第35話 澪の攻めと甘い悪酔いと

「はい、斗真くんはお水で良かったわよね?」

 私は公園のすぐ側にある自動販売機で天然水とミックスジュースを買い、ベンチに座らせた斗真くんに渡す。

 飲み物を買いに行っている間、私は一人で落ち着きを取り戻そうとした。


「ありがとうございます。これお金です」

 ポケットから革の長財布を出している斗真くんは、150円を私に差し出してくる。


「このくらい大丈夫よ。奢りでいいわ」

「そんなわけにはいきませんよ」

「私にたて突いても良いのかしら」

「え……?」

「美希さんに報告しても文句は言えないわよね? 斗真くんが気を遣う、、、、……って」

「そっ、それは……」

「ずるい言い方だとは思うけれど許してほしいわ。私だって譲れないものがあるから」


 三人用の木造りのベンチに腰を下ろす私は、先に掛けている斗真くんに少しだけ擦り寄った。

 友達以上、恋人未満の距離。肩が触れ合うか触れ合わないか、そのくらいの近い距離で。


「こんな時間だから早く帰さないといけないことは分かっているのだけど……ごめんなさい、こんな無理を言って……。そのお水はお詫びとしても受け取ってほしいの」

 これが飲み物の代金を受け取りたくなかった理由。譲れなかった理由だった。

 お水は110円。この値段でお詫び代と同値だなんて思えない分、受け取ることはできなかった。


「そ、それならありがたくご馳走になります」

「うん、ありがとう……」

 私は指先に力を入れてキャップ付きのアルミ缶のミックスジュースを開ける。それを見た斗真くんもペットボトルのキャップをぐりっと回す。


「あ、あれ。開かない……」

 ふん、と力を入れてる斗真くん。数回挑戦するがキャップの閉まっている力にはまさっていなかった。


「斗真くんホントに酔ってるのね。わたしが開けてあげる」

 お酒を飲みすぎると手足に力が入らなくなることがある。これは全身の筋肉の緊張が緩むため。斗真くんの力が弱いわけじゃなく一時的なもの。


「助かります……。女性に開けてもらうのってなんだか恥ずかしいですね……はは」

「ふふっ、私は嬉しいわよ。斗真くんの力になれて」

 小さなりきみ声を漏らしてしまうも、キャップを開けることが出来た私は斗真くんにお水を手渡しする。


「……本当にありがとうございます、澪さん」

「気にしなくても大丈夫」

「それと、こうした時間を作ってくれて……」

「えっ、こうした時間?」

 私はその言葉だけじゃピンとこなかった。お酒の影響で判断能力が鈍っているからでもないと思う。


「自分に負担を掛けさせないために、こうして休憩させるために公園のベンチに座らせてくれたことです。休みたかったことを看破されてるなんて思いませんでした……」

「そ、それは違うわよ……。私は本当に斗真くんを離したくなかっただけよ……」

 斗真くんは本気で勘違いをしている。私がせっかく勇気を出して、斗真くんの手に自分の手を重ね『斗真くんを離したくない』なんて言ったのに……。


 鈍感度を数値化するのなら、今の斗真くんは最大値を越してエラーが出てると思う……。

 不満はある。あるけれど……斗真くんらしくて胸がぽっと温かくなる。


「み、澪さん……。自分に気遣わせないための言い回しだってことは分かってますけど、何度もそう言われると使われると……その……、自分も酔ってるので……」

「勘違いしてしまう?」


「そ、それもないことはないんですけど……。自分、悪酔いしてしまいますよ」

「っ!」

 悪酔い、それは私が不快になるようなことをするかもしれない。斗真くんはそう言っている……。


 酔っていながらも斗真くんは真剣な表情を私に向けて。優しい瞳が三白眼のようになって……。

 こ、こんな場所で……私たち以外に誰もいない公園で悪酔い。斗真くんはもしかしなくても、そういう好意のことを言っている……。

『斗真くんなら私は拒まない』なんて言ったのなら、一体どんな反応を見せてくれるのだろう……。


「でも、そんなことだけはしたくないんです。澪さんに嫌な思いをさせたくありませんから」

「ありがとう……」

 斗真くんは本当に優しい……。お酒で理性が欠けているはずなのに私のことを本気で考えてくれている。


(こんな立派な人だから七海も異性としての魅力を感じちゃうのよね……)

 こんなにも些細なことなのに嫉妬してしまう私が嫌い……。二十歳を過ぎたのに私はこんなにも独占欲が強い……。

 斗真くんの魅力を知ってるのは私だけでいい。私しか知らなくていい。それがいい。そう思っていたから……。


「……澪さん。お酒の力を借りて言うんですが、澪さんに一つ謝らなければならないことがあるんです」

「わ、私に謝らないといけないこと……?」

「数日前のことなんですけど、澪さんを南大に呼んで一緒に帰った時のこと覚えてますか?」

「先週の金曜日よね」

「はい……。その件である噂が南大で広がってまして……」

 一口、水を含んだ斗真くんは喉を通した後に話を続けた。


「自分と澪さんがその……つ、付き合ってるんじゃないかって」

「っ!! わ、私と斗真くんが付き合ってる……」

「は、はい……。だから澪さんに迷惑が掛かってしまってるんじゃないかって思って。恐らくですけどこの噂は時間が経てば経つだけ広まっていくと予想してて……」


 斗真くんの手に持っているペットボトルが音を立ててへこむ。申し訳なさからか、力がこもってしまったのだろう……。


 私には分かる。斗真くんがなぜこうも自分を責めているのかを。


「斗真くんのことだから私に好きな人がいたら、私が好意を寄せてる人に誤解させてしまうだなんて考えているんでしょ」

「そ、その通りです……」

「そのことなら心配しなくても大丈夫よ。だって私が好きな人は誰にも負けないくらいの鈍感さんで、私が好きってことすら気付いてないもの」

 あと一つの理由。私が好きな人、、、、と濁すことで斗真くんに嫉妬してほしい。そんな女々しい気持ちがあった。


「お、想いに気づいてない……ですか? なんていうか……酷いですね。その男性」

「そうよね、ヒドイわよね」

「自分なら文句を言いたくなります」

「……ええ」


 はぁ、とため息を吐きたくなる。わざとやっているんじゃないかってくらいに鈍感なんだから……。

 斗真くんは知らず識らずに自分に対して悪口を言ってしまっている。


 だって、私が言ってるのは斗真くん。アナタなのだから……。


「私、勇気を振り絞ってアピールをしたのに、何故か気遣ってくれた、、、、、、、だなんて勘違いをしてお礼を言われるくらいだし」

「そ、それは苦労しそうですね。想いを伝えるのは特に」

「ふふふっ。確かにその通りだけれど、私はその人が大好きなの。そんなところも愛おしくって」

 こんなにヒントを出しても気づかれもしない。この状況が急におかしくなって私はついつい笑みをこぼしてしまう。


「……澪さんなら大丈夫ですよ。告白、成功すると思いますから」

「じゃあ、そんな斗真くんに一つだけ質問。……その言葉はどんな思いで言ったのかしら」

「そ、それは、その……。い、言わないといけないですか?」

 ここにきて斗真くんが内気になる。言いたくないのは分かっているけれど、ここで引きたくはなかった。


「お互いに酔っているのだから良いじゃない。この会話は帰宅して寝て起きた時には忘れているでしょうから」

 私は美希さんのおかげでお酒を抑えたからこの会話を覚えているでしょうけどね。なんて言ったのなら斗真くんは本音を言わない。だから私は秘密にする。

 ずるい女だとは思うけれど今日だけは大目に見てほしい。


「正直、告白を応援したい持ちは5割くらいですかね……」

「5割……? それじゃあ残りの5割は……」

「この気持ちを言葉にするのは難しいんですけど、簡単に言うなら嫌だなって思ったんです」

「……」

(こ、これは私のことを好きって言っているようなものじゃないかしら……)

 なんて気持ちが前に出てしまうのは仕方がない。少なくともこの答えを聞けただけで私は満足だった。


 斗真くんは私のことバイト先のお客さん以上で見てくれているのだから。


「もし、澪さんに彼氏が出来たのならShineに来ることは無くなるかもしれません。確実に言えるのはこうした時間が無くなることです。……彼氏さんの気持ちを考えたなら、彼女を別の男と二人っきりにはさせたくないでしょうから」

「そうね。私が彼女だとしても彼氏を別の女性と一緒にはさせないわ」


 もし、私が斗真くんと付き合えたのなら絶対に女性と一対一にする構図は作らせない。……だって、斗真くんはそのお相手を七海のように惚れさせてしまうから。

 惚れさせる、が絶対とまではいかないけれど可能性は十二分にある。彼女として見過ごせる問題じゃない……。


「自分はこうして澪さんと話すの楽しいです。出来ることならこの時間を無くしたくはありません」

「斗真くん……」

「って、あはは……。な、何言ってるんですかね自分は……。勝手なことばかりいって……。酔いが回ってきてますね……」

「……と、斗真くん」

 私は頰の緩みを精一杯に見せないようにする。一瞬でも気を緩めたのなら……斗真くんにだらしない顔を見せてしまう。

 さっきの発言は……ずるい。幸せになることばかりだった……。


「は、話を戻すけれど……斗真くんが良かったのなら、私たちが付き合ってるって噂はこのままにしててもいいんじゃないかしら」

「こ、このまま……ですか!?」

「だって、噂を沈静化させるには斗真くんが何かしら動かなければいけないでしょう? かなりの体力を使うことでしょうし、放置しておけば斗真くんは動かなくてもいい話よね?」

「で、でもその場合……澪さんの好きな人は誤解してしまーー」


「ーー斗真くん」

 私はゆっくりとその名を口にして二の句を塞ぐ。


「あのね……」

「ッッ!?」

 そう言いながら、斗真くんの膝に乗っている手に自らの手を重ねた。これは今日で二度目。斗真くんを公園に引き連れる時にもしたこと……。


 ごつごつとした男性らしい手。

(本当に大きな手……。ずっと握ってたいくらいに安心する……)

 斗真くんの指と指の付け根の隙間に上から手を入れ込み、ぎゅっと握る……。


「私は、斗真くんが彼氏だって噂されるは嬉しいことだもの」

「……澪さん」

 そして、斗真くんが私の名前を呼んだ瞬間だった。

「っっ!?」

 それはいきなりのこと。 

 斗真くんは膝の上に広げていた手を閉じるようにして、私の指先を優しく包み込んだ……。

 少しでも力を加えたらヒビが入ってしまう割れ物を扱うように……。


「……んっ。と、斗真くんは握ってきちゃダメ……。離せなく……なっちゃうわよ……」

 この行動は予想すら出来なかった……。完全な不意打ちに私はやられてしまっていた。


「澪さんが先にしてきたのがいけないんです……。悪酔いしてしまうってこと、自分言ったじゃないですか……」

「そ、それ以上言わないで……。恥ずかしくて……もぅ、いや……」


 それでも私と斗真くんは恋人繋ぎをしたまま……。恥ずかしくて顔を逸らす私と同様に、斗真くんも顔を逸らしていたことは知り得ないことだった……。



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