第3話 からかいと真っ赤になる看護科の天使

 茜色した細長い雲。柔らかい黄金色の日差しがガラス窓に反射するこの時間。


「あれ、みおちゃんもう帰るの? 早くない?」

 今日の最終講義が終わり、持参したバックに丁寧に荷物を詰めて帰る準備を始めている澪を見て不思議そうに声をかける七海。

 講義が終わったのなら大学を出るのが普通であるが、澪は真面目が故に疑問を持たれるのだ。


「ええ、そのつもりだけど……。どうかしたの?」

「いやぁ、いつもみおちゃん居残りで勉強してるから今日も残るのかなぁーって思ってて」

「居残りしている日が多いのは間違いないけれど、毎日じゃないわよ?」

 七海は彼氏と一緒に帰る約束をしている。彼氏の連絡が来るまで看護大学で待機していることで澪が居残りをしていることを知っているのである。


「あー。そういえばみおちゃん、月曜日だけは早く帰ってない?」

「ええ、その通りよ」

「習い事とか何かしてるの? みおちゃんのことだからしててもおかしくはないけど……」

「ううん、そんな立派な用事じゃないわ。飲酒店よ」


「んえっ!? 飲酒店!? みおちゃんお酒飲むの!?」

「私だって嗜む程度には飲むわよ。そんなに驚かなくてもいいと思うのだけれど……」

 今までに酒の話題を出したことがなかったからこそ、七海は驚嘆を示す。澪が酒の席に通い出したのは半年ほど前のことである。


「飲酒店ってことはBarに行く感じだよね!?」

「ええ。私のお母さんの知り合いが経営しているお店で良くしてもらっているの。今度七海も一緒に行ってみない?」

「んー、うちはいいかな! お酒にあんまり詳しくないし、Barとかオシャレなお店はどうしても気後れしちゃうから」

「それは残念……。でも、足を運びたくなったらいつでも教えてほしいわ」

「うん、ありがと! そうさせてもらうねっ!」

 笑顔でそんな約束をする二人。性格が全然違う澪と七海だが、流石は親友と呼べる仲。これから先も良い関係を築けていけるだろう。


「でも、みおちゃんは美人さんなんだから気をつけるんだよ? そういうトコって結構絡まれるって聞くもん。今までに絡まれたりしたことあるんじゃない?」

「お酒が入る場所だから絡まれたりはするわよ……。でも、大丈夫。バーテンさん、、、、、、がいつも助けてくれるから」

「ふぅん」

 柔和な声色で安心げに答える澪は微笑を浮かべている。澪が絡まれていた時に助けてくれたバーテンダーのことを忘れることはない。

 酒の影響で、傲慢な態度や敵意をもって当たってくる客を冷静に対処し、絡まれている側への気遣いも忘れなかったあの人、、、、

 自身に余裕があるからこそ出来る対応であり、澪は見惚れるようにあの時の経験を記憶に刻んでいた。


「信頼してるんだねぇー、みおちゃん。そのバーテンさんを」

「な、なにか言いたげね……」

 片方の口角をあげてニマッとしている七海に、ジト目で訴える澪。


「いやぁ、みおちゃんが幸せそうに語ってたからそのバーテンさんのことを気に入ってるんだろうなって」

「し、幸せそうには語ってないわよ……」

「あー、あれか! あれでしょ!! そのバーテンさんをお世話したい……みたいな! みおちゃん過保護だし、なんか年上好きそうだし!!」

 看護大学を卒業すれば、看護師や保健師の国家資格を生かして総合病院や国公立、私立の大学病院等に就職することになる。怪我や病気で生活が不自由になった人のお世話をする職だ。世話嫌いなら長く勤めることは難しく、この大学に進学していないだろう。


「もぅ、どうしてそうなるのよ。どうして年上好きだと思われているのかも分からないし……。そのバーテンさん私達の一つ年下よ?」

「え、ちょっえっ!? バーテンなのに年下!? ご年配の方じゃなくて!? 」

 バーテンダーと聞いて二十代を浮かべられる者はほぼいない。9割型、四、五十代がしているイメージがあるはずである。その理由としては専門的に酒を扱う仕事だからで……七海も後者のイメージを持っていた一人だった。


「ふふっ、その人はバイトだけれどね。そのBarで一年くらい働いているらしいわ」

「ふーん。なるほどなるほど。そー言うことだったんだねぇ……」

「そう言うこと……?」

「いやぁ、みおちゃんはその人のことが気になってるんだーってねぇ?」

「ど、どうしてそうなるのよ……っ」


「だってさー、そのバーテンさんは月曜日のシフトに入ってるわけだよね? そしてみおちゃんは月曜日だけ早く帰る。つまり、そのバーテンさんに会うために予定を合わせてるようなもんじゃん!」

「……」

「ほらぁ、なにも言えない」

 得意げな表情で追求する七海は、じわじわと顔を近づけてくる。


「ち、違うわよ……。少しぼーっとしていただけ」

「ほー、じゃあ説明してよ。出来るはずだよねー?」

「……そ、それは……。その……」

 頭の回転が早く、言葉を繋ぐことが得意な澪だったが声を吃らせてしまう。七海の発言が的を得ていたのだ……。こうなってしまうのも仕方がない……。

 そしてーーあの人のことを脳裏で浮かべてしまった澪は、両手をもじもじとさせながら顔を伏せてしまう。


「ほらー、言葉が出てこないじゃん! 好きな人の話題でおかしな反応をしてると思ったらそういうことだったのかぁ〜。なるほどねー、なるほどねぇ!!」

「だ、だから違うのっ! わ、わたしはその人のことを好きなわけじゃないのっ!」


「まぁまぁ、いいじゃんいいじゃん! 好きな人が出来たってさ!

「は、話を聞いて……っ!!」

「でもぉー。好きな人を相談してくれるって言ってたのにみおちゃんってば酷いよ〜。もう出来てたんじゃん!」

 にひひ、とからかいの笑みを見せながら澪の肩をバシバシと叩く七海。先ほどの反応を見れば誰がどう見ても『その人のことが好き』と捉えるだろう。


「だ、だからちがーー」

「ーー今ままで散々男を切ってきた理由はソレだったんだねぇ。みおちゃんはその人に夢中ってことかぁ」

 親友の仲だがらこそ執念しゅうねん深いからかいをしてくる。だがしかし、それは仕方がないことでもある。今まで澪に色恋沙汰の話は何もなかったのだから。

 澪にも彼氏が出来るかもしれない……なんてことは、七海にとっても嬉しい話題であった。


「ほらぁ、早く帰らないとそのバーテンさんに会えないよ? たっくさん時間作るために急いで帰りなさいな?」

「も、もうっ!! もう知らない……っ」

 追求の嵐、からかいの旋風に容量キャパがオーバーしたのだろう。夕日に負けないほどの赤みを帯びた澪はバッグを抱えて教室を走りさったのであった。


 

 ****



「あちゃあ、からかいすぎた……。これは謝らないとだ……」

 逃げ去るように帰った澪を見て独り言を零す七海は、スマホからLAINらいんを開く。そして、『さっきはごめんね!』と顔文字つきのメールを送った。


 罪悪感を覚えながらスマホを閉じる七海は……ゆっくりと自席の椅子に腰掛けた。

(……でも、あの男斬りのみおちゃんが好きになった人……か。一体どんな人なんだろうねぇ)

 なんて心の中で呟きながら彼氏からのメールを待つ七海であった。

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