第41話 おや? お芋の様子が……?

「……ママー、どうちたのー?」



 ルシアの膝上で夕食を取りながら、ロザリーはきょとんと瞳を瞬いた。彼女の視線の先にいるグリアムは、先程から深いスープ皿の中に何度もを突っ込み、スープどころか具材一つすらも掬えていないそれを口元に運ぶという、壊れた絡繰からくり人形のような動きを繰り返している。


 正面に座るウルは引き攣った表情で彼を見つめ、ロザリーを抱いているルシアに至っては「はあ……」と嘆息して自身の額を押さえていた。



 ──グリアムがウルへの感情を自覚してから数時間。元々様子のおかしかった彼は、より一層行動がおかしくなってしまっていた。


 言動や態度もどこかぎこちなく、やや浮き足立っているというか……終始ぼんやりしている。

 午前中にグリアムを氷漬けにしたウルは、最初こそ彼に警戒心を抱いていた様子だったが──今となっては、グリアムのあまりの壊れっぷりに些か心配そうな表情を浮かべている始末である。



「……ねえ。何なの、あれ」


「……俺にもわからん」



 ウルの問いに、ルシアは戸惑いを浮かべた表情で首を振った。


 ほんの数時間前まで、『俺、ウルに惚れてるのかもしれない!』と騒いでいたグリアム。

 しかし徐々にその口数は減り、ぼうっと虚空を見つめる事が多くなって──やがて何もない所で転んだり、柱に顔面をぶつけたり、突然ふらっと倒れ込みそうになったりと、明らかに様子がおかしくなり始めたのだ。


 最初は、恋愛感情を自覚した事でテンパって混乱しているのだろう、と楽観視していたルシアだが──どうにも、それだけが原因では無さそうで。



「……、あの、グリアムくん……」



 ──ガタガタンッ! ドンッ!


 見兼ねたウルが声をかけた途端、グリアムは突然飛び上がって椅子ごと真後ろに倒れた。「ええ!?」と驚愕に目を見開く一同だったが、グリアムはカチコチと強張った動きで立ち上がるとおもむろに椅子を立て、「……あ、ごめん。ちょっとあの、急に眠くなって……」などと意味のわからない弁明を述べる。


 ウルとルシアは言葉をなくし、二人で顔を見合わせた。ややあって、彼女はルシアにこそりと耳打ちする。



「……ちょっと、クソ猫。あなた、あの人に何かしたの? 様子がおかしすぎません? いや、元々少し頭はおかしいけど……」


「……き、貴様のことを意識して照れてるだけだろ……? 多分……」


「それだけであんな事になります? 確かに彼、だいぶこじらせてはいるけど……さすがに変でしょう? あれ」



 ウルは訝しげにグリアムを一瞥した。彼はやはりフォークを握り、スープの中にそれを突っ込んでは何も掬えないまま口へと運んでいる。ぼんやりしているグリアムに「まーまー?」とロザリーが語り掛けるが、反応もない。ルシアとウルは更に訝しんだ。



「……この前、珍しく体調悪いって言ってたし……何か悪い病気に罹ってたりするのかも……。でも、それにしては元気ですよね?」


「熱は無さそうなんだがな……」



 こそこそと小声で耳打ちし合う二人。すると不意に、グリアムは視線を上げてウルの顔を見つめた。



「──なあ」



 はっきりと、彼は口火を切る。ウルとルシアが振り向けば、グリアムはにっこりと穏やかな笑みを浮かべて二人を見つめていた。


 その表情に違和感を感じ、ウルは眉を顰める。



(……? 笑って……?)



 彼女は黙ったまま、思わず彼の顔を凝視した。


 グリアムは、昔から笑顔を作るのが下手である。愛想も悪く口下手で、上司であるオズモンドにすらも上手くコミュニケーションを取る事が出来ない。そんな彼が、こんな風に穏やかに破顔している事にウルは疑問を抱いたのだった。


 しかし訝る彼女を差し置いて、グリアムの言葉は続く。



「なあなあ、この部屋暑くない? なーんか喉渇いた」


「……は……」


「あ、そうだ! 酒とかないの?」



 先程までとは打って変わった、流暢な物言い。そんな彼に面食らったのも束の間、ウルはグリアムの発言に絶句する。



(……今、この人……酒って言った?)



 呑めない歳では無いにしろ、そんなものを彼から要求された経験などついぞない。ウルが何も答えずに愕然としていれば、グリアムは頬杖をついて欠伸をこぼした。



「ねえねえ、酒はー?」


「……、ないですよ……そんなの」


「えー?」



 手に持っていたフォークを器用にくるりと回し、「んー、酒、ないのかあ。残念」と不敵に笑む。やがて彼が再び大きく欠伸をこぼした頃、首を傾げたロザリーが「……ままー?」と不思議そうに呼び掛けた。

 その声に反応したグリアムは、琥珀色の瞳をじろりとロザリーへ向ける。



「……ママ?」


「……」


「なーに、それ」



 くす、と上がる口角。

 その瞬間、ウルはハッと目を見開いた。弾かれたように椅子から立ち上がり、彼女は拳銃を引き抜く。ガンッ、と椅子が真後ろに倒れた音により、その場の全員が顔を上げた。「おい!?」とルシアが焦ったように声を上げるが、ウルは銃を下ろさない。


 一方、突き付けられた銃口を見つめるグリアムは楽しげに表情をほころばせる。



「……あなた……」


「……」


「……あなた、誰……」



 声を震わせ、ウルは問い掛けた。

 するとグリアムは微笑み、その問いに答えかけて──ふと、続けようとした声を飲み込むと大きな欠伸をこぼして瞬きを繰り返す。



「……あー……だめ。まだ、眠い」


「……は?」


「おやすみぃ……」



 不可解な言葉を発し、グリアムはこてん、とテーブルに突っ伏した。

 しかし、彼はすぐに再び顔を上げる。


 寝ぼけたような表情で、ゆっくりと瞬きを繰り返し──やがて、突き付けられている銃口に気が付いたグリアムはその目を大きく見開いた。



「……っえ、……んええッ!!? ちょ、ウル!? 何で俺に銃向けてんの!?」


「……っ、グリアムくん……?」


「も、もしかして今朝の、まだ怒ってる……!? ご、ごめんなさい反省してます! 出来心なんです! ちょ、ちょっとムラッとしてしまって……っ、お、俺の事嫌いにならないで下さいすみません!!」



 顔を青ざめ、即座に平謝りし始めた彼をウルは黙って見下ろす。ロザリーを庇うように抱えていたルシアもがらりと態度を変えたグリアムを訝しげに凝視していた。


 忙しなく弁解を繰り返し、焦ったように視線を泳がせる彼の様子は、普段の彼のそれと何ら変わりはない。ウルは目を細め、「まさか……」と小さくこぼすと徐ろに拳銃を下ろした。



「……クソ猫」


「……、え、ハイ」


「今すぐロザリー連れて、ちょっと外を散歩してきて」


「は?」



 唐突な申し出に、ルシアは思わず間の抜けた声を返した。しかしすぐさま彼はウルに首根っこを掴み上げられ、「ぐえ!?」と奇声を発しながら強制的に立ち上がらされる。きょとんとしているロザリーをルシアに託し、ウルは彼を強引に玄関先から摘み出した。



「ちょ……っ!? おい!? 何なんだよ急に!?」


「いいから、ちょっと散歩してきて。三時間ぐらい」


「長ッ!!?」



 それ全然ちょっとじゃねーよ!! と喚くルシアを無視し、ウルは玄関の扉を閉めた。彼女はふう、と息を吐き、未だに状況を飲み込めず困惑しながら震え上がっているグリアムの元へ戻って行く。「う、ウル……?」と恐る恐る呼び掛ける彼に、ウルはちらりと視線を移した。



「……グリアムくん」


「……は、はい……」


「お風呂、入りましょうか」



 にっこり。穏やかな笑顔で告げられた言葉に、グリアムは硬直する。……え? オフロ? と今しがた告げられた言葉の意味を咀嚼出来ずにいれば、彼女は固まっているグリアムの首に腕を絡めてその耳元に唇を寄せた。



「──二人で、一緒に」



 あでやかな色を孕む微かな声が、耳の奥に染み込んで来る。


 ようやく言葉の意味を理解し始めたグリアムは、みるみると顔を紅潮させ、「ぱえ……!!?」と謎の声を喉から絞り出したのであった。




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