずいぞ。


 焦燥しょうそうに駆られ、背筋を冷やして後ずさるグリアムを追い詰めるように近付き、穏やかな微笑みを浮かべたはピタリと足を止めた。グリアムに突き付けた銃口の裏側で、殺意を帯びたあおい瞳が彼を映す。



「全くもう、急に居なくなったら困るじゃないですか〜。私、色んな所をすーっごく探し回ったんですよ〜?」


「……っ」


「ねえ? 師団長。──脳天ぶち抜かれてすぐ死ぬのと、風穴かざあな空けた両足に塩をじ込まれながら私に謝罪するの……、どっちがいいですか?」



 ──チャカッ。


 脳天に銃口を押し当てられ、グリアムは息を呑んだ。冷たく殺意を放っている彼女の瞳を恐る恐ると見上げ、彼は掌に浮かべた汗を握り込む。



「逃げられると思いました? ふふ、逃がすわけないじゃないですか~」


「……」


「さあて……どうやって殺してあげましょうかねえ? ──このクソ野郎」



 うふふ、と愛らしく小首を傾げた補佐ウルティナの襲来に、元々血色が良くないグリアムの顔面は、更に血の気を失って青ざめるばかりであった。




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