第55話 うわようじょつよい

「おじゃまちまーすっ」



 片手をぴっと高く挙げ、元気に声を発したロザリーは帝国城の敷地内に足を踏み入れる。『誰かのお家に入る時は、きちんと“お邪魔します”を言う』──これはセルバから教えて貰った事だ。


 しかし、高く手を挙げて彼女が敷地内に侵入した途端、ロザリーは城門で見張りをしていたよろいの男二人に剣を向けられてしまった。



「ア? 誰だオメーは? ここはレイノワール帝国城。勝手に入るな、ア?」


「ウン? でも兄者、この子、結界バリアを通っても大丈夫みたいだよ、ウン? もしかして仲間じゃないかな? ウン」


「アァ?」



 ロザリーに剣を突き付けた二人の兵士は、些か変わった口調で会話しながら彼女を見下ろす。対するロザリーはきょとんと瞳を丸め、「へーたいさんだー」と二人の姿を見上げていた。


 やがて、“兄者”と呼ばれた方の片割れが口を開く。



「しかし弟者、こんなちっこいガキ見た事あるか? 俺は見た事ないぞ、ア?」


「ウン、確かに見た事ないね、ウン。やっぱり侵入者かな? ウン」


「アァ、こいつァ侵入者だ。侵入者、侵入者」


「ウン、ウン。侵入者! つまり侵入者は──」



 ──排除すべし。


 結論に達した二人は、鉄仮面の内側でニンマリと口角を上げた。やがて彼らは互いに剣の柄を握り取り、キョトンとしているロザリーを見下ろす。そしてその小さな体を迷わず切り捨てようと構えた──のも、束の間。


 不意に、ぴっと片手を挙げたロザリーが口を開いた事によって、その動きは止まる。



「あい! へーたいさん、こんにちわございます! 」


「……、ア?」


「わたしのなまえは、ろざりーです! ろくさいです! すきなたべものは、もいもいです! あのね、ろざりー、ママさがしてるの! ママどこですか、おしえろください!」



 ふんす、と得意げに鼻を鳴らしたロザリーの唐突な自己紹介に、仮面の二人はぽかんと呆気に取られた。『初めましての人には、きちんとご挨拶しましょう』──これはウルに教えて貰った事。


 薄紅の瞳でじっとロザリーが二人を見上げていれば、程なくして片方の男が口を開く。



「……ママぁ? 誰の事だ? ア?」


「うんとね、ママはね、もいもいでね、おいもししょーでね、へたれでね、いえでちゅーなの。ぷろぽーずしっぱいしてめそめそなの」


「すんごいプライベートな事暴露してる気がするけど大丈夫かそれ」



 覚えた言葉をとりあえず並べ立てるロザリーに男が頬を引き攣らせるが、ふと隣の弟者が「ねえ兄者」と耳打ちする。



「……ア? 何だ弟者」


「ウン。この子のママ、プロポーズ失敗したんだよね? それってつまり、この子のママは“未婚の母”って事かな? ウン」


「だったら何だよ、ア?」


「よく考えてみてよ、ウン。白銀の髪の子供だよ。もしかしたら、レイラ様……いや、もしくはアンデルム様の──」


「……、え……? ま、まさか──」



 ──……ッ!!?


 二人はそんな考えに行き着き、鉄仮面の下で目を剥いた。しかしすぐに「いやいやそんなわけあるか!」とかぶりを振る。



「あのガキ見ろ、ア!? 兎獣人ラヴィアンだぞ!? レイラ様とアンデルム様の子なわけが……」


「……ウン。だから、育ててたんじゃないの……? 誰にも言えない逢引あいびき相手との、不義ふぎの子だったり……」


「ばばば馬鹿言うなよ……! 麗しいレイラ様に限ってそんな、ふ、ふしだらな……」



 二人はぶるぶると震え、何やらこそこそと耳打ちし合っている。ロザリーは指を加えながら首を傾げ、「ねー、ママどこー」と再び問い掛ける。すると二人はぎくりと肩を震わせ、目を泳がせた。



「……どうする、弟者……万が一本当に隠し子だった場合、傷付けたらシャレにならんぜ……、アァ」


「ウン……、ここは一旦様子見しよう……ウン。もし侵入者だったら、後でいつでも斬ればいいし……ウン、ウン……」



 長い相談の末、ようやく二人の意見はまとまったらしい。彼らは一旦武器を収め、ロザリーの前で膝をついた。



「アー、その……し、侵入者サマ……先ほどは大変なご無礼を働いてしまい──」


「ぶー! ちがう! めっ! しんにゅうしゃさま、ちがう! ろざりーは、ろざりー! ろくさい!」


「ア……ろ、ロザリー様……大変申し訳ありません……」



 鉄仮面の二人は深々と頭を下げる。ロザリーはふんす、と鼻を鳴らし、彼らの鉄製の兜をぺちぺちと叩いた。



「ぴんぽーん! よちよち、へーたいさんえらい! よくできまちたー」


「……あ、あの……?」


「ほめてのばすの! にゃんにゃんがいつもしてくれるの! よちよち!」



 むふー、と満足げに微笑むロザリーに対し、兵士二人は困惑顔である。『良い事をした時には褒めて伸ばす』──これはルシアがいつもしてくれる事。


 ロザリーは一頻ひとしきり二人の頭を撫で回した後、「へーたいさん、ママのとこ、いっしょいこー」と破顔して彼らの手を取った。返事も待たず、そのまま強引に二人の手を引いた彼女は、「もーいもい、もーいもい、ママはーひょろひょろのー、もーいもいー♪」と上機嫌にオリジナルソングを口ずさみながら歩き始める。


 手を引かれた兵士二人は戸惑ったように顔を見合わせ、「こ、これ、良いのか? 俺達これで本当に合ってるのか!? ア!?」「わ、分かんないよ! でも他にどうしたらいいんだよ、ウン!?」と小声で耳打ちしつつ、『もいもいの歌』を口ずさむ幼女に引きずられて行ったのであった──。




 * * *




 一方、その頃。

 大広間に長く伸びるテーブル席。


 その最奥部の豪華な椅子に腰掛けたグリアムは、ぶるぶると体を震わせて荒らぐ呼吸を繰り返していた。隣で不敵に微笑む男を憎らしげに睨む彼の額には、じわりと汗も滲んでいる。



 ──なんて、卑劣な男なんだ。



 グリアムは唇を噛み、残忍極まりない彼の仕打ちに眉根を寄せた。そんなグリアムの忌々しげな視線にも構わず、更に口角を上げるのは──自分と同じ容姿をした、彼。



「さあ、グリアム。何も迷う事はないさ。自分の欲求に素直になればいい。ただそれだけの事だろ?」



 くすりと笑う男──アンデルムは、銀のトレイを手に取ってグリアムの目の前でそれを掲げる。直後、鼻腔びこうをくすぐる甘美な誘惑が彼の心をぐらぐらと揺さぶった。グリアムは表情を歪め、拒絶するように顔を逸らす。


 ──ああ、やめろ……! やめてくれ……!


 拒もうとする心とは裏腹に、体は正直にそれを求める。思わずごくりと生唾を飲んだ彼の反応を見逃さなかったのか、アンデルムは楽しげに口角を吊り上げた。悪魔さながらの表情で彼が紡いだのは、グリアムを地獄へと突き落とさんとする、一言。



「さあ、グリアム、手に取るんだ。この──」


「……っ」


「──最高級品“レインボー牛”の希少部位を百パーセント使用した、『レイラの手作り☆スペシャル手ごねハンバーグ』をねッ!!」


「嫌だあああ!! 絶対なんか良くない薬とか入ってるだろ!! 俺は騙されないぞおおお!!!」



 銀のトレイに乗せられていたのは、香ばしい香りを放つデミグラスソースのハンバーグ。その甘美な誘惑を前に、『ウルの手作り☆睡眠薬入り芋ポタージュ』以降何も口にしていないグリアムは涙目で絶叫した。


 アンデルムは悪魔のような表情で笑い、「やだなあ、別に濃度を五倍増しぐらいにした薬なんて入ってないよ。大丈夫だって、すぐに自我なんか忘れられるし。先っちょだけ。先っちょだけでいいから」とぐいぐい迫ってくる。


 いや絶対濃度五倍増しの薬ぶち込んでんじゃん!! とグリアムはかぶりを振って拒み続けるが、仮にも“世界最強”の血筋であるアンデルムの力はグリアムの力をもってしてもなかなか振り払う事が出来ない。やがてアンデルムはカッと目を剥き、ハンバーグのトレイを更にグリアムへと押し付けた。



「おらぁぁ!! 食えよレイラのハンバーグぅぅ!! 可愛い女の子が愛情込めて作った手料理だぞ!!」


「うおおお負けるかぁぁ!! 俺はウルの手作り毒芋ポタージュで生涯を終える覚悟なんだよぉぉ!!」


「それもそれで悲しいな!!」



 似た者同士の二人の口論は徐々にヒートアップし、遂には掴み合って互いにハンバーグを押し付け合っている。するとそんな中、コンコンとノックの音を響かせ、レイラが室内へと足を踏み入れた。



「失礼します、アンデルム様。ご報告が」


「あ! ちょっと聞いてよレイラ! グリアムが君のハンバーグ全然食べてくれない!」


「……ああ。まあ、そうでしょうね。薬が普段の十倍ほどの濃度で仕込んでありますし」


「ほら見ろォ!! 五倍どころか十倍仕込んでんじゃねーか!! 絶対食わねーぞ!!」



 今しがた発覚した事実にグリアムが声を荒らげる。しかしアンデルムはにっこりと笑い、「あ、今のは聞かなかった事に」と再びハンバーグを持って迫ってきた。いやいやスルー出来るわけねえだろ!! とグリアムが目尻を吊り上げた頃──ふと、レイラが口を挟む。



「ところでアンデルム様、ご報告なんですが」


「ん? ああ、何だっけ?」


「侵入者が門を突破しました。以前この城で造った兎獣人ラヴィアン魔獣ヴォルケラです。の二人が懐柔かいじゅうされてしまったようで」


「……!?」



 無表情に発したレイラの言葉に、グリアムは息を呑んで目を見開く。『兎獣人ラヴィアン魔獣ヴォルケラ』──という事は、まさか。



「まさかっ……! ロザリーが──」


「──スキあり」



 思わずグリアムが気を抜いて声を発した──刹那。ぎらりと目を光らせたアンデルムは、銀のフォークに突き刺さった一口サイズのハンバーグをガボッ! とグリアムの口の中に放り込んだ。

 彼は「もごォ!?」とくぐもった悲鳴を上げたが、問答無用でハンバーグは喉の奥へと押し込まれる。アンデルムは勝利を確信した表情で高らかに笑った。



「わーっはっはー!! 愛する嫁以外の女の手料理はどうだいグリアム!! 君もこれで立派な浮気者はんざいしゃだ!! はっはっはー!!」


「むっ、むごっ……もごぉぉ!!」


(……仲良いわね……)



 マウントポジションを陣取り、グリアムの口にハンバーグを押し込むアンデルムの楽しそうな姿を眺めながら、レイラは小さく溜息を吐きこぼしたのであった。




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逃がしませんよ、師団長。 ~世界最強の魔導師は家出したので探さないで下さい~ umekob.(梅野小吹) @po_n_zuuu

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