第41話 side斗真、お見舞い④

(なんで……。なんで俺はこんなに緊張してるんだ……)

 弾け飛んでしまいそうな心臓をぐっと抑え、表面だけを偽っていた。

 激しく早い鼓動が体に伝わってくる。全速力で100mを走った時以上の心拍。

 澪さんの部屋にいるだけなのにコレが治る目処が見えない。むしろ、酷くなっていることを感じていた。


(服装だけでも変えてくれればまだ落ち着くかもしれないのに……)

 俺は想像すらしていなかった。澪さんのパジャマ姿に……。それどころか、髪型も違う。普段下ろしている髪をお団子に結んでいる。


 部屋着というラフな格好の澪さんを今まで見たことがなかったのだ。


『可愛い……』

 気を抜けば、そんな言葉が簡単に口から出そうだった。


(看護科の天使……か。一体、誰がこんな異名を付けたんだか)

 否定じゃない。本当にぴったりすぎる名だったから。


「澪さん、湯加減はどうですか?」

「少し暑いくらいね。でも、気持ちいいわ」

「それは良かったです」


 澪さんは今、足湯をしている。

 パジャマの裾を膝下まで上げ、雪のように白く傷のない生脚を露わにして。

 見てはいけないと分かっているのに、綺麗な足に勝手に目が奪われてしまう。


「……」

「と、斗真くん……。あ、あまり見られると恥ずかしいわ……」

「ッ! す、すみません! あまりにも綺麗でしたから……」

「き、ききき綺麗っ!?」

「……み、澪さんがですよ!? ……あっ!」

『脚が綺麗だ』なんて言ったものなら引かれてしまう。

 高速で別の言葉に置き換えたが浅はか過ぎだった。自爆してしまったのだから……。


「いっ、いいいいきなり何を言っているのよっ!」

「忘れてください今の発言!」

「わ、忘れられるわけないじゃない……」

「本当にすみません……」

 こうなったら平謝りするしかない。

 先ほどの自分が今、目の前にいたとしたらノンタイムで殴っていることだろう。


「き、綺麗だなんて……と、時と場所を弁えてよね。い、今そんなこと言われたら……我慢出来なくなるじゃない……」

「我慢……ですか?」

「なっ、なんでもないわっ!」

「そ、そうですか……」


(我慢出来なくなるって何が我慢できなくなるんだ……?)

 澪さんは顔を伏せて両手で手を仰いでいる。疑問を聞くタイミングではないのは明白……。


(って、そんなこと考えてる場合じゃない。俺は澪さんを看病するために来てるんだ。最低限のことはやらないと……)

 邪な気持ちを跳ね除け、足湯している澪さんを見ないよう意識する。下に視線が行けば、先ほどと同じことが起こってしまうから。


 『看護科の天使』の異名を持つ澪さんなら絶対に理解しているだろう。

 一人暮らしの部屋に男を上がらせる危険性を。彼氏でもなんでもない相手だった場合は特に。


(澪さんは俺を信用して部屋に上げてくれたんだ。……裏切るような真似はしないようにしないと)

 澪さんは女性特有の症状で苦しんでいる。少しでも楽になってもらわなきゃ俺が来た意味がない。

 理性の上に使命感と責任を上塗りする。これが俺は出来る精一杯のこと。


「……澪さん、合谷ごうこくはもう押しました?」

「ホントに詳しいのね……」

「ま、まぁ」

 合谷とは、手の甲側にある親指と人さし指の骨の分かれ目のやや人さし指側にあるツボのこと。

 これを押すことによってストレスで乱れた自律神経の機能を正常に戻す働きがある。それは、澪さんが今抱えている症状を和らげることに繋がるのだ


「わ、私が押してないって言ったら……斗真くんはどうするつもりなの?」

「症状を和らげたいので押させます」

「そう。……私、まだ押していないの。だから斗真くんに押してもらうわね」

「なっ、なんでそうなるんですかっ!? 自分でも押せますよね!?」


「自分でツボを押すよりも、他の人に押してもらった方が効果が高いの。斗真くんは私の看病役でココにいるのだから……ほんのちょっとくらい私は甘えていいと思うの」

「……」

 訴えかけるような目で澪さんが俺を見つめてくる。


(ズ、ズルいだろ、こんな表情……。断れるわけないじゃないか……)

 動悸が激しい。今の澪さんの顔を見ただけなのに。


「わ、分かりましたよ……。それじゃあ、右手からしますから」

「う、うん……」

 椅子を前にずらし俺は澪さんと距離を詰める。澪さんはそっと右手を出してきた。

 指先に繊細さが宿るしなやかな右手……。


 俺は左手で澪さんの手を固定し、利き手で合谷ごうこくのツボを刺激する。自然と握手をしたような形になり、手の感触が直に伝わってくる……。


「い、痛かったら言ってくださいね」

「んっ。大丈夫よ……」

「それじゃあ続けますね」

「うん……」

 約30回を目処に、押してはもみを繰り返す。

 低反発のように肌ざわりが良い澪さんの手に気を取られないように。


「……慣れてるのね、斗真くんは」

「む、昔ですけど……妹にしつこく命令されてた時期があったので」

 ごく自然に話題を振ってくれる澪さんに俺は疑問を持っていた。


(澪さんは緊張しないんだろうか……。手を、握られてるのに……)

 理由は分からない。分からないけど俺だけが緊張していることが悔しかった。

 この状況で、この感情が生まれるのは初めてだった。


「斗真くんの妹さん……ね。やっぱり可愛い?」

「あはは……それ聞いちゃいますか」

「私、一人っ子だから兄妹というものがどうなのか気になってて」

 今までに数回、一人っ子の友達から兄妹がどういうものなのかを聞かれたことがある。やはり、家に兄妹がいる生活は気になるのだろう。


「まぁ……可愛いですよ。こんなことを言うのは気持ち悪いかもですけど、居てくれて良かったなって思っています。素直じゃない部分も多いですけど、それがまた妹らしくて」

「……そう。斗真くんは好きなのね、妹さんが」

「そ、そうですね。って、異性としての好きじゃないですからね!?」

 俺が妹を褒めた時、澪さんは唇を尖らせたような気がした。だから間を入れることなく、誤解のされない言葉を選んだ。


「それじゃあ次は……次は左手をお願いします」

「うん、ありがとう……」

 話を変更させる目的も含め、次は左手の合谷ごうこくを押していく。

 足湯もしていることで血行が良くなっているのだろう、最初に握った右手より暖かくなっていた。


「あの、澪さん」

「な、なに?」

 俺は手を動かしながら場を持たせるように話しかける。


「今更なんですけど、澪さんは怖くなかったんですか? 男を部屋にあげることって」

「ううん、怖くなんてないわよ」

「そ、そうなんですか……?」

「ええ。だって、男性をお部屋にあげる時点で覚悟はしてるもの。いろいろと。事故が起きた場合は自己責任でしょう?」


 当たり前、とでも言うように淀みのない声音で澪さんは理由を述べた。

 澪さんらしい。それで収められることだが、俺はそうはいかなかった。


「確かにそうかもしれませんけど……駄目ですよ、そんなの。そんな簡単に捉えたりしたら駄目です」

「……分かっているわよ」

「その言葉、信じますよ?」

 何故ここまで駄目と念押ししてしまうのか、それは分からないことじゃなかった。

 俺は嫌だった。嫌だったのだ。……澪さんが別の男を部屋にあげることが。

 部屋にあげたことで嫌なことをされても仕方がないと澪さんが捉えていることも。


(この感覚って……独占欲なのか……)

「……」

「斗真くん?」

「あぁっ、すみません。手が止まってましたね……」

 澪さんに名前を呼ばれ、意識を切り替えた俺は再び手を動かし始める。


(俺は……澪さんを別の男に取られたくないって思ってるのか?)

 俺自身の問いに疑問符を浮かべるが……答えは考えるよりも先に出ていた。


『他の男に取られたくなんかない』と。

 そう導き出した瞬間だった。胸のつかえがすっと取れる。その喜びが身体中に染み込んだ気がした。


「……これで終わりです。少しはマシになりました?」

「ええ」

 俺は澪さんの手を離す。名残惜しい気持ちを抑えて。もし、これ以上握り続けていたのなら……正気を取り戻せないと思って。


「澪さん、他に何かしてほしいことはありますか?」

「してほしいこと?」

「はい」

 澪さんの心配はもちろんある。

 だが、『他の男に取られたくなんかない』との欲が無意識に浮かび、澪さんからの評価を上げたいという思惑があった……。


「そうね、一つだけあるわ」

「一つだけ?」

「……斗真くん、男性をお部屋にあげるのは怖くないってお話だけれど、まだ続きがあるの。それを聞いてほしいの」

「そ、そのくらいなら全然大丈夫ですけど……」


 澪さんの表情に真剣味が溢れた。何か大事なことを言うつもりなのだと察した俺は居住まいを正して話を聞く姿勢に入る。


「お、お部屋にあげるのが怖くないのはね……異性の中で斗真くんしか、、私のお部屋にあげるつもりがないからなのよ」

「……え」

 呆然だった。聞き間違いかと思った。


「手を握ったり握らせたり。私、斗真くん以外にそんなことしないし、させるつもりもないの。……私ってそこまで軽い女じゃないのよ?」

 澪さんの端正な顔がゆっくり俺に近づいてくる。俺の体は蛇に睨まれたカエルのように動くことが出来ない。天使のような顔が視界いっぱいに広がり、瞬きすらも忘れていた……。


「だから……覚悟が出来るの。斗真くんになら……私、そんなことされてもいいから」

 澪さんの右手が俺の頰に当たる。いや……静かに当てられた。


「ごめんなさい、斗真くん……。もう、我慢の限界なの……。斗真くんが、ずっと、私の手を握ってきたから……」

「……澪、さん」

 俺の後頭部を抱くように澪さんは引き寄せた。抵抗をする意識すら俺にはなかった。澪さんの次をまつようにされるがまま……だった。


「私の特別は……斗真くんだから」

「……ぁ」

 澪さんは目を閉じ、そしてーー

『ちゅっ』


 俺の口に、澪さんの小ぶりの唇が優しく触れた……。

 今までにない柔らかい感触。何をされたのか分からないはずがない。


 俺は……この時、自身の想いを知った。

 

 澪さんのこといつの間にか好きになっていたんだと……。


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