08【リスタ】もう一人の私(前編)

 両親を事故で失ったのは、あたしが六歳の時だった。


 最初は、お母さんの親友だったリタがあたしを引き取ることを申し出てくれたけれど、当時は彼女も軽食堂バールを開業したばかりで経済的な余裕がなかった。

 彼女の夫のジェクスに猛反対されたこともあり、結局あたしは、五番エリアの孤児院に預けられることに……。


 それから一年。


 寝る間も惜しんで働いたリタのおかげで店の売り上げも安定するようになり、ようやくあたしはリタ夫婦の養子として引き取られることになる。


 子供のいなかったリタは、血の繋がらないあたしに、まるで我が子にするように接してくれた。七歳だったあたしの心に残っていた〝両親の死〟という悲しみの記憶を、綺麗に忘れ去らせてくれる程に。



 でも、そんな幸せな日々も、あたしが十二歳になってすぐに崩れ去る。

 リタが流行病に感染してしまったのだ。


 心臓に持病があるという義父のジェクスは、一人で店を切り盛りできるような体ではなかったし、給仕の手伝いくらいしかしたことがなかったあたしも同様だった。

 調理人リタを失った店の経営が傾くのに、多くの時間を必要とはしなかった。


 丁度その頃、第七グランドパーク付近で迷宮ダンジョン深層に繋がる石室が発見されたことで人の流れも変わり、この周辺が急激にスラム化していったことも拍車をかけた。


 自宅を二束三文で引き払い、国からの助成金もすべてリタの治療費に当てたけれど、それでも足りないと頭を抱えるジェクスを見て、あたしも覚悟を決めた。

 街に出て、十二歳の少女でも出来る売り子や給仕係の一時雇いアルバイトを転々として、それでも足りない分は……。


 お決まりのコースだ。

 若い女性がお金を稼ぐ、最も手っ取り早い方法……それは、体を売ること。


 幸い……と言っていいのかどうか分からないけれど、あたしの歳で街娼がいしょう(※街頭で売春する女性)に立つ女性は珍しいらしく、客には困らなかった。

 でっぷりと垂れ下がったお腹を揺らし、下卑た笑いを浮かべながらあたしに体を重ねてくる醜い大人を相手にする時間は、本当に苦痛だった。


 それでも、リタの高額な治療費を稼ぐためだと我慢した。

 黒く染まり、壊れて、油断をすれば方々に飛び散ってしまいそうな心の欠片を必死にかき集めながら、あたしは自分に言い聞かせた。


 ――醜い男たちに汚されていくのは〝もう一人のあたし〟なんだ。

 本当のあたしは、真っ白で綺麗な心のままで、どんなに汚されたってすぐに元通りの体に戻れるんだ――と。


 でも、月日を追うごとにリタの治療には高度な施術を要するようになり、それに応じて治療費も上がっていってるとジェクスから伝えられた。

 街娼だけでは追いつかなくなり、ついにはスリなどの犯罪行為にまで手を出したけれど、それでもジェクスから聞いた金額を稼ぎ続けることが困難になっていく。


 思い切ってジェクスにも、お店以外に内職でも何でも構わないので、わずかでも収入を得られるよう協力して欲しいと頼んでみたけれど……。

 機嫌を損ねたジェクスから、殴る蹴るの暴行を受けるだけの結果に終わった。


 もともとあたしを引き取ることに、ジェクスは反対だったのだ。

 リタが流行病にかかったのも、元はと言えば、あたしを引き取るために無理をして体を壊していたのが原因なのだと話していた。

 ジェクスにとってあたしは、娘などではなく、リタの寿命を縮めた厄介者でしかなかったのだろう。



 街娼に立ちながら、足りない分はスリなどをして無理やり稼ごうとした挙句、ついにヘマをして警団に捕まってしまった。

 初犯であったことや、特殊な家庭事情もかんがみてすぐに釈放はされたけれど、もう一度捕まれば次はそうはいかない。


 そんなあたしに、ジェクスがささやいた。

 ただ単に体を売るよりも、もっと稼げる方法がある、と――。


 羞恥と後ろめたさから街娼をしていることは話せないでいたのに、ジェクスはうにそんなことは知っていたのだ。

 それを知りなら、今まで平気な顔で私からお金を受け取っていたというの?


 ……でも、もう、そんなことはどうでも良かった。

 どちらにせよ、ジェクスの言う〝特別な客〟を取る以外、あたしに選択肢など残されていなかったのだから――。




 ふと、そんな昔の事を思い出していた最中さなか、不意に開いた部屋のドアの音に、ハッと我に返る。

 考え事をしていて、くだんの〝特別な客〟が階段を上ってくる音に気が付いていなかった。


「やあ、リスタちゃん。久しぶりだねえ」


 薄気味悪い笑みを浮かべながら入ってきた、四十過ぎの男。 

 どこぞの貴族で、本人は〝ダレス〟と名乗っていたけれど、恐らく偽名だろう。


「二日前にも……会いましたよね、ダレスさん」

「ああ、そうだった! いつも、二週間は空けないと・・・・・・・・・会ってくれないからさあ……ついついいつものくせでね」


 そう言って、薄ら笑いを全面に広げ、悪魔のように醜悪さを増すダレス。

 そう……この仕事は、一度請けると心がボロボロになるため、せめて二週間は空けて欲しいとジェクスに頼んであったのだ。


 しかし、娼館の連中に絡まれて時間とお金を無駄にした今回だけは、背に腹は代えられなかった。

 二日前に受けた痛みが蘇り、思わず両腕を抱きさすると、そんなあたしの様子をダレスが目敏めざと一瞥いちべつする。


「いやあ、この前は悪かったねぇ。右腕、骨折・・してたんだってぇ?」

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