第5話 マスターと現れた天使

 Bar【Shineシャイン】は、表に二人、裏に一人と三人体制でシフトを回している。美希と旦那の真一郎は休店日以外は毎日出勤で、残りの一枠をバイトで埋めている。


「斗真ちゃん、今のうちに掃除とゴミ出しをお願いできる?」

「掃除とゴミ出しですね。分かりました」

 現在の時刻は18時30分。お酒を飲むにはまだ早い時間ともあって客の姿は見えていない。……が、飲酒店ともあって次第に客足は増えていく。

 その傾向が分かっているからこそ、残り仕事に追われないよう事前に済ませるのである。


 透明なビニールの手袋をはめ、ゴミ出しにトイレ掃除をテキパキと済ませる斗真は手を洗い、アルコール消毒をして表に戻る。

 20分もかからずに終わらせる斗真だが、その仕事ぶりは丁寧かつ早い。


 斗真がこのBarで働き始めてもう一年が経つ。今では与えられた仕事を効率よく行えるようになり、この店の立派な戦力として働いている。

 斗真が請け負う仕事はその他にも洗い物、注文受付、配膳、接客と飲食店と似たような内容である。


 注文されたお酒が作れないこともない斗真だが、酒や簡単なつまみはこのBarであるマスターの美希が担当している。

 お酒の知識や経験が格段に違う分、美希の方が風味が良く美味しいお酒、客が大満足するお酒を提供することが出来るのだ。もちろん、つまみの方もお酒と同様のことが言える。


「美希さん、掃除とゴミ出し終わりました」

「相変わらず早いのね、ありがとう」

 表に顔を出した斗真を見て微笑みを浮かべながら礼を言う美希は、ハイボールグラスを白布はくふで丁寧に拭いていた。

 ただグラスを拭くだけの単純作業だが、見惚れてしまうほどに洗練されていた。店内に流れるジャズの音楽がより一層、美希を際立たせている。


「いえ、とんでもないです。……あ、自分がグラスを拭きましょうか?」

「ううん、アタシがするわ。グラスを拭いてる姿ってなんかカッコいいじゃない? いかにもバーテンダーって感じで」

「分からないことはないですね。似合ってますよ、美希さん」

「それはどうも」


 客がいない時の二人は、毎度このような距離感で会話をしている。側から見れば同じ立場、対等の関係であると勘違いしてしまうほど。

 楽の出来る仕事ではないが、優遇も効き何年も続けていきたいほどに働きやすい職場である。


「あっ、そうそう。斗真ちゃんはコーヒーって好き?」

「はい。大好きですけど……どうしてですか?」

「アタシが狙ってたカルーアが手に入りそうでね、今度ビターのカルーアミルクのカクテルを作ろうと思ってるの。大好きってことなら飲んでみない?」


 カルーアとは、コーヒーリキュールの一種で、焙煎したコーヒー豆とサトウキビの蒸留酒スピリッツをベースに作られたものである。

 また、リキュールとは蒸留酒スピリッツにハーブなどの副材料を加えて香料を移し、砂糖やシロップ着色料を添加して調整した混成酒のことである。


 美希が言ったビター・カルーアミルクは、コーヒーリキュールを元にしたカクテルで、アルコール度数も高くなければ甘すぎることもない。飲みやすく女性に人気のお酒である。


「是非、いただきます」

「ありがとう。その時には感想を聞かせてちょうだいね」

「分かりました。参考になることは全然言えないとは思いますけどね……」

「そんなに身構えなくても、美味しかったか、美味しくなかったかだけ聞かせてくれれば大丈夫」

「美希さんの作るカクテルで美味しくなかったお酒はなかったですよ? 今度も楽しみにしていますね」


 美希の機嫌を取ろうという目的はなく、斗真は本心からそう思っていた。

『お酒を勉強するには、お酒を飲め!』ということで、美希には数十とのカクテルを作ってもらったことがあり、飲ませてもらった。

 アルコールも抑えられ、初心者も飲みやすいカクテル。全てにおいて文句の付け所がなかった。


 お酒をあまり知らない斗真だから……なんて言われたらそれまでだが、行きつけの客、常連客をしっかりと生み出せているのだから皆同様の感想を持っているのだろう。


「ホント褒め上手なんだから、斗真ちゃんは。……ただ、そんな斗真ちゃんでも佐々木さんの前ではタジタジになるのは面白いわよね」

「そ、そこは仕方がないですよ。お酒の入った異性の相手って一番気を遣いますから」

「セクハラしちゃえばいいのに」

「冗談にもなりませんからね……それ。って、美希さんは観察しすぎですって」

「だって余裕があるんだから仕方がないじゃない? もっと客足が良くなれば話は変わってくるけど」


 美希のこの言葉を聞けば、暇なんだろうなんて捉え方をしてしまうが、【Shineシャイン】で働く斗真だからこそ、その部分を断固として否定が出来る。


「たくさんのお客さんが来店しているのに感服ですよ……」

 Bar、【Shineシャイン】は、タウンターが5席にテーブルが2席の計7席ある。8割ほどの客が入ってもなお、美希には斗真を観察出来るほどの余裕がある。

 隔てない接客ををしつつ、次の注文を作れる美希は間違いなく要領が良い。効率の良い手順をしっかりと把握しているからこその力でもある。


「さぁて、今日もコッソリと覗かせてもらおっと」

「勘弁してください、本当……」

 美希の覗き癖を治すには、客足を多くして店を忙しくするしかないが、【Shineシャイン】はキャッチや声かけをして客を掴むBarではない。客次第という部分が大きい。

 斗真は今日も美希に覗かれることを覚悟するのであった。


 *****


 夕闇はどんどん夜の暗さに変わりーー星が燦々と輝いている。あれから三時間ほど過ぎーー時刻は21時になる。

 客が少しづつ増えてきた【Shineシャイン】に『カランカラン』と、心地良いドアベルが鳴る。その来店客は……あの常連だった。


「お待ちしておりました、佐々木さん」

「こんばんは、斗真くん」

 来客時の接客は斗真の役割。予約通りに見えた常連の佐々木に、斗真はゆっくりと頭を下げて挨拶をする。


 ベージュカラーのブラウスにパンツをセットアップした佐々木は、ナチュラルなメイクをしている。レザーのバックに高めのヒールを履き、シルバーのイヤリングをつけている。

 女性らしさと大人っぽさを兼ね備えた衣装の佐々木に、【Shineシャイン】のテーブル席に腰を下ろしている男性3人の団体客は目を奪われていた。それほどに魅惑を解き放っている。


「こんばんは、みーちゃん。お久しぶりね」

「お久しぶりです、美希さん。いつもお世話になってます」

 マスターの美希と挨拶を交わすみーちゃんこと佐々木は、微笑みを浮かべている。佐々木の両親と美希が知り合いということで、互いに親しい関係なのだ。


「斗真ちゃん、みーちゃんを席に案内してあげて」

「分かりました。佐々木さん、こちらの席にどうぞ」

「ありがとう」

 コツ、コツ……と規則正しいヒールの音を奏でる佐々木は、斗真が案内した席に移動する。

 カウンターの右端。ここが澪がいつも座る席であり、予約時はこのカウンター席を開けるようにしている。純な気遣いだ。


「お決まりでしたらお呼びください」

「ええ、分かったわ」

 佐々木の元にメニューを置く斗真は一礼してカウンターに移動する。


「……本命が来たわね? 斗真ちゃん」

「本命ってどういう意味ですか……」

「そのままの意味よ、そのままの。今日こそはガツンといきなさいね?」

「意味がわかりませんって……」

 店の雰囲気を崩さないように小声でやり取りする二人。美希の表情はウキウキとしていて楽しそうである。


「あと……一つだけ報告」

 と、唐突に声のトーンを落とす美希はスイッチが入ったように真剣な面様に変化させる。ついさっきまでのおちゃらけた雰囲気が消え、何が言いたいのか斗真は悟った。


「今日は佐々木さんと少し距離を縮めた接客をお願い。テーブル席のお客様の空気が少し変わったわ」

「……分かりました」

 美希の言う『空気が変わった』は、常連の佐々木に絡もうとしていると、言い換えていい。

 これまでに様々な客を見てきた美希はそんなことを感じることが出来るらしい。科学的証拠はないだろうが、斗真はその指示にいつも従っている。

 トラブルの種を摘み、楽しい空間を作るのもバーテンダーの仕事なのだから。


「斗真くん、注文を良いかしら?」

 その時、タイミングよく佐々木からの注文が入る。


「はい、なんでしょう」

「これをお願い」

 佐々木は白く細長い人差し指をメニューの一部に指した。


「ルジュカシス・オレンジですね。少々お待ちください」

 佐々木が注文したのは、ルジェ・クレーム・ド・カシスを使った外国のお酒である。 カシスリキュールの甘さと、オレンジの酸味が合わさった、女性に人気のあるカクテルだ。


「美希さん、19番をお願いします」

「19ね」

 見ての通り、カクテルの名前は長い。店内の雰囲気を崩さないためにも従業員は番号で言うように説明されている。バイトを始めた当時は酒の名前を覚えることに必死だった斗真だが、一年間のバイト経験を積んでいるため現在はお手のものだ。


 トールグラスと呼ばれる円筒形の背の高い大形グラスを用意した美希は、注文されたカクテルを作っていく。

 グラスの容量は300~360mlとロング・ドリンクを愉しむときに使うグラスだ。


 分量が全て頭に入っているのだろう。無駄のなく迷いない動きで透明なグラスにカシスの深紅とオレンジの色合いが追加される。二色の見た目はコントラストで、見た目にも華やかである。


 美希の手から、黒漆のお盆に『コン』と出来立てのカクテルが置かれ、斗真はカウンターから抜けて配膳をした。


「お待たせしました。ルジュカシス・オレンジでございます」

「ありがとう」

 音を立てずにトールグラスをテーブルに置く。先ほどから客が来店していないため、追加の注文をされない限り斗真の残された仕事は客である佐々木とコミュニケーションを取るだけだ。


「佐々木さんは大学帰りで?」

「ええ。……斗真くんは彼女さんとデート後のバイトかしら?」

 チラッと上目遣いを見せる佐々木はカクテルに口を付ける。『カラン』と氷とグラスが綺麗に響く。


「ま、またそんなことを……。自分も大学ですよ。佐々木さんも分かっているでしょうに」

「ふふっ、ごめんなさい。これがいつもの会話でしょう?」

「変えていただけると助かります」

「それは出来ない相談ね」


 佐々木は斗真との会話を楽しみにしていたのか、大人の雰囲気をまといながらも表情を生き生きとさせている。柔和な笑みを見せるその姿に視線を外せないほどの魅力がある。


「斗真くんはもっとこのお店のシフトに入ったりしないの? 確か……一週間に二日じゃなかったかしら」

「はい、月曜日と日曜日の二日です。もう少し入りたい気持ちもあるんですが、学業に支障をきたす恐れがあるのでセーブしているんです」

「大学は忙しいものね」

「勉強についていくことで必死でして……。佐々木さんはそうでもなさそうですけどね」

「あら、その理由はなにかしら?」

「なんとなく……ですかね」


 上手く言葉に出来ない斗真だが、佐々木は放課後に居残りをして勉強をしている。その答えは間違ってはいない。


「ふふふっ、かなり曖昧なのね。勉強は嫌いじゃないからその通りかもしれないわ」

「興味本位で佐々木さんの成績を聞いてもよろしいでしょうか? 自分の成績と比べてみようかと思いまして」

「あら、比べるだけじゃ面白くないでしょう? 折角だから、罰ゲームをかけて成績勝負をしてみない?」

「それは構いませんけど……罰ゲームと言うのは?」


「そうね。成績で負けた方が勝った方のお願いごとを必ず、、実行する。というのはどうかしら?」

「すみません。必ずというのはその……」

 バーテンダーとしての冷静さを持っている斗真は、その点を重要視する。必ずということは絶対にしなければならない。嫌々やらせるのは互いの空気が悪くなるだけ。客を楽しませるためにもそれだけはやらせてはならないのだ。


「そんなに身構えることはないわ。誰にでも出来ること、、、、、、、、、をお願いする。これを条件にするもの」

「なるほど。それなら構いません」

「先手は斗真くんに譲るわ。成績は一番新しいものでいきましょう?」

「分かりました。それでは自分から……。優です」


 大学の成績は100〜90点の秀。89〜80点の優。79〜70点の良。69〜60点の可。59〜0点の不可があり、不可になれば単位取得は出来ないことになっている。


「この勝負に乗ってくるだけはあるわね。良い成績じゃない」

「80点を少しだけ超えたギリギリのラインですけどね。佐々木さんはどうですか?」

「私はS成績。斗真くんのところで言う秀ね」

「……え」

 佐々木が通っている看護大学の成績区分はS〜Dであり、アルファベット以外は斗真が通う大学と同じ成績評価基準である。


「さて、私が勝ったということで……何をしてもらおうかしら」

「え、す、少し待ってください。ほ、本当に秀……なんですか?」

 数字で見てわかる通り、100〜90点を取れる人数はかなり限られている。いくら常連の佐々木とはいえど、簡単に信じることは出来なかった。これは優秀すぎる成績が故に起こる問題だろう。


「ふふっ、成績表なら私の家に置いてるわよ。斗真くんのバイト終わりにでも私のお家にお邪魔して確認してみます?」

「……わ、分かりました。信じます」

 流石は年上というべきか、“信じるしかない”発言をしてくる。が、佐々木の堂々とした態度を見るに、S成績は真実なのだろう。


「それで……佐々木さんは自分にどのようなお願いを?」

「そうね。このカクテルを飲み終えるまでに考えておくわ。……斗真さんがびっくりするようなお願いをするから覚悟しておいてね」

「分かりました。楽しみにしております」


 そしてーー25分ほどかけてカクテルを飲み終えた佐々木は再び斗真を呼び……突然と言った。誰も予想が出来ないことを。


「さっきのお願いだけれど……私に告白、、をしてほしいの」

 お酒に酔っているのか、頰をピンク色に染め……見惚れるような艶笑えんしょうを見せながら。

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