第44話 プロポーズ大作戦

 その日の晩は色々と考え込んでしまい、ほとんど眠る事が出来なかった。何度も夜中に起き上がり、黙って虚空を見つめる度、ウルも起き上がって「大丈夫……?」と心配そうにグリアムの顔を覗き込む。


 大丈夫、と明るく笑って彼女を安心させようとしたが、上手く笑えていたかどうかは分からない。暗い部屋の中、グリアムは不安げに寄り添うウルの身体を抱き締めて、ただぼんやりと眠れぬ夜を過ごしたのだった。




 * * *




「……お芋師匠、元気なさそうですけど大丈夫ですか? お顔が腐った芋みたいな色になってますよ……」



 覇気のない表情でソファに座り込むグリアムに、遊びに訪れていたセルバが声を掛ける。元々血色の悪い顔色を更に青白く染めているグリアムは、どこか上の空で彼の問いに答えた。



「……腐った芋かあ……美味しいよね〜……」


「……どうしよう大変だ! お芋師匠が壊れてる!!」


「安心しろセルバ。そいつは最近ずっと壊れてる」



 はあ、と嘆息してルシアが横槍を入れる。セルバは「でも……」と暫く心配そうにしていたが、やがて遠くばかりを見つめているグリアムから目を逸らした。ルシアの言う通り、どうやら彼は壊れているらしい。



「……ねえ、タオル……お芋師匠、本当に大丈夫……? なんか、ボケたお爺ちゃんみたいになってるけど……」


「知るか、多分緊張しておかしくなってるんだろ。今からクソ女と食事に行って、プロポーズするらしいからな」


「は? プロポーズ? ……え、なんで? 二人って、もう夫婦なんでしょ?」


「……色々あるんだよ大人には。知らんけど」



 適当に返答し、ルシアは頬杖をついて肩を竦める。そんな彼の膝によじ登り、「にーに、にゃんにゃん、遊ぼー」と楽しそうなロザリーに、セルバは苦く微笑みを返した。


 すると程なくして、奥の部屋から着替えを済ませたウルがやって来る。「ごめんなさい、お待たせしました……」と駆け寄る彼女の姿に、セルバとロザリーは目を輝かせた。



「う、うわあ! ウルティナさん、すごく可愛い! 天使!! お美しいです!!」


「うーたん、かあいいー!」


「えっ……そ、そう? ふふ、ありがとう、二人とも」



 きらきらと目を輝かせて称賛する二人に、ウルは頬を染めながらはにかんだ。


 いつも高い位置で一つに結われている彼女の亜麻色の髪は下ろされ、ハーフアップにして編み込まれている。顔にはうっすらと化粧が施され、服装もシフォンワンピースにカーディガンと清楚にまとめられていて──普段拳銃を構えて発砲しまくっている女だとは到底思えぬ──可憐な女性へと変貌していた。



「へ、変じゃない……? 大丈夫?」



 ウルが緊張した面持ちでルシアに問えば、彼は一瞬見惚れたように呆然としながらも、やがて我に返り「あ、ああ……別に、うん……いいんじゃねーの……」としどろもどろに返して目を逸らす。


 しかし肝心のグリアムは、やはりぼうっと遠くを見つめたまま何の反応も示さない。



「……」



 ウルは彼の様子に黙り込み、そっと悲しげに視線を落とした。その瞬間、彼女の背後から目にも留まらぬ速度でルシアが飛び出す。彼は目尻を吊り上げ、反応を返さないグリアムに向かって全身全霊で拳骨を振り落とした。


 ──ゴツゥッ!!



「いぃってええ!!?」


「いい加減にしろよ貴様はァ! 嫁がオシャレしてんだから何か一言ぐらい言え!! このボケ芋!!」


「えっ? えっ? 何──」



 と、ようやく顔を上げたグリアムは、困惑しながらウルの姿を目に留める。普段と違う服装で、気恥ずかしそうに目を泳がせる彼女を見つめ──彼の頬は、じわじわと熱を帯びて赤く染まった。



「……、え、あ……ウル……」


「……」


「……かわい……」



 ついポロりと本音を漏らしてしまい、グリアムは即座に口元を手で押さえる。しかしその言葉はしっかりとウルの耳に届いたようで、途端に彼女の顔は耳まで真っ赤に染まってしまった。



「……」


「……」



 互いに俯き、黙り込む二人。

 顔を赤らめながら俯いている彼らの様子をうんざりした表情で見遣ったルシアは、やがて苛立った様子で夫婦の首根っこを掴むと強引に玄関まで引きずり始めた。「えっ、おいっ、タオル……!?」と焦るグリアムを無視して、ルシアは二人を外へ放り出す。



「ちょ……っ、いきなり何す──」


「いいから、さっさとデートしてこい!! 焦れってえんだよ、この馬鹿夫婦!!」



 鬼の形相で怒鳴られ、バァンッ!! と破壊せんばかりの勢いで玄関の扉を閉められた。家を追い出された彼らがぽかんと呆気に取られていると、不意に家の窓からセルバとロザリーが顔を出し、「いってらっしゃーい!」と笑顔で手を振る。


 ウルとグリアムは黙ったまま、一瞬互いに顔を見合わせたが──程なくして、フッと微笑んだ。



「……うん。行ってきます」


「お留守番よろしくね」



 グリアムとウルは穏やかに破顔し、窓際の二人に手を振り返す。ようやく我が家に背を向けた彼らは、やがてどちらからともなく手を繋ぎ、村のレストランへ向かって照れくさそうに歩いて行った。




 * * *




 ──かくして。二人は手を繋いだまま、村で唯一のレストランへと赴いたわけだが。


 グリアムはだらだらと冷や汗を流し、非常に焦っていた。握り締めたフォークとナイフが小刻みに震え、前菜として出された目の前のブルスケッタを切ることすら出来ない。そんな彼の様子を見兼ねたのか、時間が経って冷静さを取り戻したウルが呆れたように口を開いた。



「……グリアムくん」


「は、はい!」


「……ブルスケッタは、別にナイフで切らなくても食べられるでしょ」



 そう言い、彼女は自分のブルスケッタを手で摘むと丁寧に口元へ運ぶ。グリアムはカタカタと声を震わせながら、「あ、ああ、そ、ソダネ」とぎこちない笑みをこぼした。


 ……どうやら、余程緊張しているらしい。

 ただならぬその動揺っぷりに、察しの良いウルは彼の考えを嫌でも悟ってしまう。


 ──おそらく、きっと。



(……指輪、持ってきてるんだろうなあ……)



 下ろしている髪を耳にかけ、ほんのりと頬を染めてウルはグリアムから目を逸らした。

 なぜなら──彼の履いているズボンのポケットが、明らかに不自然な形で膨らんでいるのである。……いや、あれ、どう見ても指輪のケースよね……、とウルは額を押さえながら溜息を吐いた。


 サプライズがサプライズになっていない辺りが、彼らしいというか、何と言うか。



(……まあ、そういう、ちょっと抜けてて素直なところが好きだったりするんだけど……)



 白ワインにちびりと口を付けつつ、ウルはグリアムを一瞥する。相変わらず緊張した面持ちでフォークを握り締めている彼が、自分に指輪を渡す事を想定して緊張してくれているのだと考えたら、素直に嬉しかった。


 ──ひとつだけ、懸念はあるけれど。



「……」



 ウルは視線を落とし、口に含んだ白ワインを喉に流し込む。嫌な想像が一瞬脳裏を過ぎったが、違う、と小さくかぶりを振った。


 目の前に居るのは、“グリアム”。

 忌々しい“彼”ではない。


 そう分かっているのに、時々、酷く不安になってしまう。



(……私に、キスをしたのも……私と、結婚したいって、言ってくれたのも……)



 ──ちゃんと、グリアムくん……だよね?


 ウルはワインを卓上に置き、きゅっと唇を噛む。……もし、違ったら……、と再び嫌な想像が脳裏を過ぎった頃──不意に、ワインクーラーの中に沈めていたボトルが、グリアムの手によって抜き取られた。


 彼はいつの間にか空になっていた自分のグラスに、どぷどぷと白ワインを注ぎ入れる。そのまま水でも飲むかのようにぐいぐいとワインを飲み干して行くグリアムの行動に、ウルは目を見開いた。



「……えっ!? ちょ、ちょっとグリアムくん!? 一気に飲み過ぎじゃ……!」


「んん……いや、なんか……コレ飲むと、緊張が和らぐ気がして……」


「ええ!? だ、大丈夫……!? それお酒よ!? 分かってる!?」


「うん……わかる……ふわふわしてきた」


「ああ~っ、しかも思ったより弱い~!!」



 虚ろな瞳で左右に揺れ始めたグリアムに焦燥し、ウルは即座に「すみません! チェイサー下さい!!」とカウンターの奥に向かって叫ぶ。


 成人済みとは言え、朝から晩まで任務で各地を飛び回っていた二人は普段からほとんど酒を飲まない。故に、彼に飲ませて大丈夫なのだろうかと些か懸念していたのだが、案の定である。

 もう、何してるのよ……、とウルは呆れて頭を抱えたが──そんな彼女の手を、ふと伸ばされたグリアムのてのひらがぎゅう、と掴んで包み込んだ事で、ウルは息を呑んだ。



「……っ、え……」


「……ウル……」


「ぐ、グリアムくん……? あなた、大丈──」


「……俺、多分、ウルの事好き……」



 突然告げられた言葉に、ウルは目を見開いて硬直する。やがて沸々と頬に熱が集中し、彼女は「……へ……!?」とようやく一言だけ声を絞り出した。


 グリアムは酒に酔った頬を赤らめ、机に突っ伏すような体勢のまま、虚ろな瞳でウルを見上げる。



「……俺、気が付けば、ウルの事考えてる……」


「……っ」


「……ウルに、触りたいし、キスしたいし……ずっと一緒に居てほしいって、思う……」


「……なっ……なっ……何……!」


「……なあ、ウル……」



 グリアムはテーブルに突っ伏したまま、膨らんでいるポケットに手を突っ込む。そこに入っているのは、おそらく指輪だと思うが──え、ちょっと待って。まさか、このタイミングで!? とウルは唐突すぎる展開に思わず狼狽えた。



(……ま、待って……! まだ前菜よ!? 早くない!?)



 普通、デザートとか終盤の段階で渡すもんなんじゃないの!? と戸惑うウルを他所に、グリアムは彼女の手を握りしめて指を絡めて来る。とろんとした表情で見つめる彼に、ウルの胸はどきりと跳ね上がった。



「……ウル」


(……ど、どうしよう……)


「ウル、俺……」


(……わ、私……っ、まだ心の準備が……っ)


「俺……」


(だ、だめよ、私……! しっかり聞かなきゃ……!)



 ウルは自身を律すると、とうとう覚悟を決め、ぎゅう、とグリアムの手を握り締める。


 そしてついに、彼はその続きを語った。



「……き、」


「……」


「……き、……き……」


「……?」


「──きぶんわるい……」



 直後。

 それまで赤かったグリアムの顔色が、サッと一気に蒼白に染まる。途端にウルも顔を青ざめ、「えっ……」と頬を引き攣らせた。


 程なくして「うえ……」と嘔吐えずき始めたグリアムに、血相を変えたウルが慌てて駆け寄る。



「ちょ……ぐ、グリアムくん! ちょっと待って我慢して!」


「……う……気持ち悪……うぷ……」


「と、トイレ! 早く! 立って!」



 ウルは今にも吐き戻しそうなグリアムを強引に立ち上がらせ、その手を引いてトイレへと走る。

 やがてバンッ! と素早く個室の扉を開いた彼女は、限界寸前のグリアムを個室の中へと蹴り入れ、便器にその頭を突っ込んだ事で何とか事なきを得たのだが──



「う、うぉえええ……っ」


「……はあ〜……」



 ──グリアムのプロポーズ大作戦は、彼自身の失態によって、幕を閉じてしまったのであった。




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