第45話 かっこわるいよな

 ──ガチャン、と玄関の扉を開く音が耳に届き、夢うつつを彷徨さまよっていたロザリーはぴくりと顔を上げた。彼女を膝に乗せ、同じくウトウトと微睡んでいたルシアもフッとその意識を浮上させる。


 どうやら、グリアムとウルがデートから帰ってきたらしいと二人はすぐに察した。



「ママ、かえってきたー」


「そうだな……随分と早かったみたいだが」



 てっきり夜中まで帰って来ないかと思っていたが、思ったよりも時間が早い。それどころか、出て行って二時間も経っていない気がするのだが……とルシアは首を傾げた。早く切り上げて帰って来たのだろうか。



(……まあ、グリアムのアホの事だし……。勢い余って前菜の段階でプロポーズしちまって、ギクシャクして居た堪れずに早く帰ってきたとか、そんなとこだろうな)



 ふう、とルシアは嘆息する。

 まあ、どうにしろ両思いなのだから、告白は成功したに違いない。さぞ初々しい幸せオーラをまといながら帰ってくるのだろうと予測し、ケッ、とルシアは面倒くさそうに眉根を寄せた。


 ──しかし、数秒後。


 彼らの前に現れた夫婦は、初々しさも幸せオーラもまとって居らず。ただただ悲壮感に満ち溢れた表情で俯き──特にグリアムが──死の宣告でも受けたかのような顔で室内へと足を踏み入れた。思わず硬直してしまったルシアを他所に、彼らはにこりともせず口を開く。



「……ただいま……」


「……」


「……」


「……、……」



 ──え? 何これ? 葬式帰りか???


 ルシアは言葉を無くし、まるで“この世の終わり”さながらの表情でソファに座り込んだグリアムを凝視する。一方のウルも酷く疲弊した様子で彼から離れ、「先に、お風呂頂きますね……」と暗い声を発して風呂場へと消えて行った。


 ルシアはロザリーを抱いたまま、ごくりと生唾を飲んで困惑する。──この雰囲気で察せられる事といえば、ただ一つ。



(……嘘だろ。まさか、失敗したのか? プロポーズ……)



 そんな馬鹿な……、とルシアは戦慄する。あんなベタ惚れ度百パーセントの女にプロポーズして、逆にどうやったら失敗出来るって言うんだよ。


 ルシアは頬を引き攣らせ、ソファに座って項垂れてしまっているグリアムへと近付く。何も言わない彼にゴクリと息を呑みながら、「お、おい……」と恐る恐る声を掛けた。



「……ぐ、グリアム……」


「……」


「……だ、ダメだったのか……?」


「……」


「……? おい……?」


「……」


「こ、こいつ……死んでる……!?」



 一切反応を示さないグリアムは、灰にでもなってしまったかのような“無”の表情で白目を剥いてだらんと脱力してしまっている。「お、おい! 死ぬなーー!」と彼の肩を揺さぶるルシアだったが、まるで魂が抜け落ちてしまったようなグリアムが、その後息を吹き返す事はなかった……。




 * * *




 深夜。


 ロザリーを寝かしつけ、終始心配そうにしていたルシアが名残惜しそうにどこかへと帰って行った後も、グリアムは消沈したままぐったりとベッドの隅に横たわっていた。


 未だに残っている酒のせいか、頭の中はモヤが掛かったように霞んでいて思考回路がうまく動作しない。けれど、自分が失態を晒してしまった事だけはありありと分かった。ベッドに腰掛けて髪をくウルの浮かない表情が、今日のデートが散々であった事をグリアムに訴えかけているようで。



(……俺……かっこわる……)



 ポケットの中に忍ばせた指輪のケースを、ころころと指先で転がす。何が世界最強の魔導師なんだか、と己の不甲斐なさを呪うばかりだった。


 本当は、こんな顔をさせるはずじゃなかった。

 ウルには笑っていて欲しいと思っていて、出来れば、この指輪を見て喜んで欲しかった。

 だが、浅はかな自分は肝心な時にいつも空回ってばっかりで──ずっと、彼女を傷付けているような気がする。


 グリアムは気を落としたまま、ぼうっと虚空を見つめた。すると不意に、振り返ったウルの手が伸び、彼の白銀の髪を優しく撫ぜる。



「……体調、大丈夫?」


「……」



 身を乗り出したウルはグリアムの髪を撫で、彼の顔を覗き込む。「また気持ち悪くなったら、すぐ言ってね」と穏やかに微笑むその表情に、胸が酷く痛みを放った。


 ──ああ、本当にかっこ悪い。


 グリアムはそっと手を伸ばし、ウルの腰を抱いて引き寄せる。そのまま彼女の下腹部に顔を埋めるような形で擦り寄れば、「え!?」とウルは焦ったような声を発した。



「ちょ……グリアムくん、どうしたの? また気分悪い?」


「……」



 ウルが問えば、グリアムは黙ったまま首を横に振る。しかし、彼女は「本当に大丈夫……?」と少し疑わしげだ。今の状態で吐かれたら困る……、とウルが危ぶんでいれば、グリアムは更に彼女を抱き寄せながら口を開いた。



「……ウル」


「……?」


「……ほんとは今日、俺、お前に……『結婚しよう』って、言うつもりだった……」



 ぼそぼそと、グリアムが力無く言葉を続ける。ウルはぴしりと固まり、ええ、知ってます……、と答えかけたが、寸前で踏みとどまる。漏れそうになる本音をぐっと堪え、「そ、そうなんですかぁ……」とウルはぎこちなく微笑んだ。

 対するグリアムは「うん……」とか細く頷き、彼女の腹部に額を押し付ける。余程落ち込んでいるのか、その声に覇気はなかった。



「……俺、もっと、ちゃんと……かっこよく、ウルに告白したかった……」


「……」


「ウルが、誇れるような……かっこいいプロポーズにしたかった……」



 ごめんな、とグリアムは弱々しくこぼす。


 ウルは暫く黙り込んでいたが──やがて、彼女は腹部に顔を埋めていたグリアムを引き剥がすと彼の横にころんと寝そべった。長い前髪で顔を隠すように俯いているグリアムの髪を掻き分け、伏し目がちな琥珀色のその瞳を見つめる。



「──グリアムくんは、ずっとかっこいいよ」



 程なくして彼女がそう伝えれば、伏せられていた瞳がゆっくりと持ち上がった。ウルは微笑み、彼に告げる。



「グリアムくんは、かっこいい」


「……」


「正直、致命的なまでにヘタレだし、時々ぶっ殺したくなるぐらい鈍いし、たまに本当に殺してやろうかと思う時もあるけど、」


「いやマジか」


「……でもね」



 あからさまにショックを受けたように青ざめたグリアムの両頬に手を添え、ウルは愛おしげに目を細める。至近距離で交わる視線。幼い頃から見て来た彼女の碧眼が、まるで美しい宝石のように見えた。



「出会った時から、グリアムくんだけが、ずっと……私にとって、一番かっこいいヒーローだったよ」



 ──両手で耳を塞いで、雷の音から守ってくれたあの時に。彼は、彼女の特別になった。


 辛い鍛錬に耐えて強くなろうと思えたのも。

 誰かを守るために戦いたいと思えたのも。

 こんなに誰かを愛おしく思えたのも。


 誰かと、家族になりたいと思えたのも。



「……あなただけなのよ、グリアムくん」


「……」


「私が、ずっと隣にいたいと思ってるのは、あなただけなの」



 柔らかく微笑むウルの言葉に、グリアムの表情が歪む。彼は震えそうになる下唇を噛み、ゆっくりと、ポケットの中に手を入れた。


 本当は、かっこいいプロポーズの言葉を告げたかった。

 おしゃれなレストランで、高いシャンパンとか飲んで、キザな言葉なんか紡いで、ウルが感動して泣いてしまうような──そんな、かっこいいプロポーズ。


 でも、どうにも、それが少し難しくて。



「……ウル……」


「ん?」


「……俺、きっと色々迷惑かけるし、ちょっと、頼りないけど……」



 ポケットの中から取り出したケースをそっと開き、シンプルな装いの指輪を取り出す。頬に触れている彼女の左手を優しく握り、華奢な薬指に指輪を当てがえば、ウルは僅かに目を見開いた。



「……俺と、家族に……」


「……」


「本当の、家族に……なってくれませんか」


「……」


「……結婚、してくれませんか……」



 声が震えて、手も震える。風呂上がりにそのまま放置した髪はボサボサだし、地面に片膝を付くどころかベッドに寝そべったままだし、多分顔は真っ赤だし……全然、かっこよくない。


 正直、返事が怖いと思った。

 けれど目の前のウルは、彼の目を見つめたまま幸せそうに破顔して──こくりと、深く頷く。



「……はい」


「……!」


「……私を、グリアムくんのお嫁さんにして下さい」



 ぎゅう、と左手に添えられたグリアムの手を握り、ウルは答える。グリアムは息を呑み、やがて震える手で、彼女の薬指に指輪を通した。それすらもモタついて、上手く出来なくて──やはり、かっこ悪い。


 程なくして、ようやく華奢な白い指に収まった銀の指輪。それが彼女と自分を繋ぐ“あかし”になったのだと、彼はうまく働かない頭をフル稼働させながら理解して──つい、目頭が熱くなる。



「……ウル……やばい……」


「なあに?」


「……俺、なんか泣きそう……」



 掠れた声を紡げば、ウルは呆れたように笑った。



「ええ? ここって普通、私が泣くとこですよ?」


「うぅ……、いやお前、全然泣く気配ないじゃん……」


「だって、グリアムくんがかっこ悪くて面白いんですもの」


「待って、傷つくからやめて……」



 俺だってかっこよく告白したかったんだよ……、と涙目でボヤけば、くすくすと楽しそうに笑うウルがグリアムの手を握る。そんな彼女を恨めしげに睨みつつ、それでもやはり愛しさの方が上回ってしまって、ああもうだめだ、と彼は彼女の額にこつりと自身の額を合わせた。


 繋がる手に嵌められた指輪が、長らく空白のままだった自分と彼女の関係に新たな名前を授けてくれる。“仮初”ではない、確かな繋がりを。



「ウル、」



 名前を呼んで、額を合わせて。互いの視線が自然と交わる。

 グリアムは最後にもう一度だけ言葉を紡いで、彼女にゆっくりと唇を寄せた。


 だけどやっぱり、声は震える始末で。


 本当、かっこ悪いよな。


 でも、それでも。



「……俺と、結婚してくれ……ウル」


「……はい、喜んで」



 ──俺は、君と、家族になりたい。


 触れた唇の熱を味わいながら、強く、そう思った。




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