第36話 お悩み相談係タオル

 ばしゃばしゃと水溜まりを蹴り飛ばし、ウルは息を切らして村の中を駆け抜ける。大雨の降りしきる村の中、すれ違う人は誰も居ない。


 すると不意に、「おい!」と呼び掛ける聞き慣れた声が響いた事で、彼女は足を止めた。



「雨の中で何してるんだ、貴様は!? さっき傘持って出て行っただろ、何で濡れたまま走ってんだよ! 死神はどうした!?」


「……クソ猫……」



 傘をさしたまま慌てた様子で駆け寄って来たのは、家に残して来たはずのルシアだった。彼はずぶ濡れのウルを自身の傘の中に引き入れ、「おい、貴様大丈夫か?」とやけに大人しいウルの顔を覗き込む。ウルは俯いたまま、やはり弱々しく口を開いた。



「……何で、追い掛けて来たんですか……」


「は!? ……い、いや別に、し、心配とかしてないぞ! 自惚れるなよ貴様! た、ただちょっと、雨の様子見に来たっていうか……死神さすがに死んだんじゃないかと思って……」


「……、ロザリーは? まさか、一人で置いて来たんです?」


「あ!? 馬鹿か、そんな事する訳ないだろ! セルバが来たから少しだけ任せて来たんだよ!」


「……そう」



 やはり覇気のない返事を返すウルに、ルシアは眉根を寄せる。「貴様、どうした? やっぱり死神が浮気してたのか?」と問いかければ、ウルはぎゅっと自身の手を握り込んだ。



「……あの人に、浮気するような度胸なんて、ありません」


「……は? じゃあ何で……」


「私……言えなかった……。あのカマトトビッチのクソメスブタは素直に言えてたのに……」


「落ち込んでても口の悪さブレないな貴様」



 アイシャの事を『カマトトビッチのクソメスブタ』などと形容する彼女の暴言に若干引きつつ、ルシアは嘆息する。「で、何が言えなかったって?」と続けて問えば、ウルは視線を逸らして小さく告げた。



「……愛してるって……」


「……!」


「……あの女、すぐ言えたの……。でも、私は、言えなかった……」



 か細い声で続けた彼女の目尻に、じわりと雨粒以外の雫が溜まる。ルシアはぎょっと目を見開き、「お、おい!」と慌て始めた。



「な、泣くなよ……! 別に死神がその女の告白に答えたわけじゃないんだろ!? だったら泣く必要ないだろうが!」


「……泣いでないっ……!」


「いやいやいや……」


「……っ、私っ……、認識が、甘かったの……」



 ウルは頬に伝う涙を拭い、声を詰まらせながら続ける。



「……私っ……例え、ただの任務で、これが仮初の結婚だとしても……たった一瞬だけでも、彼のお嫁さんになれるって思ったら……幸せだと思ったし、嬉しかった……っ」


「……は? 任務? 仮初の結婚……?」


「……でもっ、だめだったの……、一緒に居れば居るほど、任務だって忘れそうで……、彼を独占したいって、そんな欲が大きくなるばっかりで……! さっきも、嘘でもいいから、愛してるって言えば良かったのに……っ、それを言ったら、もっと彼を求めてしまうと思って……」



 言えなかった……、と弱々しくこぼして、ウルはその場にしゃがみ込む。ルシアは眉を顰めたまま、暫く黙りこくり──やがて、彼女同様にその場にしゃがんだ。


 しゃくり上げるウルを見下ろして頬杖をつき、彼は呆れたように口を開く。



「……結婚の事情はよく知らんが……、まさか貴様、そんなくだらん事で逃げ帰って来たとか言わないだろうな? あ?」


「……」


「何だっけ? 『カマトトビッチのクソメスブタ』? ……そんな女に負けて、泣き寝入りするようなタマじゃないだろうが、貴様は」


「……」


「人の事を“カマトトビッチ”扱いする前に、貴様こそカマトトぶるなよ。いつもの銃撃の勢いはどうした、そのクソメスブタとやらも氷漬けにして正座させりゃ良かっただろうが」



 はあ、とルシアは深く溜息を吐き出し、ウルの濡れた頬に張り付いた髪を掻き分ける。そのまま乱雑に彼女の涙を拭えば、赤く目を腫らしたウルと視線が交わった。



「……貴様らの結婚が嘘だろうが、ただの任務だろうが……そんなもん、俺の知ったこっちゃない。……だが、貴様自身はあいつを特別に思ってるんだろうが」


「……」


「だったら、それで良いだろ。何悩んでんだ? 堂々とアイツを求めりゃ良いだろ。……貴様がロザリーに言った言葉は嘘なのか? 『今の家族が好き』ってのは」


「……嘘じゃ、ない……」



 弱々しくも、ウルははっきりと答える。「嘘じゃないよ……」とか細く繰り返し、彼女はまた一つ涙を滑り落とした。



「……だったら言えよ、アイツに。貴様も分かってるんだろ? アイツ馬鹿だぞ? 言葉で伝えんと確実に理解しない」


「……」


「あと、調子狂うから泣くな! 猫は水が嫌いなんだよ。ただでさえ雨でイライラするのに弱音吐いて泣かれると虫唾が走る、笑ってろクソ女。……貴様、黙ってりゃそこそこ良い女なんだか──」



 ──ゴツッ!!



「──らぐふぅ!!?」


「!?」



 直後、豪速で飛んで来た何かがルシアの顔面に直撃する。「いってえええ!?」と悶絶する彼にウルが目を見開いていると、ばしゃばしゃと飛沫を上げながら何者かが彼らの元へ走って来た。



「……あれ!? タオル!?」


「……!!」



 そしてその場に響いたのは、驚いたようなグリアムの声。ウルはぎくりと肩を震わせる。どうやら彼が何かを投げ、ルシアに直撃したらしいが──その詳細を確かめる事無く彼女は立ち上がり、即座に地を蹴ると再び駆け出してしまった。


 ようやく追い付いたグリアムは逃げる彼女に目を見張り、「あっ、おいウル!?」と叫ぶが、やはり彼女は一目散に逃げて行く。彼は更に追いかけようと足を踏み出した。


 しかし、すぐに伸びてきた手がガシリと彼を捕まえる。



「死神ぃぃ〜……!」


「うえ!?」



 恨めしげな声が放たれ、グリアムの肩はびくっと跳ね上がった。ルシアは涙目で額を押さえ、グリアムを睨む。



「貴様ァァ!! いきなり攻撃するとは何事だ!? あァ!? 常識的にどうかと思うぞ!!」


「お前いつもいきなり攻撃して来るけど!?」



 暗殺者とは到底思えぬ発言に呆れていれば、ルシアはチィッ! と豪快に舌打ちを放った。グリアムは申し訳無さそうに眉尻を下げ、「ご、ごめんって……。ウルが変な男に絡まれてると思って、つい石投げちゃって……」と弁解する。いや貴様さっき石投げたんかい、と一瞬銃撃されたのではとまごうほどに痛かった先程の衝撃の理由を理解した。そりゃ痛いわ。



「……チッ、クソが……ナメやがって……」


「ご、ごめんな、痛かった?」


「うるせー! いいからさっさとあの女追い掛けろよ! 嫁泣かすなこの浮気者! 親二人がぎくしゃくしてたらロザリーが心配するだろうが!」


「……」


「……あ? どうした?」


「……ウル、泣いてた?」



 ぽつりと、グリアムは尋ねる。ルシアは眉を顰め、「……ああ、泣いてた。貴様のせいで」と即答する。グリアムは肩を落とし、額を押さえる。



「……そっか……やっぱ、俺のせいだよな……」


「……」


「……アイツが、俺に何も教えてくれないのも……俺に見せない涙を、お前には見せるのも……、俺が、ウルに信用されてないからだ……」



 頼りないもんな、俺……。とグリアムは渇いた笑みを力無くこぼし、地面を見つめる。ルシアは眉間に深く皺を刻み、即座に「違う」と否定した。



「……貴様、バカなのか? あの女が貴様を信用してないから弱音を吐かないなんて、そんなわけないだろ」


「……え……」


「アイツは貴様に弱い所を見られたくないんだ。心配かけて、貴様に失望されたくないから、ああやっていつも強がってるんだろうが」



 そんな事も察せないのか? と呆れるルシアの言葉が、すとんとグリアムの胸に落ちる。そして不意に、彼は幼い頃のウルの姿を思い出した。日々の鍛錬について行けず、白薔薇の教団ロサ・ブランカの裏庭に座り込み、いつも傷だらけで泣いていた、落ちこぼれの少女の姿を。


 鍛錬も魔法もいやだ。

 強くなんかなれない。

 才能なんかない。


 そんな弱音ばかりを吐いていた、幼いウル。

 毎日のように膝を抱え、泣きじゃくっていた彼女が、泣き言を漏らさなくなったのはいつからだったか。


 ──それはきっと、彼女の育てていた“赤い薔薇”が、あの裏庭から姿を消した後。



『グリアムくん、あのね、』



 幼いウルは、傷だらけの顔を上げ、同じく幼かったグリアムに告げる。


 その瞳に、涙はなかった。



『私、いつか、グリアムくんの隣で戦えるように……あなたの事を守れるように、強くなるよ』



 強い決意を秘めた碧眼が、驚いたように目を丸めるグリアムの姿を、まっすぐと映していて。



『……もう、泣かない』



 そう告げて微笑んだ彼女は、本当にそれ以来、涙を見せる事がなくなった。いつしかウルは裏庭にも現れなくなり、顔を合わせる頻度はみるみると減って行く。


 次第に時は流れ、気が付けば互いに大人になっていて──第一師団の師団長補佐に就任した彼女と、こうして肩を並べて戦うようになっていたのだ。


 人より劣っていた体力を鍛え、苦手だと言っていた魔法を使いこなせるようになるまで、一体どれほどの努力を重ねたのだろうか。──元々規格外の魔力を持っているグリアムに、その苦労は分からない。


 けれど、もし。



(……あいつが泣かなくなったのも、苦しい鍛錬に耐えて、俺の補佐になったのも……全部──)



 ──俺のためだとしたら?


 そう考え至り、彼が拳を握り込んだ瞬間。


 空が一瞬明るくひらめき、頭上に広がる暗く垂れ込めた雲がチカッと白んだ。直後、ドォォン! という轟音と共に雷が落ちる。弾かれたように顔を上げれば、山の向こうでほとばしる稲妻が視界に入った。


 ルシアは「うわっ、結構近くに落ちたな今の……。ロザリーとセルバ、怖がってるんじゃ……」と顔を顰める。その一方で、グリアムはぽつりと声を発した。



「……ウル……」


「……え?」



 突然ウルの名を呟いた彼に、ルシアは怪訝な表情を浮かべて視線を移した。刹那、グリアムは傘をその場に放り投げて突如走り出す。ルシアは目を見開き、「おい!?」と叫んだが、瞬足で駆け抜ける彼が振り向く事は無い。


 残されたルシアは暫く立ち尽くしたまま放心し、やがて我に返ると、グリアムの落として行った傘を拾い上げた。



「……アイツら、明日どっちも風邪引くんじゃないか……?」



 大雨の中をずぶ濡れで走り去った二人の姿に、はあ、と彼は嘆息する。程なくして「ロザリーが心配だし、帰るか……」と呟いたルシアは、その場で踵を返したのであった。




 * * *




 一方、その頃。

 家で留守番しているセルバとロザリーは。



「うっおー! すっげー! カミナリ!! かっけー!!」


「ごろごろっぴっかーん! しゅごーい!!」


「ゴロゴロー! ドドーン!!」


「ぴかぴかっ! どんどーん!!」



 めっちゃ楽しんでいた。




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