第46話 澪のある一面
「ねぇねぇ。昨日も出たらしいよ。あの不審者」
「えー、また!? もういい加減にしてほしいんだけど」
「確実に狙ってるじゃん。この周辺の女子をさ」
「……被害出てもおかしくないよね。今日はみんなで一緒に帰ろうよ」
「うん、それがいいよね!」
この不審者騒動は昨日よりも深刻になっていた。
身の安全を守るため、『一緒に帰ろう』との会話がいたるところから聞こえるほど。
さらには、
『19時以降の居残りは禁止します。なるべく二人以上で帰宅するよう心がけてください』
麗常看護大学の校内放送で、こんな内容が二、三度に渡って流れていた。
「……あちゃあ、とうとう大学も動く事態になったねぇ。居残りを禁止する学校って初めての体験だよ」
「昨日はここの在学生が声をかけられたのでしょう? 適した処置だと思うわ」
「みおちゃん。今日は昨日みたいに居残りは出来ないんだし、うちと一緒に帰らない?」
親友として七海は心配しているのだろう。その気持ちに胸が温まりながらも澪はお断りを入れた。
「ごめんなさい。今日は少し用事があるの……」
「用事、用事、こんな時に限って用事ぃ……?」
「え、ええ」
「ははぁーん。さては斗真君と一緒に帰るんでしょー? 不審者を利用しての放課後デートじゃん! ……言葉は悪いけど!」
こんな場面での七海の勘の鋭さは、砥石で削った包丁並みに切れる。
放課後デートという言い方は適していないが、意味合い的には同じである。
「デ、デートじゃないわよっ! ただ斗真くんは私を送ってくれるだけだから……」
「ほほぅ、ってことは一緒に帰る相手は斗真君なんだねぇ。親友よりも優先するだなんてうちは悲しいよ。ぐすんぐすん」
「わ、わざとらしすぎるわよ」
「あはは、うち自身そう思うよ」
泣き真似をしていた七海だが、一瞬で笑みを見せた後に澪に同調する。
斗真と一緒に帰る事実を知っても、態度が何一つ変わらない七海に、澪は当然の疑問が浮かび出る。
『七海はなんで焦っていないのだろう……』と。
「で、でも、ありがとう。私を心配してくれて」
「おぉ、なんかそう言われると照れるって! 友達なんだから礼なんていいって! んじゃ、斗真君との放課後デート楽しんでね!」
「だ、だからデートじゃないわよっ!」
「みおちゃんお顔が真っ赤っかだよぉ?」
「もうっ!」
デートの定義は日時や場所を定めて男女が会うこと。
澪は心の底では七海と同じことを思っていた。これは放課後デートであると。
ただ、面と向かって『デート』だと言われるのが恥ずかしかっただけなのだ。
「それじゃあ、うちは帰るねー! 終礼も終わったことだし」
「き、気を付けて帰るのよ? 不審者、出るかもしれないから」
「大丈夫大丈夫! 友達見つけたら間に入るから!」
手を振り、走りながら教室を去った七海。
澪が居る教室はいつも以上に人が少なくなっている。不審者の件があり皆早く帰宅して居るのだろう。
(こ、心を落ち着けないと……。斗真くんと会うのだから……)
少し静かな教室で、澪はある人との電話内容を思い返していた。
****
『も、もしもし。斗真です』
『と、斗真くん? ど、どうしたの?』
澪は驚きを隠しながら電話を取った。いきなりの電話、それも相手が斗真だったのだ。
『あの、いきなりになるんですけど明日の放課後って何か予定を入れていますか?』
『い、入れてないわよ』
もし、斗真以外の男が澪に予定を聞いたのなら「入れている」と答えるだろう。
特別な相手だからこその返事である。
『そ、それなら……ですね。あの、明日に一緒に帰ることって出来ますか?』
『……私と?』
『嫌なら全然構わないんですよ!? ただ、この周辺に不審者が出たって情報が大学の方から聞きまして……。心配になったんです』
『ありがとう、斗真くん……」
『い、いえ……』
斗真の声音には緊張の二文字が大いに含まれていた。その感情が伝染するように澪の体は張り詰めていた。
『それじゃあ、私と一緒に帰ってくれる?』
『はっ、良かったです……。自分、明日は17時30分には澪さんのところに行けるんですが、そちらどうなってますか?』
『今日の授業は18時まで入っているのだけど……待っていられる……?』
『そのくらい全然大丈夫ですよ。では、放課後に』
『うん……』
本当は斗真ともっともっと会話をしたかった澪だが、引き止める内容もなく『もっと声を聞きたい』なんて言える勇気もない。
(明日、斗真くんと会えるから……。そこで、いっぱい話せるから……)
そう自分に言い聞かせて、澪は電話を切ったのである。
****
「うん。これで大丈夫……」
澪は手のひらに指先で『人』の文字を三回書いて飲み込む。
これは人前に出てもアガらなくする古典的な方法。斗真を前にして変なところは見せられないのだ。
看護科の天使がこんなところをしているだなんて誰も予想していないことだろう。
実際に、教室に残っているクラスメイトにバレないようにこっそりとしたわけでもある。
『なぜこれをしたのか』との追求を受けた時、上手く躱せる自信がなかったのだ。
一応の気持ちの整理がついた澪は椅子から立ち上がり、
「私はそろそろ帰るわね。みんなお疲れ様」
「澪ちゃんおつかれー!」
「おつかれさま!」
「気を付けてね帰ってね!」
クラスメイトに声をかけて澪は教室を抜ける。
『今から向かう』とのメールを斗真に入れようとスマホの電源を入れた瞬間だった。
「みーおさん!」
「ッ!」
背後からの大声。ーーそして『ガシッ!』と両肩を掴まれたのだ。
「あー、驚かせるつもりはなかったんだ。ごめんね?」
「勇人くん……」
思わずため息を漏らしそうになる澪は、名前を呼んで気分を紛らわせた。
そう、澪からしたら斗真と会う時間が長引くことになるのだから。
「偶然帰るところが目に入ったからさ、声をかけちゃったよ」
「別にそれは構わないのだけれど、
「い、以後気をつけるよ」
「ええ、お願いするわ」
手が離されたことを確認した澪は再び歩き出そうとする。
澪は斗真の件とは別に、勇人と関わりたくなかったのだ。ーー先程されたあのことで。
「あ、待ってよ!」
「なにかしら。私、用事があるのだけれど」
邪険な雰囲気を纏った澪は整った眉を
大抵の男はこれで引くのだが……勇人は逆に立ち向かった。
「す、少しだけで良いから聞いてほしいんだ! ほんと少しだけだから!」
「わ、分かったわよ……」
嫌な気持ちを抑え澪は要求を聞く。
「あのさ、不審者が立て続けに出てるって話、みおさんも耳には入れてるよね? ここの在校生を狙ってるって噂も」
「ええ。後者はあくまで噂だけれど」
「う、噂だとしてもさ? 実際不審者が狙ってるかもしれないじゃん?」
「否定は出来ないわね」
毅然とした態度を貫いたまま澪は勇人の顔を見つめる。
かなりの圧がかかっているはずなのだが、勇人は全く動じることをしなかった。
「だからさ、今日はボクと一緒に帰らない?」
「……用事があるわ」
「それを承知の上でさ。ボクと一緒に帰れば不審者は絶対警戒するだろうし、声をかけようとも思わないと思うんだ」
「そうね。不審者は複数で帰宅している学生は狙わないでしょうし」
「でしょ! 最悪襲ってきたとしてもボクが用心棒になるからさ。結果的にみおさんは安全を保障出来るんだ。だからさーー」
息を荒くして喋る勇人に、澪は冷静かつ端的に言葉を返した。
「それは別に、勇人くんじゃなくてもいい話よね」
「えっ!?」
「心配してくれる気持ちは嬉しいけれど、勇人くんと私はあまり関わりがないでしょう? だからそこまでお世話になるわけにはいかないのよ。それに、私の用事もあるから無理よ」
「いやっ! ボクは全然構わないんだ! むしろそうさせてほしい!」
「断るわ」
「どうして!? こ、ここまで言ってるのに!」
図書室の時と同様、断っても食い下がってくる勇人に澪の怒りがじわじわ募っていく。
斗真を待たせている。斗真に迷惑がかかっている。全てはこの気持ちから。
「この前にも言ったけれど、私には彼が居るの。彼を差し置いて勇人くんと一緒に帰るわけにはいかないわ」
「でもさ、みおさんの安全を考えたら仕方がないって!」
「仕方が……ない?」
「っ!?」
澪はこの時に出していた。今までに聞いたことがないほどの冷々たる声を。一歩後ろに下がり、距離を置いて敵意を持った眼差しを向けて。
「その自己中心的な考えはどうにかならないの? 自分優先で話を進めているわよね」
「じ、自分優先だなんてそんな……。ボクはみおさんのことを気にかけて……」
何かのスイッチが入ったとだと勇人は直感した。それほどまでに澪の雰囲気が変わっている。立場が逆転したように声が弱くなってしまう。
「その気持ちはありがたく受け取っておくわ。でも、私は勇人くんのことが信用ならないのよ。一緒に帰りたくないの」
「エ……」
「あまり親しくもないのに、私の肩に触れてきたわよね?」
「それは、みおさんに気づいてもらうために……」
「それなら、私の肩を
「そ、それは……」
勇人は言い訳をすぐに思いつけなかった。声をどもらせて視線を迷子にさせる。
「まさか、肩が凝っているだろうと思っただなんて言わないわよね? その理屈が通用する相手じゃないわよ、私は」
「……」
「そんなあなたをどう信用しろと言うの? あなたに好意がある女性なら別だと思うけれど、私はそうじゃないもの」
「そ、その言い方……少し酷くない?」
「そうでしょうね。……私の異名、一体誰がつけたのかしら。こんなにも性格が悪いって言うのに」
微笑を浮かべる澪だが、そこに嫌な表情はない。
『害ある相手はぶっ倒していい』そんな沙彩の教育を澪は感謝していた。
もし、こう教えられずに『誰にでも良い顔をしなさい』だなんて教えられていたのなら、このように強く出ていられないだろうから。
結果、上手く言いくるめられていて一緒に帰らざる負えない状況になっていたのかもしれない。
「最後にもう一度だけ言うわ」
澪は息を吸い込み、勇人の瞳に訴えかけるように言葉を放つ。
「私には彼がいるの。彼の嫌がることはしたくないの。だから男性からどんな魅力的なお誘いがあったとしても乗ることはしないわ。私の心配だってしなくていい。だって今日
勇人のあからさまな好意に気付かないほど澪は鈍くはない。
だからこそ、嘘を交え酷い言い方であることを自負しながらも口に出したのだ。
『私のことは諦めて』
全てはそう伝えるように。
「じゃあ、私はこれで失礼するわね。これ以上彼を待たせてはいられないから」
澪は勇人に背中を向けて廊下を歩いていく。
『ね、ねえ今の見た!? ミオちゃん……物凄く怒ってたよ』
『うん。……初めて見たんだけど。あんな雰囲気の看護科の天使……』
『仕方ないでしょ? あんだけしつこくされたらさ』
『看護科の天使らしくはないけど……カッコよすぎない? 裏の顔みたいな』
『うぅ……お姉様って呼びたいよぉ。抱く枕にしてもらってナデナデされたいよぉ……』
『アンタの妄想はいいから! ……ってあの人、彼とか言ってなかった?』
『なんか前にオトコと一緒に帰ってた噂は聞いたことあるけど、もしかして……』
廊下でのやり取り。教室に残っている在学生に見られてしまうはどうしようもないことであった。
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