第53話 親愛なる父と母へ
──レマリア村で一番えらい、村長の、一人息子。
村一番の豪華な邸宅に住み、村一番の立派な馬車を持ち、村一番の職人が仕立てた服を着る。そんな環境で過ごしていたセルバ=ローレンスは、母親に過剰なほど溺愛されて育って来た。
『セルバちゃんはすごいわね』
『セルバちゃんはえらいわね』
『セルバちゃんは、何もしなくていいのよ』
母は口癖のようにそう言った。セルバはその言葉通り、何も選ばせてもらえなかった。友達や家庭教師、着る服、好きな食べ物や将来の夢でさえも──全て、母に決められる。
いくら仲良くなった子供でも、母が首を縦に振らなければ“お友達”にはなれない。家柄、身なり、家族構成、貰っているお小遣いの額──そんなものまで細かく調べ上げて、母はセルバの“友達候補”を選抜するのだ。
選ばれなかった“候補”は、セルバの知らないうちに居なくなる。二度と家に遊びに来る事もなければ、村で出会ってもよそよそしく目を逸らされて逃げられるだけ。
幼い頃は不思議に思っていたし、悲しくも思っていた。だが、成長して行く過程でそれが母の仕業であると気付いてからは、いつしか諦めるようになっていった。
好きな女の子も、母が首を横に振れば、諦める。
楽しいと感じたスポーツや趣味も、母が認めなければ、諦める。
次第にセルバは自身で物事を選択する事をやめ、態度も傲慢になっていった。
村で一番のお金持ち。村で一番えらい村長の、一人息子。そんな肩書きを振りかざして村の中を歩く。
『僕は、村で一番えらい村長の息子なんだぞ!』
そう口にする事でしか、自分を保つ方法が分からなかった。
セルバは、母にとって自慢の息子だった。彼女にとっての誇りだった。そうなるべくして育てられ、彼女に縛られていたとしても、それで良いとすら思っていたのだ。
あの日、彼女に出会うまでは。
「──全く。師団長の魔力を追ってきたら、こんな所でも
くるん、と拳銃を回し、一瞬で複数体の
否──本当は、一人ではなかったのだが。
「……さて、と。ボク、大丈夫? 怪我はない?」
「……、う、うん……」
「ふふ、泣かなくてえらいのね。──クソみたいなママに置いて行かれちゃったのに」
亜麻色の長い髪をひとつに結い上げ、愛らしい容姿をした彼女は、穏やかな笑みの中に毒を織り交ぜてセルバの前にしゃがみ込んだ。セルバは黙って俯き、唇を噛む。
──数分前。
馬車に乗ったセルバと母、そして数人の従者は、隣町からマーテル山道を通って帰路についている最中だった。
しかし途中で乗っていた馬車が
母は一瞬悲鳴を上げてセルバを見たが、
そのまま走り去る馬車を見つめて、セルバは目の前が真っ暗になった。しかしその直後、大きな銃声を響かせて彼女が現れたのだ。
穏やかな笑みを浮かべて銃を構える、彼女が。
「──世の中、良い親ばっかりじゃないわよね。今の君の気持ち、私はよく分かるよ。私も小さい頃、両親に見捨てられたの。ほんと、今思い出しても
なーんてね、と彼女は舌を出しながら微笑んだ。冗談なのか、本気なのか。真意の読めないその言葉にどう反応すべきか悩んでいると、彼女は不意にセルバの手を取って立ち上がる。
「うんうん、怪我はないわね。馬車から落ちたのに、良いとこのお坊ちゃんにしては頑丈じゃない。少し服は破れちゃったみたいだけど」
「……」
「君、この先の村の子供でしょう? 送って行くわ、この辺りは今危ないから。師団長を狙う帝国が、ここに
「……しだんちょ……?」
「ああ、えーと、師団長っていうのは……私の捜し物でね。彼を探して、ここまで来たの。白銀の髪の若い男の人なんだけど……君、この辺で見た事ない?」
「白銀の髪の、男の人……」
手を引かれて山道を歩きながら、セルバの脳裏には一人の青年の顔が浮かび上がった。一週間ほど前、「うちの離れの空き家に住む事になったのよ」とリザが自宅に連れて来た、見知らぬ若い男。一瞬しか顔を合わせなかったが、確か白っぽい髪をしていた気がする。
「……知ってるよ。この前、うちに挨拶に来た」
「え……、本当に?」
「うん。リザ婆さまのとこの空き家に住むんだって」
とぼとぼと歩きつつ、セルバは無表情に答えた。その後、続けざまに彼女から問われた質問にも彼はひとつひとつ答えていく。
リザの事や、空き家の場所。
自分が村長の息子で、先ほど自分を置いて行った母の言いなりになって育って来た事。
そんな余計な事まで答えていたら、村が見えて来た頃になって突然彼女の足が止まった。
「──辛いと思った時は、泣いたり、逃げ出してもいいのよ。君はまだ子供で、自由があるんだから」
「……え」
「私はね、昔自由を捨てたの。ある人のためにね、もう泣かないし逃げないって決めたのよ。だから逃げられなくなった。……でも、君にはまだ逃げる場所がある」
そう続いた言葉の後、彼女は再びセルバの前にしゃがみ込む。そのままそっと手を伸ばし、彼女はセルバの下唇に優しく触れた。
やがて離れた指先には、僅かに赤い血が付着している。
「泣きたい時は、ちゃんと泣きなさい。嫌ならすぐに逃げなさい。そんなに唇を噛み締めて我慢するぐらいなら、そうした方がいいわ」
「……」
「なんなら今、お姉さんが特別に胸を貸してあげるから。ほーら、おいで。可愛くておっぱいの大きいお姉さんですよ〜? 嬉しいでしょ〜」
ふふ、と目の前で悪戯に笑う彼女に手を引かれ、セルバは強引にその腕の中へと抱き寄せられた。一瞬戸惑った彼だったが、温かな体温と安心する匂いに包まれて、すぐに大人しくなる。
誰かにこうして抱擁して貰える事が、随分と久しぶりに感じた。そして気付いてしまったのだ、ずっと強がって、目を背けていた事実に。
父は仕事にしか興味が無い。
母が自分へと向けてくれる愛は、アクセサリーや高価な服に対する愛と同じ。
本当は、友達が欲しかった。好きな場所で、好きな食べ物を食べて、好きな趣味を見つけたかった。だけど、全部諦めて我慢していたんだ──言いなりになっていなければ、両親から愛されないのだと──認めてしまうのが怖かったから。
そう考えていたら、目の前はぼやぼやと滲んで、どんどん見えなくなって。
「……ふ、ぇ……」
「……」
「ふ、う、ぅ……っ、うえぇぇん……!」
やがてセルバは彼女の肩口に顔を埋め、情けなく声を上げて泣いた。とん、とん、と背中を撫でる彼女の手が、もしも母の手だったら、なんて。そう考えると余計に悲しくなった。
今思えば、あの時、セルバは彼女に──ウルティナに、恋と錯覚するような特別な思いを抱いたのかもしれない。泣き腫らしてぼやけた視界に映る彼女の微笑みは、まるで咲き誇った薔薇の花のように美しく見えたのだ。
──あれ以来、セルバの毎日は変わった。
母の言いなりになる事をやめ、外を自由に歩き回る。一度それを咎めようとした母に反発してみたら、あっさりと彼女は身を引いてしまった。ああなんだ、こんなに簡単な事だったんじゃないかと、そう思った。
自由になったセルバのその後は、知っての通り。
グリアムに恋のライバル宣言をして、ルシアに捕まって、芋神ポテイドンに助けられて、お芋師匠の弟子になった。
あの家に遊びに行くようになって、セルバは笑う事が増えた。
ウルは相変わらず麗しいし、師匠はかっこいいし、いつの間にか妹みたいな存在も出来たし、最初は怖かったルシアも、今では案外優しく接してくれる。
あの家で過ごす時間が好きだった。
家族みたいなみんなが、もっと大好きだった。
──けれど、やっぱり自分は、彼らの本当の家族にはなれないんだ。
「……僕も、行きたかったな……家族旅行……」
誰もいない部屋の中、残された置き手紙を見下ろしながらセルバは呟く。『家族旅行に行ってきます』と記されたそれが、酷く歯痒いと感じた。
「……僕は、やっぱり、みんなの家族じゃないんだ……」
ぽろ、と再び涙がこぼれ落ちる。分かっていた事なのに、まるで心の中に大きな穴を空けられたみたいだ。置いて行かれたどころか、家族旅行を計画していた事さえも知らなかった事実が、まだ幼い胸の奥を締め付ける。
しかし、その直後。
暗い部屋で一人泣きじゃくっていた彼の耳に、知らない男の声が届いた。
「──ああ、残念。もう手遅れだったみたいだね」
「……!」
玄関先でぽつりと放たれた呟き。涙目のセルバが振り向けば、銀縁眼鏡を掛けた見知らぬ男がそこに立っていた。彼はぽかんとしているセルバを見下ろし、優しく微笑む。
「やあ。こんにちは、少年」
「……、誰……?」
「僕かい? あはは、突然ごめんね驚かせて。僕はここに居た二人の、上司……って言えば分かるかな」
──名前は、オズモンドって言うんだ。
そう続けて目尻を緩めた彼に、セルバは首を傾げた。
「……上司……? じゃあ、お芋師匠より、えらいの……?」
「へ? お芋師匠?」
「お芋師匠の、更に師匠……ってことは、
「うん……? まあ、よく分からないけど……それでいいや」
オズモンドはにこりと微笑み、不可解なセルバの発言を大人の対応で受け入れる。やがて彼は周囲を見回し、ふうん、と顎に手を当てた。
「……ウルティナくんの魔力を辿って来たけど……もう
「……?」
「ああ、ごめんね。こっちの話。……じゃ、僕はもうそろそろ行くから──」
「待って、大芋師匠!」
呼ばれ慣れない呼称を叫ばれ、オズモンドは「あ、僕か……大芋師匠……」と大いに戸惑った。するとセルバは突如机に置かれていたペンを手に取り、ウルの残した手紙を裏返してペン先を走らせる。
「……大芋師匠は、きっと、今からお芋師匠たちの家族旅行について行くんでしょ」
(……“お芋師匠”って、もしかしてグリアムくんの事かな……?)
「だったら、あのね。これ、ウルティナさんと師匠に渡して欲しいんだ」
そう言い、セルバは白い紙に何かを書き記す。
──本当は、自分も連れて行って欲しい。けれど勝手について行ったらきっと困らせてしまうだろうし、本当の両親にも怒られてしまう。
だから、せめて。
「僕、みんなの留守中、ちゃんとこのお家を守るからねって。ウルティナさん達に伝えて欲しい」
「……」
「安心して、楽しんで来てねって……」
セルバは涙を拭いながら呟き、へらりと笑ってオズモンドに手紙を手渡した。彼はそれを受け取り、記された文面を見下ろすと銀縁眼鏡の奥の瞳を細める。
「……」
彼は黙ってその文章を見つめ──先日の念話でウルが発していた、ある言葉を思い出していた。
──私、家族が出来たんです。
そんな、夢物語のような言葉を。
「……なるほどね」
オズモンドは小さく笑い、受け取った手紙をコートのポケットにしまう。彼は最後にセルバの頭をくしゃりと撫ぜると、涙目の少年に背を向けた。
「──分かった。僕が責任持って届けるよ、この手紙。その間、ここの留守番は任せたよ、芋弟子くん」
そう告げ、オズモンドは薄暗い家の中から立ち去って行く。背後でセルバが力強く頷いた声を聞きながら玄関の扉を閉め、オズモンドは穏やかに頬を緩めた。
「……上司である僕より先に家庭を築くなんて、相変わらず抜け目ないね、ウルティナ」
この場に居ない可愛い部下を思い、彼はもう一度、先ほど預かった手紙を取り出して開く。
『親愛なる、もう一人のお父さんと、お母さんへ』
そんな冒頭から始まる短い手紙を見つめながら、「なんか僕、息子の前に孫が出来た気分だよ……」と、オズモンドはどこか寂しげに呟いたのであった。
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