06.歪な世界

「お金が要るっていうのは、やっぱり、母親の施療費が大きいのか?」


 俺の質問に、リスタがゆっくりとうなずいた。

 が、すぐに真正面の俺に向かって、訴えかけるような視線を投げかけてくる。


「でも、だからってあたしは盗ってないよ! 薬を買ってもらったし、寝てる間に治癒の巻物キュアスクロールも使ってくれたんでしょ? そんな、恩をあだで返すような……」

「分かってる。君が盗ったとは思ってない」


 リスタの隣で話を聞いていたナーシェが、意外そうに俺を見る。


「ほんとですかあ? 昨日は蘭丸『リスねえが盗ったと考えるのが自然だ。キリッ!』って感じだったじゃないですか」

「昨日は昨日だ! あの状況だけならそうだったけど、今は別だ」


 リスタの風体ふうていを見れば、彼女が自分自身のためにお金を使っていたということは考え辛い。稼いだお金はすべてジェクスに渡していたのだろう。

 となると、帰った時に一銭もお金を持っていなかったというのは辻褄つじつまが合わない。帰ってくるまでの間に別の収入を得た可能性も、同じ理由でないだろう。


 ジェクスから聞いた話によれば、昨夜リスタが帰ってきたのは夜の十時頃だと言っていた。

 リスタが消えたのが午後六時から七時の間だから三時間は経っていたことになる。

 徒歩かちで帰ったのなら計算は合うが、もし本当にお店の売上金を盗んでいたのであれば、そのお金でテレポータルを使うのが普通じゃないだろうか?


 ――リスタはシロ。


 話した印象も加味して至った……それが俺の結論だ。

 しかしそれは、あくまでもライラの店の売上金に関しての話で……。


義父おやじさん、家計はほとんどリスタ頼りだって言ってたけど……スリみたいな違法行為をずっとやってたのか?」

「信じてもらえないかもしれないけど、スリは本当に最後の手段だったんだよ。ちゃんと仕事もしていた。でも今回は、あの娼館の連中に目を付けられて仕方なく……」


 娼館に入れば、売上げの殆どは営業主に搾取され、実家へ仕送りをしようにも雀の涙ほどしか残らないらしい。

 三十万ラドルなら数ヶ月で返済は可能らしいが――。


「あのくそジェクスだけだったら、こんな家、とっくに出て行ってるさ!」


 リスタが吐き捨てるようにつぶやく。

 義父おやじさんのこと、名前で呼んでるのか……。


「気がかりなのは、お義母かあさんの、ことか」

「……うん。感染症ってことでもう二年以上も会ってないけど……リタにはすごく良くしてもらったから……見捨てることはできないよ」


 孤児院でもらったメモには世帯主ジェクスの名前しか書いてなかったので分からなかったが、お義母かあさんはの名前はリタと言うのか。


「こんなことを聞くのは申し訳ないけど、その病気……回復の見込みは?」

「分からない。とりあえず治癒の巻物キュアスクロールで病気の進行を遅らせることは可能みたいだけど、支払いが滞って施術が中断されたら……」

「病状が、悪化する?」

「……うん。次に進行が始まったらもう、一ヶ月は持たないだろう、って……」


 だから、街娼にまで身をやつして高額の施療費を稼ごうとしていたのか……。

 うつむき気味に話す少女の小さな肩を眺めながら、身につまされてどんどん胸が苦しくなっていく。


 この世界には、こんな境遇の子供が何人も普通に存在しているのだろうか?

 そして俺が目にしたのは、こんな窮迫きゅうはくした子供にすら搾取のために群がる大人たち。娘の非行を嘆いているジェクスだって、結果的にはその一人になっている。


 おぞましい。

 なんていびつな世界なんだ……。


「お義母かあさんに会ってないって言ってたけど、どこの施療院に入っているかも分からないのか?」

「うん、何度か尋ねたことはあるんだけど……どうせ面会は無理なんだからって教えてくれなくて……。勝手に会いに行かれるのを警戒しているんだと思う」

「それにしたって、せめて場所くらいは……」

「良い方に考えれば、それもあたしの身を案じてのことなのかもしれないけどさ」


 そう言って寂しそうに微笑んだあと、ハッと何かを思い出したように、俺の後ろにあった壁時計に目をやるリスタ。

 釣られて振り向くと、数字は読めないが、針は午後の一時四十五分を指していた。


「ごめん、二時から仕事があるから、戻って二階席の準備をしておかないと」

「分かった。こっちの事件のことは心配しなくていい。リスタじゃなかったことは伝えておくし、警団とやらにもリスタの事は伏せてもらえるよう頼んでおくよ」

「ありがとう、恩に着るよ。ナーシェも……元気で」

「リス姉もです! この場所も覚えましたし、また遊びに来ますよ!」


 ナーシェの言葉には直接答えず、寂しそうに微笑み返すリスタ。

 まるで、もう来ないでほしいと訴えているような、そんな眼差しにも思えた。


 編み下ろしの髪を揺らしながら二階へ上っていくリスタの後ろ姿を見送ったあと、もう一度ジェクスと話をする。

 娘が無実だと分かって安堵しているようだったが、それでも警団に届ければ、取調べのために数時間、下手をすれば一日程度は拘留される可能性がある。

 そこを最も懸念しているようだったので、


「警団にはリスタの事は伏せておくので安心して下さい。ただ、絶対に暴力だけは止めてくださいよ。リスタも、母親を助けようと必死に頑張っているんでしょう?」

「あ、ああ、さっきは見苦しいところを見せちまって、悪かった……」


 取り繕うようなジェクスの薄ら笑いを前に、本当に信用できるのかと暗澹あんたんたる気持ちにはなったが、今はどうすることもできない。

 試しにリスタの母親のいる施療院についても尋ねてみたが、案の定、家族以外に教えることはできないと断られてしまった。


「ほら、行くぞ、ナーシェ」

「待って下さいよ。このコイン……」


 気が付けば、カウンターの上に出しっ放しになっていたコインを、ナーシェが名残惜しそうに眺めていた。


「リスタが犯人じゃなかったんだから、それを受け取る理由もないだろ!」




 俺たちが店を出るのと入れ違いで、身形みなりの立派な三人組の男が開店前の店へと入っていく。


 彼らが二時に約束をしていたという客か……。

 このさびれたたたずまいの店にはなんとも不釣合いだけど、何か、ああいう上客のニーズにも応えられるサービスも提供しているんだろうか?


 そんな風に考えていると――。


「なにかおかしいと思わない? ナーシェちゃん」


 店の中へ入っていく三人組を振り返りながら、コロネが呟く。


「あっ、コロネもですか? 私もそう思っていたところです!」

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