第44話 斗真帰宅後のBarで

 斗真がShineから帰宅した数時間後のこと。


 ガランとした店内にドアベルが小さく鳴る。

 店の扉をゆっくーりと開けたその人物は顔だけをひょっこり覗かせ、視線を彷徨わせる。

 そしてーー

「よーし。お客さんは誰もいないっと。ミキミキを独り占めだー!」


 両手を上げ伸びやかな声を出しながらカウンターに早足で向かっていく。

 子どもらしい言動を見せるが決して未成年なんかではない。立派な大人である。


「そのテンションで来られると迷惑なんだよねぇ。もう朝の4時なんだから」

「えー? 営業中なんだからそこは我慢しなきゃね、ミキミキ?」

「我慢の限界だから言っているのよ」

 店主と客の関係にしてはあまりにも親しい会話。

 もっと言えば、美希がこんなにも失礼な発言をする相手はこの女性だけでもある。


「本当似てないわよね。沙彩さあやとみーちゃんは。胎児中にみーちゃんの元気を奪い取ったんじゃないの?」

「わたしは化け物かいっ! って、顔とかはそっくりでしょ。ミオみたいに美人さんで? にゅふふ」

 慣れた様子でカウンターに腰を下ろす澪の母親である沙彩さあやは、テーブルに肘をつき、いたずらっぽい笑みを声に出す。


 年齢を重ねているが全く老いを感じさせない沙彩。身長はミオよりも小さく、年の近い妹と言われてもすぐに納得出来るだろう。


「残念だけど、みーちゃんの方が確実に上。誰かさんと違って気遣いが出来るから」

「長年の友達に気遣いはいらないでしょー?」

「最低限の気遣いは見せてくれてもいいと思うんだけどねぇ。来るなら来るって連絡入れるとか。そうしたら簡単な料理とか準備してたのに」

「そうするだろうと思ったから連絡を入れなかったんだよ。お料理を作ることでミキミキの労力が増えちゃうし」

「本当は?」

「サプライズー!」

 なんて恨めない笑顔を作り体を左右に揺らしている沙彩。

 澪と顔を見比べない限り、性格だけで澪の母親だと判断するのは困難を極めるだろう。


「前言を撤回しておくわ。一応の気遣いはしてくれてたのね」

「一応って、もっと感謝してくれてもいいんだよ?」

「アタシ的に連絡してくれた方が感謝してたわ」

「それじゃあサプライズ出来ないじゃん」

「サプライズもしたかったようね……」

「そうそう。気遣いとサプライズをしたかったってわけ! うん!」


 右手でまるの字を作った沙彩。そして次は左で丸の字を作る。

 沙彩はいつもこんな調子で明るい。

 早朝の4時にこんなテンションの高さを維持出来る人間はあまりいないだろう。


「で、今日は何を飲むの? 来店したからにはご注文してくれるんでしょうね?」

「もちろんもちろん! 梅酒! ロックで!」

 ロックとは氷を入れたグラスに酒を注いだ飲み物のことでアルコール度数の高い酒を飲む方法の一つである。


「半額にしてあげるからソーダ割りにしてちょうだい」

「なんで!」

「酔われて今以上にテンションを上げられたらアタシの体力がゴッソリ削られるのよ」

「それじゃあ仕方ないねー。分かったよ」

「ありがとう」


 理不尽な要求をする美希だったが、沙彩は簡単に了承を出す。

 こうしたやり取りが出来るのも長年関わり合ってきたからであった。


 ****


「疲れてるわね、沙彩」

 梅酒のソーダ割りをカウンターに出し、美希は沙彩の隣に座る。

 別の客がいる時には出来ないことである。


「仕事が終わって、いろいろしてからココに足を運んだから。しかも今日は仕事中にご年配の患者さんにしつこく口説かれたりで大変で」

「切り札は使わなかったの? 旦那さんのお呼び出し」

「ダメダメ。あの人嫉妬深いから病室から患者さんを強制退場させそうだもん」

「実行したら全国ニュースに載りそうね」

「確実に載る載る」


 ガラスのマドラーで梅酒をクルクルと混ぜながら話を進める沙彩。

 ガラスと氷が接触し、心地いい音色が鳴っている。


「でも、将来のみーちゃんも沙彩みたいに口説かれそうね?」

「それか、院長さんに愛の告白をされるかも。わたしみたいに」

「可能性は十分ね」

 なんて言いつつ、院長に口説かれたとしても澪の気持ちが揺れ動くことはないだろうと美希は確信していた。

 澪にはもう好きな人がいる。その一途さは一級品であると分かっていたから。


「まー、わたしはどんな恋でも応援するつもりだけどね?」

「えっ? どんな恋でもってどう言うこと?」

「あれ、ミキミキならなんとなく感じだと思ったんだけど。ミオはオトコに興味がないってこと」

「ど、どうしてそう思うのよ……。アナタ母親でしょう?」

 額を押さえながら深いため息を吐く美希。

 さっき考えていたことと全く違うことを言われたのだ。澪の母親である沙彩に。

 こればかりは回避できるはずがない。


「だって、ミオは今まで彼氏を作ったことないんだよー? 結構な数で告白されてるのにも関わらず。じゃあもうソレしかなくない?」

「沙彩はなかなかの鈍感よね。みーちゃんをあそこまで立派に育ててきたのに」

「へ?」

 本当に何も分かっていないのだろう。沙彩は気抜けた表情で首を横に向けた。


「まぁいいわ。この話とアタシがしたかった話は関連性があるから」

「……あぁ、なるほどねー。だから梅酒をソーダ割りにしてわたしを酔わせないようにしたんだ? なんだか重要な話っぽいし、冷静を保させながら聞かせるために」


「なんでソコは鋭いのよ……。鈍感か鈍感じゃないかはっきりさせてほしいわ」

「これはミキミキが分かりやすいだけだって。顔がやつれてるっていうか、なにか嫌なことがあったんだなぁってのは分かるもん」

「はぁ……。流石は看護師さんってところね。観察眼が凄いわ」

「これぞベテラン看護師の力ですよ」

「はいはい。それじゃあ本題に移るわね」

「流さなくてもいいのにぃ」


 むーと不満顔を浮かばせている沙彩を無視して、美希は店で起きた事を沙彩に話すのであった。


 ****


「そっかそっか。とうとう澪の前にもそんなクソ男が出てくる年になったのかぁ。成長したもんだねー」

「しみじみと言っていられる問題じゃないでしょう? みーちゃんの母親としてそれで良いわけ?」

「良くはないけどわたしは心配してないもん。澪ならそれくらい簡単にあしらうだろうし、わたしが昔っからそんな教育をしてる。害ある相手はぶっ倒していいって」


「その教育論を否定するわけじゃないけど、病院の印象が下がるかもしれないわよ? 院長さんが沙彩の旦那さんなんだから、あそこの娘は〜って変な噂が立ったりして」

『ぶっ倒す』これがどういった形に働くのかは澪次第だが、相手に恨みを買えば買うだけありもしない噂を立てられる可能性が高い。

 そして、悪い噂は厄介なことに広まっていくスピードが早く曲解していくものだ。


「それは覚悟の上で教育してる。だって病院よりも子の方が大事だもん。その優先順位を間違えたら愛情がなくなるも同然じゃない? まぁいざこざがないのが一番なんだけど」

「じゃあ、その原因の男をどうするかを考えた方がいいんじゃないの?」

「めっちゃイライラするけどさ、行動に移したわけじゃないからどうすることも出来ないじゃん? 因みに、クソ男は出禁には……?」

「あの手この手を使えば出来ないこともなかったけれど、それでみーちゃんに八つ当たりする可能性があるでしょう? 犯罪的思考をしてたし変に刺激を与えない方が良いって思ったの。……今の所は」

「それが良いだろうねぇ」


 この件についてかなりの憤りを溜め込んでいる二人だが、現段階での解決は難しいと即判断していた。

 ただ、澪のことをあれだけ貶されたのだ。美希の心は斗真と同じで荒れていた。


「あとさ、わたしがのんびり構えてられる本命、、の理由は別にあって」


 そこで意味深に美希に視線を寄せる沙彩。


「ミオのために怒ってくれた彼。トーマ君だっけ? 彼がいろいろと根回してくれるはずだし」

「斗真ちゃんと一度も会ったことがないのに良くそんなことが言えるわね、沙彩?」

「しらばっくれるのはもういいんじゃないかなぁ? ミキミキがそんな言い回しをしてくれたんでしょ。その彼に」


 全部お見通しなんだからと言わんばかりに梅酒を飲み干す沙彩は、ぷはぁ〜とご機嫌な声を出した。

 最初に強いお酒を所望していたせいか、飲むペースは普段以上に早い。


「……」

「なんでそう思うの? って顔してるけど、ミキミキなら野放し状態でわたしにこんな話したりしないもん。違う?」

「はぁ、正解よ」

「しっかし意外だなぁ。彼に相当な信頼がないと出来ないことだと思うんだよねぇ、これ。彼がミオに対してよからぬことを考えてたりしたらーー」

「この店を畳んでもいいわね」

「そっか。なら言うことはないや」


 沙彩は知っている。美希がこの店にかけている思いを。

 この店を対価として出されたのなら、沙彩は納得の言葉以外見つからない。


「でもさぁー、教えてくれても良かったと思うんだよ。話を聞く限り両想いなんでしょ? 彼とミオは」

「もし両想いなら、この先お付き合いをする関係になるのかもしれないわね」

「ほー、それはそれは。ミオに初彼氏が出来るかもかぁ。楽しみだねー」

「もしお付き合いしたとしてもちょっかいは出さないようにね? みーちゃんは特に恥ずかしがるだろうから」

「そうだねー。じゃあ約束する代わりに梅酒のロックを注いでよ」

「分かったわよ、全く……。本題が終わった瞬間に頼むんだから」


 座高の高い椅子から立ち上がった美希は、飲み終わったグラスを持ってカウンター内に戻る。

 氷を追加し、梅酒を注いでいる矢先だった。


「あのさー、ミキミキ」

「どうしたの?」

「この件、何かあったらすぐわたしに教えて」

 神妙な声で言う。


「ええ、分かっているわ。アタシの方でもいろいろと対策は施してみるから」

「ありがとう」

 この時、沙彩の母親らしい一面を垣間見た美希であった。

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