逃がしませんよ、師団長。 ~世界最強の魔導師は家出したので探さないで下さい~

umekob.(梅野小吹)

第1章 家出は突然に

第1話 世界最強の男

 静寂に満ちた北の果て、凍て付く夜の氷の世界。

 草木も眠る極寒の地で、降りしきる雪に紛れてしまいそうな白いローブをまとった人影が一つ、美しい氷上にぽつんと立ち尽くしていた。


 銀の仮面で素顔を隠したその人物は、月明かりに照らされてきらめく氷面上を黙って歩き始める。星の瞬きが見下ろす、生き物の吐息すらも凍らせる夜の森。細やかな雪を踏み締めながら歩むその人物は、ふと耳に届いた雪上を駆ける複数の足音にぴくりと眉根を動かした。



「──来たか」



 静かに零れ落ちたそれはの声である。彼は仮面の下に隠れた双眸そうぼうを持ち上げ、雪上を踏み締める足音と共に現れた“魔獣ヴォルケラ”の集団を一瞥した。

 自我を失い、凶暴化した獣達は彼を敵だと認識したのか、牙を剥き出して一斉に飛び掛かって来る。その額にはくっきりと、隣国の紋章を模した“あざ”が浮かんでいた。



(……帝国の実検体ペットには、もはや言葉も聞こえないんだろう)



 仮面の男は嘆息し、襲い来る無数の魔獣ヴォルケラに憐れむような視線を向ける。そして、彼は徐ろに片手をかざした。



「“炎よ我が声に応えよFlamma-voz-àna”」



 獣の軍勢へと向けたてのひらの前方に赤い光が集束する。彼は抑揚のない声で更に続けた。



「“敵を炎獄へ屠る業火となれDestruc-ción-fragor”」



 呪文の詠唱と共に掌の光は大きく膨らみを増し、赤々と燃える巨大な球体へと変貌する。仮面の下に隠した眼を細め、彼は魔獣ヴォルケラの群れへとそれを放った。



「“フラムノヴァFrame-nova”」



 ゴウッ、と瞬時に爆炎を纏った球体が凄まじいスピードで獣の軍勢に向けて放出される。真紅の炎は魔獣ヴォルケラの軍勢を飲み込んで爆散し、皮膚や毛皮を焼き尽くさんと燃え盛って炎の壁を形成した。

 静かだった氷の世界に耳をつんざくような獣の叫び声が満ちるが、男の仮面の下の表情はぴくりとも動かない。黒々と燃え尽きて灰と化していく獣の姿をつまらなそうに眺め、彼はぼんやりとその場に立ち尽くす。


 そんな彼の背後に、フッと黒い影が落ちたのも、丁度同じ頃合であった。



「グギギッ!」



 額に敵国の紋章を浮かべた魔獣ヴォルケラが、男のすぐ真後ろで鋭い爪を振り上げる。彼は振り向き、今まさに己を殺そうと迫る爪の切っ先を視界に捉えるが──それを避けようともせず、獣に向けて冷ややかな視線を送るばかりだった。


 直後。



 ──ドォン!!



 冷たく満ちる静寂を裂くように響いたのは、銃声。同時に頭部を撃ち抜かれた獣が白眼を剥いてその場に倒れる。噴出した血飛沫ちしぶきですらも凍らせてしまう弾丸を放ったその人物は、くすくすと穏やかな笑みを零しながら男の元へと近付いて来た。



「何をぼんやりしているんです、。こんなアホ面の毛玉共に背後を取られたりなんかして」


「……」


が聞いて呆れてしまいますねえ。今なら私でも貴方を殺せてしまうかも」



 うふふ、と上品に笑い、たった今魔獣ヴォルケラの頭部を銃で撃ち抜いた女が小首を傾げる。白いローブを纏い、仮面で目元のみを隠している彼女のその愛らしい声が紡ぐのは、鋭利なトゲを孕ませた毒ばかり。


 世界最強──そう称された男は再び嘆息し、彼女から顔を逸らした。



「……勘違いするな、ウル。お前の気配に気付いていたから避けなかっただけだ」


「あら、気配は完全に消したつもりでしたのに。私もまだまだですね」


「安心しろ、常人なら誰も気付かない。気配も殺気も完璧に隠せていたぞ」


「ふふ、ご冗談を。貴方の寝首を掻けないのであれば完璧とは言えませんよ」



 上品に笑いつつ、彼女──ウルは、再び銃声を響かせて自身の背後に迫った魔獣ヴォルケラの額を振り返る事無く正確に撃ち抜く。呻き声を上げる間も無く絶命した獣に見向きもせず、彼女は白煙を上げる銃口にフッと息を吹き掛けた。



「全く、うるさい毛玉ですねえ。この森にもとうとう帝国の魔獣ヴォルケラが侵入して来ただなんて、私のお仕事が増えるばかりじゃないですか。面倒な事この上ないです」


「……」


「それに、いつまでもこんな寒い所に居たらお肌が乾燥してしまいますし。さっさと“魔獣核ヴォルコア”を壊して本部に帰りましょう、師団長」


「……ああ」



 笑顔を振り撒くウルに男は頷く。彼女が自身の都合ばかりを主張するのはいつもの事だ。もはや言及する気にもなれず、彼は黙ったままウルの後に続く。


 ──二人は魔獣ヴォルケラを討伐すべく、大陸東部に特設された特殊組織〈白薔薇の教団ロサ・ブランカ〉から派遣されてこの地へとやって来た戦闘団のメンバーだ。

 先程魔法によって魔獣ヴォルケラを一掃した彼は、戦闘の際に最前線を担う第一師団の師団長。世界最強と謳われ、“死神”の異名を持つ大魔導師である。一方のウルは、そんな彼をサポートする師団長補佐を務めている。


 二人は上層部からの命により、遠いこの北の地までわざわざ魔獣ヴォルケラ退治に赴いたわけだが──師団長である彼は、どこか上の空で頭上の星々を仰ぐばかりだった。



(つまらないな、やっぱり)



 冷え切った空気の中に、仮面の下から漏れる白い吐息が溶けて行く。彼はこの生活に酷くマンネリを感じていた。


 全ては、己がせいで。


 そう、彼は強過ぎるのだ。

 世界最強という称号は飾りなどではない。真実なのである。


 彼は、世界最強の魔導師──



「──グリアム師団長」


「!」



 不意に呼び掛けられ、男──グリアムはウルに視線を向けた。相変わらずニコニコと口元に笑みを浮かべている彼女は、「アホ面で空なんか見上げて、どうしました?」と穏やかに問い掛ける。

 グリアムは仮面の下で暫く視線を泳がせていたが、程無くして「いや……何でもない」と彼女に首を振った。ウルは頬に手を当て、仮面に隠れた瞳をきょとんと瞬かせる。



「あら……何も無いのにアホ面で空を見上げていらしたんですか? 気持ちの悪い人ですねえ」


「……仮にも上司に向かって気持ち悪いとか言うな。……それに、仮面を着けているんだからアホ面かどうかなんて分からないだろうが」


「うふふ、やだ、私ったら。普段からアホ面だと思っていると白状しているようなものでしたね、失礼しました」


「……」



 ──全く、減らず口ばかりをペラペラと……。


 グリアムは溜息と共に肩を竦め、毒ばかりを口にする可愛げのない補佐を追い越して、凍て付いた氷の森の奥へと消えて行った。




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