第30話 七海と斗真その(2)
「そう言えば自己紹介がまだだったね……。うち、七海って言うの。七つの海で七海」
「自分は甲斐と申します」
胸元のネームプレートに手を当てながら斗真も自己紹介をする。
「あのさ、キミがここの店長なの? 随っ分と若いようだけど……」
「いえ、自分はバイトです。マスターなら裏で伝票を整理しています」
怒られることを覚悟して先ほどのことを伝えた斗真だが、『良くやった斗真ちゃん!』と逆にマスターの美希に褒められてしまった。
そうして、『責任を持ってお世話してちょうだい』なんて送り出された斗真は、一人しかいないお客ーー七海の接客を担当していた。
「えっと……やっぱりここってお酒の席だよね?」
そして、店内を見渡しながら確認を取るように聞いてくる七海。
ここはBarだ。カウンターには美しいシェイカーが置かれ、奥のバックバーにはウィスキー、ブランデー、リキュールなどの多種多様の酒が取り揃えらている。
これを見れば誰だってお酒を提供する店だと判断することが出来る。
「はい。……ですのでこれを着ていただけると幸いです。自分のアウターで申し訳ないのですが」
裏に下がった時に、斗真は今日着ていたアウターを取ってきていた。
「えっ、別に寒くはないよ?」
「お酒の席で露出度の高い服装はオススメ出来ませんので」
七海はタンクトップにショートパンツと、明らかに露出度の高い服装をしている。
斗真の言葉通り、お酒の席で体のラインが出るような服装はNGなのだ。
そういう服を着て行ったばかりに、トラブルに巻き込まれてしまう可能性がある。
アルコールが入ると、誰でも自制心が薄くなり、お酒を飲んでいるうちに、だんだんと気の迷いが出てしまう。
思わぬ形で周囲の男性を『誘惑』しているということになってしまい、問題が起こる場合もある。
「着ていただけますか?」
「し、しょうがないなぁ。特別だよ?」
「ありがとうございます」
おさげの黒髪に似合った童顔の七海。少しまるっこい茶の瞳に桜色をした小ぶりの唇。微笑みを浮かべればえくぼが見える。
可愛くもあり女性らしくもある七海が、この服装でBarに長居したのなら絡まれるのは時間の問題だと斗真は予想していた。
「これ以上うちに怖い思いをさせないように、ってそんな魂胆だもんね? お礼なんて言う必要ないのに。むしろうちがお礼を言うべきだよ」
「それは違います。自分が全てのトラブルに対処出来る自信がないだけです」
「さっきはあんなに軽くあしらっていたのに?」
「内心は逃げ出したかったですよ」
「ウソ」
「本当ですよ」
無表情で『本当』という斗真に、頰を少しだけ膨らませて『ウソ』だという七海。これに勝負はつくことはなかった。
「ふーん。じゃあそう言うことにしといてあげる。……じゃあ、このアウター少しの間借りさせてもらうね?」
「大きめだとは思いますが、ご了承願いします」
「あはは、ホントに大きいなー。ぶかぶかだよ」
斗真のインナーは、七海のショートパンツが全て隠れるほどで、両手は萌え袖のようになっていた。
「でも、こんなところに酒屋さんがあるだなんて思いもしなかったよ。こんなオシャレなお店にジュースがあるとも思わなかったし」
「知る人ぞ知るお店でありますので。ジュースが置いてあるのは従業員のまかないでもあり、チェイサーでもあります。日本の場合、チェイサーはお水がほとんどですが、当店ではジュースも取り揃えているんですよ」
「チェイサーってなんなのか聞いていい?」
「お酒の後を追うように飲む飲み物になります。悪酔いの防止や脱水症状の防止、味直しなどの役割があります」
「へぇ……って、従業員さんのまかないなのにうちに注いで大丈夫なの? キミが怒られたりしない……? そ、そんなのうちは嫌だよ?」
「大丈夫ですよ。ご心配をありがとうございます」
「ホント?」
「はい、間違いありません」
「そ、それならいいんだけど……」
斗真は七海に対していろいろな気遣いを見せている。それは七海も理解していること。
こんな立ち回りをされたなら、今の発言に嘘があるのではないか……なんて勘ぐりが発生していたのだ。
「……あと、キミって凄いね」
「自分がでしょうか?」
「状況の判断能力とコミュニケーション能力、みたいな?」
「お褒めの言葉をありがとうございます」
「さっきの件もあってホントに頼りになる人だなぁって思ったから。……こんなにオシャレな場所は初めてなのに、キミがフレンドリーにしてくれるから居辛さも全く感じないし」
「お酒の席で働いていれば、自然と身につきますよ」
「そんなことはないと思うんだけどなぁ……」
まるっこい瞳を細め、果汁100%のオレンジジュースをゆっくりと口に入れる七海。
「キミって何歳?」
「二十歳になります」
「ほぇー、二十歳ってことはうちの弟と一緒だね」
「それは奇遇ですね……」
「ってか、大人過ぎでしょキミ。物凄い落ち着きがあるって言うか」
「それもお酒の席で働いていれば、自然と身につくことだと思います」
「くぅ、そのセリフ返しは強いなぁ。じゃあそう言うことにしとかなきゃね」
快い感じにニコニコとした笑みを見せる七海だったが、ここで話が途切れる。いや、七海が口を閉ざしたと言った方が正しいだろう。
「……キミは聞かないんだね。さっきのこと」
「聞いてほしいこと、聞いてほしくないことはなんとなく分かりますので」
「でも、気になってるでしょ?」
「いいえ」
「ちょ、気にならないの!? それはウソだって」
「ある程度は予想出来ておりますので」
「ふぅん、予想……ね。じゃあ聞かせてもらってもいい? もし正解出来たら心のこもった拍手を送るよ」
「面白いですね。では、その拍手を狙って述べさせていただきます」
「うん、どうぞ!」
どこかの司会者を真似るように片手を突き出し、回答を促す七海に斗真はゆっくりと聞き取りやすい口調で声を発した。
「自分はあの金髪の方と七海さんが恋人関係、もしくは友達関係
「……続けて?」
「だった、と過去形にした理由は金髪の方が七海さんの堪忍袋の尾が切れるようなナニカをしたからです。このナニカを予想することは出来なかったのですが、結果、七海さんは金髪の方の頰を
「……え」
虚無の一字を口から出す七海。斗真の予想を聞いてポカーンと口を半開きにさせていた。
「違いましたか?」
「いや、そうじゃなくてなんで分かったの!? いや、ど、どっかから見てたでしょキミ! それしか考えられない!」
「あなたはとても優しい性格の持ち主だと見受けられます。店の迷惑にならないように立ち回ろうとしていただいた様子を見れば、それは明白です」
「い、いきなり褒めないでよ……」
「すみません。そして話を続けますが、それなのに金髪の方が怒りながら七海さんを追いかけていた。その方の頰が手の形に赤くなっていた。ここから判断いたしました」
「はぁ、こりゃまいった……。正解だよ。『内心は逃げ出したかった』なんて思ってたくせにそこまで見てるなんて、ますます信じられなくなったけど」
『パチパチパチパチ』
正解した条件として、斗真に拍手を送りながら疑惑を発声している七海。
「失礼ながら……もし、あの方が七海さんの
「う、うちには非がないって言い草だね……。うちにだって悪いところはあったのかもよ?」
「そうかもしれませんが、金髪の方が先に手を出してきた可能性だってあります。それに、自分には七海さんが手を出すというイメージが全く湧きません。よほどのことをされたのは断言出来ます」
「なんか怖いなぁ……。全部言い当ててるよ、ホント。もう勘弁勘弁」
長話が終わったということで、軽口を叩きながらグラスに入ったオレンジジュースを全て飲み干す七海。これは『そろそろ店を出ます』との合図でもある。
「次はきっと素敵な出会いがありますよ。……ですので、おかわりです」
「え……お、おかわりって、あははっ。なにそれ」
だが、それを見切っていた斗真は七海の前にビンに入ったオレンジジュースを見せた。
「お客さんもまだ来られないようですので、もう少しここで時間を潰されてください。自分のわがままで申し訳ありませんけど」
「……ううん、ありがとね、ホント。キミのおかげですぐに立ち直れそうだよ」
グラスを前に動かした七海。これは『注いでください』とのサインだ。
「それは良かったです。それに、こちらこそありがとうございます」
斗真は七海のグラスを受け取り、氷を入れておかわりのジュースを注いだ。
「……なんかさ、うち、キミの名前が分かる気がするよ」
「面白いことをおっしゃいますね。もし当てたのならアップルジュースを追加で注ぎましょうか」
名前を知るような情報はなにもない、と余裕の表情で眉を上げる斗真はオレンジジュースの入ったグラスを七海の前に置く。
「ありがと。って、そんなこと言っていいんだ? うち、90%の自信があるよ」
「では、
「ーー斗真、でしょ?」
「え、んっ!?」
即答。
まさかの言い当てに、斗真はビンに入ったオレンジジュースを全てこぼしそうになる。なんとかビンを両手で掴むことに成功するも、目を皿のようにしながらのパチパチとしたまばたきを七海に披露してしまった。
「あははははっ! やっぱりね。キミが驚くところを見れて良かったよ」
「ど、どうして自分の名前をご存知で!?」
「さぁー、今まではぐらかしてたことを全部白状するのなら少しくらい教えてあげてもいいかなー」
「……アップルジュースでご勘弁ください」
「にしし、しょうがないなぁ」
なんて楽しい雰囲気のまま、一時間ほど【Shine】で過ごした七海。
「こりゃ、あのみおちゃんでも好きになるはずだよね……。うちに会わせたくないって言ってた理由も……」
この独り言は、店内に流れているジャズの音楽に乗って、誰にも聞かれることはなかったのである……。
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