第49話 仲間はずれの赤い薔薇

 アンデルムが告げたそれは、あまりにも信じ難い話だった。


 “グリアム=ディースバッハ”という人物は、この世のどこにも存在していない。

 本当の自分の正体は、敵国であるレイノワール帝国を長らく独裁していたと言われる初代皇帝──アルグリム=レイノワールなのだと。そう言うのである。


 グリアムは暫し言葉を失ったまま硬直していたが、そんな彼に構わず、アンデルムは再び口を開いた。



「──君は、人の手で行われた実験によって、この世に生み出された存在。言わば、“人造人間”みたいなものだ。同じく人の手によって造られた魔獣ヴォルケラと君は、実は全く同じような存在なんだよ。皮肉なものだね」


「……」


「前に君さ、自我を無くして暴走した、あの小さい兎の魔獣ヴォルケラを正気に戻した事あったでしょ? あれも同じだよ。君の腕に噛み付いて、君の血を飲んだから、皇帝おやである君の声に反応して自我が戻ったんだ」



 アンデルムはベンチから立ち上がり、グリアムの前に立ちはだかる。彼を見下ろし、アンデルムは笑った。



「全ての魔獣ヴォルケラは、実験によって皇帝キミの血から造られた。あのチビが君を『ママ』って呼ぶのも、あながち間違いじゃないんだよ? だって君の一部から生み出されたんだもの」


「……」


「同じ存在だからこそ、君は魔獣ヴォルケラを転送できる装置──魔獣核ヴォルコアに吸い寄せられる。君はね、教団側にとってすごく都合のいいなのさ。“グリアム”という偽りの人格を君に埋め込み、本当の正体を隠して君を教団内に縛り付けておく事で、初代皇帝の体内に宿る強大な魔力を存分に出来る。最高の道具だよ」


「……」



 ──偽りの人格。道具。利用。


 そんな言葉が、情報を処理しきれていない脳内でぐるぐると回る。途端に、これまで白薔薇の教団ロサ・ブランカの中で築き上げて来たはずのあらゆる物が、酷く空虚なものに感じた。アンデルムは口角を上げ、更に続ける。



「ねえ? ムカつくでしょ、グリアム。君は教団に騙されているんだよ? 奴らはずっと、君の事を監視している」



 やめろ。


 そう強く念じても、アンデルムは止まらない。彼は楽しげに声を紡ぎ、やがて、グリアムの最も恐れていた言葉を告げた。



「──ウルティナを使ってね」



 囁かれたその言葉が、今まで告げられたどの真実よりも深くグリアムの胸を突き刺す。まるで背後から後頭部を強烈に殴打されたかのような錯覚に陥り、胸の奥が黒く濁った何かで満ちて行った。


 ──グリアムくん。


 そう呼びかけて愛おしげに微笑むウルの顔が脳裏を巡る。だがそれも、所詮、ただの嘘。グリアムを自分の監視下に置いて、逃がさないようにするための演技だったのだと。まざまざと、残酷な現実を突き付けられて。


 ポケットの奥で握り締めた指輪のケースが、小さく音立てて軋む。



「……さて、グリアム。ここからが本題だ」



 俯いたまま何も言わないグリアムに、アンデルムは再び語り掛けた。



「実は今、君にはあるが投与してある」


「……」


「それは君の──“グリアム”自身の、特別なクスリなんだ」



 ぴくりと、ようやく反応を示したグリアムが光のない瞳を持ち上げる。視線の交わったアンデルムは口角を上げてこちらを見下ろしていた。



「……の君は、もうすぐ消える。つまり死ぬんだ、グリアム=ディースバッハという人間は」


「……」


「クスリを投与して、今日で二週間。少し効き目が出るのが遅いみたいだけど、君の人格はあと数日後には確実に消えてしまう。……消えた後、残されたその体は、どうなると思う?」



 楽しげに問う声。グリアムは何も答えず、伏し目がちにかぶりを振った。すると程なくして、アンデルムが彼の耳元に唇を寄せる。



「……んだ。初代皇帝アルグリムが、グリアムにね」


「……」


「生前の皇帝は、極めて残忍な国の独裁者だった。女だろうが、子供だろうが、歯向かう者は容赦なく殺す」


「……」


「君の中には、そんな男が眠っているんだよ。そしてもうすぐ彼は君の人格を壊し、君に成り代わる。……もし、君の大切な“家族”の前で初代皇帝アルグリムが復活してしまったら──君の家族は、どうなるだろうね?」



 耳元で楽しげに続けられた言葉。グリアムは一点を真っ直ぐと見つめたまま、思わず息を呑んだ。──もし、皇帝が、ウルやロザリー達の前で復活してしまったら。



「……君の大切な人達が、無事で済むと思う?」



 グリアムの考えを読み取ったかのように、彼の脳裏に過ぎる懸念をアンデルムの唇が拾い上げて紡ぐ。何も答えないグリアムに目を細め、アンデルムは続けた。



「アルグリム=レイノワールは非道な男だ。このままあの家に居れば、世界最強と言われる君の魔力を使って、君の大事な家族に何をするか分からない」


「……」


「そ、こ、で。僕から一つ、とっても良い提案があるんだよ」



 にこ、とアンデルムの表情が朗らかに破顔する。彼は視線を合わせようとしないグリアムに笑いかけ、黙ったままの彼にした。



「──僕らの国へおいで、グリアム。君自身の自我があるうちに」



 アンデルムの声が、じんわりと耳の奥に染み込んで行く。グリアムは地面を見つめたまま、黙って彼の声を聞いていた。



「僕らは君と明確に血の繋がりがある、“本当の家族”。悪いようにはしないし、グリアムの人格が消えた後も、君の事は僕らが責任持って帝国の“王”にしてあげる」


「……」


「君の家族の安全はもちろん、“皇帝盗まれたもの”が帝国に戻る事で、ブランジオとレイノワールの抗争にも終止符が打たれるんだよ。良い事づくめだと思わない?」



 かくん、と小首を傾げるアンデルムに、やはりグリアムは答えない。「まったく、ノリ悪いなあ」とアンデルムは肩を竦めた。



「……まあ、どちらにせよ、“グリアム=ディースバッハ”の人格は遅かれ早かれこの世界から消えてしまうんだ。君が君でなくなっていく様を、家族に見られるのは辛いでしょ? ウルティナもきっと悲しむだろうし、決断は早い方がいいよ、グリアム」



 アンデルムは自身の外套の内部に手を突っ込み、力無く項垂れているグリアムの手に小さな錠剤の入った小瓶を握らせる。「それは強力な睡眠導入剤だよ」と彼に耳打ちし、アンデルムは離れた。



「一晩だけ、考える時間をあげる。僕らの元に来る決断をしたら、明日の朝またここにおいでよ。一緒にレイノワール帝国に……、君の故郷に帰ろう」


「……」


「ただ、ウルティナは君の変化に敏感だろうから、おそらく君が逃げ出そうとしているのがバレれば全力で阻止しに来る。まあ、君なら強引に強行突破出来るんだろうけど……穏便に別れたいっていうのなら、それ、うまく使いなよ」



 ふ、と微笑み、アンデルムは黒い外套のフードを深く被る。自分と同じ色の髪が隠れ、彼は背を向けた。



「またね、グリアム。明日の朝、ここで待ってる」



 その言葉の直後、肌を刺すような冷たい風がびゅう、と強く吹いて地面の雪を散らす。白い雪が舞い、思わず目を閉じたグリアムが再びその瞼を開いた頃──アンデルムの姿は、忽然と目の前から消えてしまっていた。


 残された彼の手の中には、睡眠薬の入った小瓶。それを強く握り込み、グリアムは薄く雪の積もる地面を見つめる。


 そんな彼の脳裏を不意に駆けたのは、幼い頃のウルが裏庭で育てていた、真っ赤な薔薇の花。そして──



『この薔薇……間違えて紛れ込んだだったから、捨てるって……。“白薔薇の教団ロサ・ブランカ”の庭に赤い薔薇は要らないから、って……言ってたの』



 ──彼女が悲しげに呟いていた、そんな言葉達だった。



『みんなと色が違うってだけで捨てられちゃうなんて、可哀想でしょ……? だから、私が貰ったの』


『誰かと少し違うからって、仲間はずれにするのはダメだと思うもの……。この子は私が守ってあげなきゃって……そう思って……』



 閉じ切った薔薇の蕾に指先で触れる、あの日のウルの姿を思い返す。やがてグリアムは、ハッ、と渇いた笑みをこぼした。


 白い薔薇の園に紛れ込んだ、仲間はずれの赤い薔薇。

 その存在を隠すように、人の目を避け、物陰でひっそりと育てられていたあの薔薇の花は──まるで。



「──俺、みたい、だ……」



 グリアムは切なげに笑い、手の中の小瓶をポケットの奥に押し込んで俯く。


 熱を帯びる目頭をかじかんだ指先で押さえつけた彼は、日が傾く頃になっても、雪で白く染まるその場所から一歩も動く事が出来なかった。




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