最終章 家族は突然に

第52話 P.S. 必ず帰ります

『──君は、ウルティナだね? 一年前にこの教団に来て訓練生になった、ウルティナ=ルヴェン』



 こつりとブーツの踵を鳴らす背の高い男が、廊下に座り込んで泣きじゃくるウルに手を伸ばす。彼女の周囲には、散乱した泥と、穴の空いたバケツ。そして踏み散らされた赤い薔薇が、寂しく転がっていた。


 幼いウルは涙を溜めた瞳で彼を見上げ、差し伸べられたその手を見つめる。



『君には覚悟があるか? ウルティナ。、その覚悟が』


『……』


『君は彼を救いたいんだろう。だが、彼を救うという事は、彼の中に眠る“脅威”にあらがうという事だ。中途半端な覚悟では、彼をこの檻の中から解き放つ事は出来ない。彼は一生、この教団に縛られる事になる』



 ウルはぽろぽろと涙を落とし、男の声に耳を傾けた。やがて、彼女は差し出されていた大きな手を握り取る。



『……つよくなる』



 震える声で、はっきりと。

 ウルは目の前の男に告げた。



『誰よりも、強くなって……、私が、グリアムくんの隣で……グリアムくんを、守る』


『……それが、君の覚悟か?』



 再度問いかければ、彼女は涙を拭って深く頷く。男は銀縁眼鏡の奥の瞳を柔らかく細め、優しく微笑んだ。



『……そうか。良いだろう、ウルティナ。僕は君に期待するよ。君が彼を繋ぎ止める鎖になれ。そのために、これからは僕が君の稽古をつけよう』


『……あなたは、だあれ?』


『僕? ……ああ、そういえば自己紹介をしていなかったね』



 男は苦笑し、ウルの手を握ってしゃがみ込む。彼はもう片方の手で踏み潰された赤い薔薇を拾い上げ、潰れたその花をウルに差し出した。



『僕の名はオズモンド。ここ、白薔薇の教団ロサ・ブランカの──第一師団の、だよ』



 ──よろしくね、ウルティナ。


 そう言って優しく微笑んだ彼の手から、あの日、ウルは潰れた薔薇を受け取ったのだった。




 * * *




「──落ち着いたか?」



 ぐずぐずと、赤みがさす鼻を啜り上げてウルは力無く頷いた。ルシアは彼女の目尻に浮かぶ涙を指で拭い、隣に腰掛けて嘆息する。



「……すみません、突然泣いてしまって……」


「……やめろ、気色悪い。貴様がしおらしいと寒気がする」


「……」


「……で、死神は何だって?」



 ウルが胸の前で握り締めたままの手紙を一瞥し、ルシアは尋ねた。ウルは暫し黙り込み、ややあっておずおずと口を開く。



「……家出します、探さないで、……って」


「……へえ」



 ルシアは最初から分かり切っていたかのようにあっさりと状況を飲み込み、気怠げに頬杖をつく。「夫婦喧嘩か?」と再び問いかければ、ウルは力無くかぶりを振った。



「……喧嘩なんかじゃない。ただ……私の監視が、甘かっただけ……。グリアムくんには、絶対……彼の秘密だけは、知られちゃダメだったのに……」


「……」


「……私が……彼への想いを断ち切ろうと、必死になりすぎて……彼を避けて、一人にしてしまったから……」



 ──知らぬ間にアンデルムと接触したらしいグリアムに、全てがバレてしまった。


 ウルは悔しげに奥歯を噛み、再び瞳に涙を浮かべる。ルシアは「おい、泣くなよ……!」と焦燥しつつ、ウルの顔に手拭いを押し付けた。



「……すみません……」


「……なあ。前々から気になってはいたんだが……グリアムは、レイノワール帝国と何か因縁でもあるのか?」


「……」


「俺は元々、帝国の男に依頼されてグリアムを殺しに来たんだ。ロザリーも帝国から送り込まれた魔獣ヴォルケラだったって話だし……、帝国がアイツに執着してるのが、前から気がかりだった」


「……やっぱり、貴方には気付かれるわよね……」



 赤くなった目を細め、ウルは自嘲的な笑みをこぼす。彼女は受け取った手拭いで涙を拭き、目を逸らしたまま続けた。



「……グリアムくんは、教団によって造られた、あの国の初代皇帝──アルグリム=レイノワールの人造人間クローンよ」


「……!」


「皇帝の生前の記憶を消して、今のグリアムくんの人格が植え付けてあるの。……だから本当は、私達の知っている彼は、本来の彼ではない。教団は、グリアムくんの力を利用して……ずっと、白薔薇の教団ロサ・ブランカの中に閉じ込めているの」



 ウルは拳を強く握り、眉を顰める。



「……グリアムくんは気付いていないけれど……教団はずっと、定期検診や食事の際に、彼に強い薬を投与し続けていて……本来の人格が戻らないように、密かに彼を操りながら利用してきた。都合のいい記憶だけを植え付けて、魔法以外の知識や技術を与えない事で、教団から出られずに依存するように仕向けて……」


「……」


「でも、私は……今のグリアムくんの人格を、どうしても守りたかったの。私達の知る、今の彼を……あの教団や、皇帝の呪縛から逃がしてやりたかった……」



 そのために必死で修行して、彼の補佐になったわ、とどこか遠くを見ながらウルは呟いた。彼女は空白の薬指を見下ろし、それを撫でて切なげに俯く。



 ──数ヶ月前。彼が教団から突然家出した、あの時。


 ウルは彼の置き手紙と共に家出の報告を受けてすぐ、これは好機だと捉えたのだった。うまくやれば、教団の呪縛から彼を解放してやる事が出来るかもしれないチャンスだと。

 彼女はすぐさまオズモンドの元へおもむき、彼に「このままグリアムくんを逃がそう」と提案した。しかし、オズモンドは首を縦に振らなかった。



『……ダメだ。彼の中の皇帝の人格は、眠っているだけでまだ生きている。放置すればいつか目覚めてしまう。そうなれば、彼が何をするか分からない』


『でも……!』


『焦りは禁物だよ、ウルティナくん。ひとまず君は家出した彼を探し出して、逃がさないように監視するんだ。方法は君に任せるが、もちろんバレないようにね。もしも帝国側の人間と少しでも接触したり、彼に皇帝の人格の片鱗が現れるような“予兆”を感じたら、すぐに教団に連れ帰ってくる事。じゃないと──』



 ──僕達で、彼を殺さないといけなくなる。


 そんな、警告とも取れるようなオズモンドの言葉達が彼女の脳裏に蘇る。彼からそう警告されていたにも関わらず、ウルはずっと、オズモンドからの指示を無視し続けていた。

 アンデルムとの接触や、皇帝復活の予兆。それを何度かその身で感じても、ウルはグリアムを教団へ連れ帰るどころか、報告すらもせずにひた隠しにしていたのである。


 全ては、まだこの偽りの夫婦生活が終わって欲しくないという傲慢な欲と──このまま彼に全てを隠し通せると思い込んでいた、己の過信が招いた過ち。



(……自分の力を過信するなって、少し前に……グリアムくんにも言われたなあ……)



 ウルは視線を落とし、再び空白の薬指を見つめる。この指に、指輪を通されたあの時。確かに自分は、女としての幸せを望んでしまっていた。



「──女としての幸せも、誰かと家庭を築く夢も……彼の補佐になった時に、全部捨てたつもりで居たのにね」


「……」


「……なのに、馬鹿だよね、私。……彼から『結婚しよう』って言われた途端、任務も立場も忘れて、舞い上がっちゃって……」



 自嘲気味にこぼれた言葉に、ルシアは黙って耳を傾けている。ウルは空白の左手を握り締め、俯いたままぽつぽつと語った。



「好きだったの……グリアムくんの事が。出会った時から、ずっと。あの人格が、あの優しさが、偽りだと知っても……ずっと、彼が好きだった」


「……」


「……でも、好きだったから……最後の最後で、彼との幸せを求めてしまって……、全部、バレちゃったね……」



 悲哀に満ちた笑みをこぼし、ウルはまた溢れ出した涙を指先で拭い取る。ルシアは黙ったままそれを見つめ──やがて大きく溜息をこぼすと、彼は自身の懐から何かを取り出した。


 ──ころん。


 机の上に転がった、何か。

 それに視線を移したウルは、言葉を無くして目を見開く。



「……!」


「……落ちてた。外に」



 彼が取り出した物は──シンプルな装飾が施された、銀の指輪だった。グリアムが捨てた物だと彼女はすぐに理解し、表情を歪めてそれに手を伸ばす。


 しかし、指輪に触れようと伸ばされた彼女の手を、ルシアは阻むように掴み取った。



「──まだ嵌めるな」



 彼はそう言って、顔を上げたウルを見据える。



「今それを嵌めたら、俺が渡した事になる。……貴様にその指輪を渡すのは、俺じゃない」


「……っ」


「連れ戻すぞ、あの芋旦那バカを」



 ルシアは宣言し、立ち上がった。



が“家出”だ。アイツには帰って来て貰わんと困る。……元々、アイツは俺の標的なんだからな」


「……」


「行くぞウルティナ、アイツを連れ戻しに。貴様の大切ななんだろ? アイツも、ロザリーも、セルバも、リザも……、俺も」



 最後は少し照れたように声をすぼめ、ルシアはウルに手を伸ばす。


 ──大切な、家族。


 彼の口からこぼれ落ちた言葉に、胸が強く締め付けられた。



『──君には覚悟があるか? ウルティナ』



 幼い頃、自分に手を差し伸べたオズモンドの声が脳裏を過ぎる。

 ──そうだ、あの時。潰れてしまった赤い薔薇と、彼に誓った。もう泣かないと。強くなって、彼を守るのだと。


 彼女はまた泣き出しそうに表情を歪めたが、溢れかけた涙を睫毛の手前でき止め、差し伸べられていたルシアの手を強く握り取る。



「……貴方は“ペット枠”ですけどね。クソ猫」



 けれど、素直に彼の言葉を聞き入れるのも癪なもので。皮肉混じりのそんな言葉を吐けば、ルシアは途端に目尻を吊り上げた。



「あァ!? 誰がペットだ!! ほんっと可愛くねーな貴様は!!」


「お互い様でしょ。ほんっと、可愛くない猫」


「んっだとクソ女!!」


「もう、大きい声出さないでよ。ほんとにうるさいですね〜、バカ猫アホ猫」



 ──でも、ありがと。


 ウルは最後に小さく呟き、腫れぼったい目尻を緩めてルシアに笑いかける。すると彼はぐっと息を呑み、頬を赤らめながら舌を打って顔を逸らした。


 程なくして彼女は立ち上がり、どこかへふらりと立ち去ったかと思えば、やがて紙と羽ペンを持って戻ってくる。そしてウルは真新しいインクの蓋を開けてペン先を付け、白い紙の上にサラサラと、文字を記し始めた──。




 * * *




 ──午後。


 いつものように何気なく彼らの家へと遊びに来たセルバは、もぬけの殻となった薄暗い室内のテーブル上に残されたを見つめながら下唇を噛み締める。


 寂しい部屋の中、ぽつんと取り残されていた手紙の文面には、綺麗な字でこう記されていた。



『──家族旅行に行ってきます。しばらくの間は留守にしますが、心配しないで下さい。


 P.S.


 家族全員で、必ず帰ります』



 その文面を見下ろし、セルバは俯く。程なくして部屋の中に響いたのは、「いいなあ……」と呟く彼の声。



「……僕も……このおうちの子供になりたかった……」



 ぐす、と鼻を啜り上げるセルバの涙声は、誰も居ない家の中に、寂しくこぼれて消えて行った。




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