第57話 8年後のクリスマス①
『ジングルベール、ジングルベール、鈴が鳴る〜』
そんな聞き慣れたBGMが各店から聞こえてくる今日。
電飾が有りとあらゆるところに飾られ幻想的な光景を生んでいる今日。
チキンやケーキが大量に売られている今日。
はたまた『クリぼっチキン』なんて煽りに煽った商品が出ている今日。
「澪、まだー?」
「ふふっ、なんだか子どもみたいに言うのね。お化粧直しにもう少し時間ちょうだい?」
「こ、子どもみたいってもう28なんだよなぁ……」
片や玄関、片やリビングで会話する二人。
付き合って8年。結婚はしていないが同棲しながら楽しい日々を送っている二人。
斗真よりも仕事が長引いた澪であるが、お化粧直しをしたいということでこうして時間を使っているのである。
「澪はすっぴんも綺麗だから別にいいと思うけど?」
「好きな人の前だと特に綺麗な自分を見せたいものなのよ」
「そ、そっか……」
顔を合わせながらの会話じゃないからこそ、今の二人は隠すことのない表情が浮かんでいる。
「ふふっ、でもちゃんと褒められるようになったわよね、斗真くんは。これも私と
「アレは本当に手厳しかったよ。なんか物凄く笑いながら怒号飛ばしてくるし……。お客さんも一緒になってどれだけからかわれたか」
その原因として、澪が幸せそうに
その中で問題点が洗い出されたのだ。——斗真が全然褒めていない、と。
そこからが始まり。その指導現場をつまみにして、『良いもんを見せてもらった』とかなんとかで常連さんは酒をガブガブと飲んでいた。
誰にとってもwin-winな関係であるが、一番の疲労を負ったのが斗真である。
「……でも、そのせいで昔以上に良いオトコになっちゃって……。泥棒猫に取られないか心配だわ」
ぼそっと独り言である。
「何か言ったか?」
「斗真くんの空耳じゃないかしら」
「それなら良いんだけど」
教育学部に通っていた斗真は、塾講師をしながら人手が足りない時に
塾講師をしている斗真を澪は本当に心配していた。仕事振りではなく……バレンタインという2月14日のイベント。斗真が女子生徒から大量の手作りチョコを持って帰ってくること。
別の塾講師からは、斗真に
男は若い女性が好きというのは事実。何歳になっても男性にとっての理想の女性は20代半ばとの研究結果にも出ている。最愛の人を取られないか、不安がどうしてもあるのだ。
そして、こんなに人気が出たのは間違いなくあの指導のせい。彼氏が人気になるのは嬉しいことだが、複雑な心境でもあった。
「そういえば斗真くん。今では私が化粧中にジッーっと見て
「邪魔してたつもりはないけどね!? ……興味があったから見てただけだって」
「ふふっ、気持ちは分からないことはないけれど。さて、終わり。……今日はどこに連れて行ってくれるのかしら」
『ガチャガチャ』とリビングから物音がする。化粧用品を化粧ポーチに入れているのだろう。
現在の時刻は19時50分。明日も仕事が入っていることで長く出歩くことは出来ない。
平日のクリスマスと言うのは実に悲しいものだ。
「澪と街を出歩きたいと思ってるんだけど」
「あら、イルミネーションじゃなかったの? パンフレットがあったからてっきりそうだと思ったのだけれど」
リビングから澪の足音が近づいてくる。ようやくお出かけのようだ。
「その予定だったけどさ、明日も仕事があるし、今から待ち時間を含めたらで……ね。ゆっくり澪と過ごせたらなってさ」
「私、ただ出歩くだけなら不満よ?」
「え!?」
「ちゃんと……手とか……繋いでくれるんでしょうね……」
ぴょこんとリビングのドアから顔半分出してきた澪は、ジト目で斗真に訴えた。赤のアイラインがしっかりと目立っていることで色っぽさかつ大人の女性を演出している。
「いや、繋ぐよ。逆にそうしないと澪すぐナンパされるし」
「そ、そう思うなら……私の肩を抱き寄せて歩いてくれる? そっちの方が確実よ……」
「ん!? いくらなんでもそれは見せびらかし過ぎじゃないかな!?」
「駄目なら、ヤだ」
「……わ、分かったよ」
「やったーっ!」
澪は看護師になったことで昔よりも声色が柔らかくなった。いつも優しい顔をするようになった。子どもと接する機会も多いからだろう、嬉しい時は嬉しいと感情表現をするようになった。
そして、とってもな甘えん坊にもなってしまった。もちろんこれは斗真だけが知っている澪の姿。
(本当幸せだよ……俺)
クリスマスなのに、イルミネーションなどのイベントに行かずただ出歩くだけ。
それなのにこんなに喜んでくれる澪。
斗真からして本当に自慢の彼女である。絶対に傷つけたくない相手であり、絶対に幸せにしたい相手でもある。
「って、おいおい!? なんでそんな薄着なんだよ」
ブラウンロングカーディガンに、グリーンのタイトスカート。インナーはブラックで合わせている澪。
見た目は暖かそうに見えるが、全体的に生地が薄いことを斗真は知っている。
「……だってこの服装だったら、斗真くんが今着てるお洋服を貸してくれるでしょう? マフラーも二人で巻いて歩いてくれるでしょう?」
澪は狙っているのだ。『寒い』と言ったら服を貸してくれる、マフラーを巻いてくれる、そんなシチュエーションを。
早速の甘えん坊が発動している。
「え、なに『当たり前だよね』みたいな顔。故意的にしてるようなら何も協力しません」
断言である。こうなった時の斗真は絶対に譲ることをしない。
あの指導は澪を甘えっぱなしにさせない、その能力も付いたのだ。
「もぅ……融通聞かない人、大っ嫌い」
「俺も嫌いだなぁ。自分の体を大切にしない人は」
「嫌い」
「俺も嫌い」
「……」
「……」
『嫌い』と言い合い視線をがっちゃんこさせる二人。ふふーんと得意な顔になっている斗真。その一方で、澪は唇を閉めてどんどん負けを悟った顔をする。
澪は頭が良い。どちらが正しいことを言っているのかぐらいは分かっているのだ。
「……お、お洋服着てくる……」
体を大切にしてほしい。彼氏の斗真からのお願いに勝てるはずがない。
あのシチュエーションが出来ない……と、トボトボとリビングに戻っていく澪に斗真は後ろからこんな声をかけた。
「ちゃんと厚着してくれたら、このマフラーを一緒に巻いて俺と歩いてほしいな」
「……っ!」
次の瞬間、澪は返事をすることなく大急ぎでリビングに入っていった。もう出来たフォローで澪の現金さが露わになる。
「ははっ……やっぱ好きだなぁ……」
だが、そうした姿も斗真にめっぽう弱いのだ。
次に厚着してくるであろう澪を待つ斗真は、ここで真剣な顔になる。
右ポケットを触り確認したのだ。
——指輪が入った長方形の箱がちゃんと入っていることを。
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