第48話 俺は誰だ
しんしんと、降り積もる雪が村の中を白銀に染めて行く。誰もいない、閑散とした公園のベンチ。そこに腰掛けて向かい合う二人は、まるで鏡に映したかのように瓜二つの顔を互いに見つめ合ったまま硬直していた。
沈黙がその場を包み、刻々と時間だけが過ぎて行く。冷たく降る雪がグリアムの頬に触れ、しんなりと溶けて消えた頃、ようやく彼は口を開いた。
「……お前……何で……」
「……」
「俺と、同じ、顔……」
漏れたのは、消えてしまいそうな程か細い声。辿々しく紡がれた言葉も情けなく震えてしまう。
アンデルムはふっと微笑み、のしかかっていたグリアムから離れた。彼は白銀の髪を風に揺らし、ベンチに背を凭れる。
「あは、びっくりしてる。あーあ、残念だなあ〜。もう少し勿体ぶって正体明かしたかったのに。誰かさんがフード取っちゃうんだもん」
「……」
「ってわけで……改めて、初めまして。僕の名前はアンデルム。本名はアンデルム=レイノワール。レイノワール帝国の、次期皇帝候補だよ」
自分とまったく同じ容姿をしたアンデルムはくすりと笑い、自らを『レイノワール帝国の次期皇帝候補』だと紹介した。グリアムは硬直したまま目を見開き、言葉を失う。
そんな彼の反応に、アンデルムは「……なーんて、いきなり言われても困るよねえ」と楽しげに笑って立ち上がった。グリアムを見下ろすアンデルムは、自分と同じ琥珀色の双眸を細めて再び口を開く。
「ねえ、グリアム。君はさあ、自分の生い立ちを不思議に思った事は無い?」
「……、生い立ち……?」
「そう。自分が幼少期、どこで何をしていたのか。思い出せる?」
努めて明るく尋ねられた問いに、グリアムは視線を泳がせた。些か間を置いて、彼は答える。
「……幼少期……は、ずっと……
「へえ。じゃあ、教団に入る前は?」
「……教団に入る、前、は……、」
──分からない。
グリアムは言葉に詰まり、つうと汗を滴らせた。以前からそうだったが、彼は
黙り込むグリアムを見下ろすアンデルムは、くすくすと楽しそうに笑うばかり。やがて彼は「質問を変えようか」と俯くグリアムの顔を覗き込んだ。
「──君は、何のために
続く彼の問い。グリアムは目を泳がせながら、小さな声で答える。
「……それは……
「どうして
「……帝国の、王都への侵攻を食い止めるため……」
「じゃあ、帝国は何のために王都を攻撃する? 目的は? そもそも抗争の発端は?」
「……それは……、」
矢継ぎ早に質問を投げ掛けられ、ついにグリアムは黙り込んだ。アンデルムは口角を上げたまま、「分からないんでしょ?」とグリアムに囁く。
「君はね、何も知らないんだよグリアム。……でもきっと、ここに居るのがウルティナだったとしたら、今の質問に全部答えられる」
「……!」
「おかしいと思わない?
どくん、どくん、と胸が嫌な鼓動を刻み始める。それはグリアム自身も長らく気にかけていながら、ずっと目を背けていた事だった。──自分は、教団や己の本当の素性について、何も知らない。けれど、ウルは何かを知っている。
グリアムの目は忙しなく泳ぎ、冷たい汗が背中を伝った。アンデルムは更に続ける。
「君はいつも、任務先ですぐに
「……え……」
「それに、任務中はおろか、教団内を歩く時ですら仮面を着けて過ごしてるんだって? 面倒くさいね〜。同じく仮面を着けて過ごしてるウルティナの正体は、周囲に認知されているのにね? どうして君だけ、そんな風に素性を隠されているんだろうね?」
「……」
「──でもね、僕は知ってるよ。君が
アンデルムはそう言い、俯いているグリアムの前にしゃがみ込む。戦慄したように強張る彼の顔を見上げ、アンデルムは口を開いた。
「それは君が、本当は帝国側の人間だからだ」
「……っ!」
「“グリアム=ディースバッハ”という人間は、本当はどこにも存在していない。教団側が作り上げた、
同じ色の瞳と視線が交わり、グリアムは息を呑む。困惑したように揺らぐ瞳。いつか見た夢の中で、“お前が誰だ”と──そう言い放った何者かの声が、一瞬脳裏を過ぎった。
(……“俺”、は……存在してない……?)
理解し難い事実の告白に、グリアムの思考が追い付かない。何も言わない彼を見上げたまま、アンデルムの言葉は続く。
「僕、さっき自分の事『次期皇帝候補』って言ったじゃん? 実は、前皇帝──つまり僕の父親が、数ヶ月前に病で死んじゃったんだよね。だからとりあえず、皇帝の席には一応息子である僕が座ってるんだけど……他の候補が居るおかげで、まだ仮の王位なわけ」
「……、他の候補……って……」
「ここまで話せば、さすがに察しつくでしょ?」
アンデルムは腰を上げ、再びグリアムの横にどっかりと腰掛けた。楽しげに弧を描く口元は、夢の中で見た“誰か”の姿を彷彿とさせる。
「──君だよ、グリアム。もう一人の皇帝候補」
告げられた言葉に、グリアムは言葉を失って目を見開いた。脳内処理が全く追い付かず、視線だけが泳ぎ回る。
暫く何も言えずに黙り込んだ彼は、やがてようやく掠れた声を絞り出した。
「……俺……は……」
「うん?」
「……俺は、お前と……兄弟……って、事か……?」
自分と瓜二つの容姿。レイノワール帝国の、次期皇帝候補に名を挙げられているという事実。
深く考えずとも、アンデルムとの間に血縁関係がある事は明白だった。おそらく年齢も、さして変わらない。それらを結び付けるには、兄弟だという可能性が最も有力だと考えたのだ。
しかし、アンデルムから返ってきた答えは予想外のもので。
「──違うよ。兄弟でも、イトコでもない」
「……え?」
顔を上げ、グリアムは思わずアンデルムを凝視する。視線の先で、アンデルムは「まあでも、普通そう思うよね〜」と楽観的に笑った。彼は琥珀色の瞳を細め、頭上を仰ぐ。
「少し話を戻すけどさ、東のブランジオ王国と、西のレイノワール帝国。もともと昔から仲悪かったんだけど、この両国の対立は十数年前から突然激化する事になった。それって、何が原因か知ってる?」
「……、いや……」
「レイノワール帝国から、あるものが盗まれたんだよ。ブランジオの王国軍から分離した一部の魔導師達による特殊組織──
アンデルムは灰色の空を見つめたまま、ぽつぽつと語った。寒さによって赤くなった鼻に舞い降りた雪が、しんなりと溶けて消えて行く。
「盗まれたあるものっていうのは──初代皇帝、“アルグリム=レイノワール”の心臓」
「……」
「僕の父は、生前に強大な魔力を持っていたと言われる初代皇帝の復活を望んでいたんだ。人体実験や動物実験を繰り返して、その結果、
「……ちょっと、待て……」
「長年の研究の末に、父はようやく初代皇帝を復活させるための実験に成功したんだけど……、ちょうどそのタイミングで、復活に必要だった心臓と実験資料が
「ちょっと待てよ……!」
語気を強め、グリアムはアンデルムの言葉を遮るように口を挟んだ。混乱する脳内に入り込む情報を全く整理する事が出来ず、彼は顔面を蒼白に染めて胸を押さえる。得体の知れない恐怖が、グリアムの中に渦巻いていた。
だって、おかしいだろ。
彼の言い方だと、まるで自分が──。
そんな嫌な想像が脳裏に満ちる中、顔を青ざめるグリアムを一瞥したアンデルムは、更に続けた。
「……僕達は、奪われた初代皇帝を取り戻すために、こうして──君を迎えに来た」
「……っ、なん、で……」
「何でって……、笑わせないでよ。本当は、もう分かってるでしょ? グリアム」
くすりと、残酷なまでに自分と似ているアンデルムが笑う。彼はグリアムへと顔を向け、自分と同じ色の双眸を細めた。
「……いや、“グリアム”じゃないか。そんな人間はどこにもいない」
「……!」
「“グリアム=ディースバッハ”は、教団の連中がでっち上げた、偽りの存在」
アンデルムの声が、呪いのように耳の奥へと注ぎ込まれる。まるでどろどろとした黒い毒が、胸の奥に流れていくような感覚だった。
──“お前が誰だ”。
先日の夢の中に出て来たもう一人の自分の声が、頭の中に響いて。
(……俺は……)
──俺は、誰だ?
自問するグリアムに答えるように、アンデルムは身を乗り出し、彼の耳元で真実を紡ぐ。
「……君は教団の行った極秘実験によって復活した、レイノワール帝国の、初代皇帝。その本当の名は──」
──アルグリム=レイノワールだ。
耳に注がれたその名前が、俯いたグリアムの胸の奥を、黒く濁った苦い毒で満たしていった。
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