05.膨れっ面のナーシェ

「どぅわ――っ!」


 ミスキックで緊張の糸が切れると、一気に襲ってきた脱力感にあらがいきれずひざから崩れ落ちる。


 もうダメだっ!


 蹴り損なったボールが右方向へコロコロと転がっていくのを視界の端で捕らえながら景色が回転……気がつけば大の字で人工の空を仰いでいた。


「なにやってるんですか――っ、蘭丸――っ!」


 駆け寄ってきたナーシェの足音が俺の横で止まった。薄目を開けると、腰に手を当てながらふくれっ面でこちらを見下ろす獣耳けもみみの姿が目に入る。


 このまましばらく横になっていたかったけど、そうも言っていられないか。


 さらにまぶたを押し上げると、逆光の中、ミニスカートの中の縞パンツが視界に飛び込んできて思わず目線をらす。


「あぅ……いたたたっ……」と、こめかみを押さえて眉間に皺を寄せたのはナーシェの方だ。

「蘭丸、今、変なこと考えましたね!」

「へ、変なこと?」

「私のパンツに劣情をいだいたんじゃないですか?」

「れ、劣情っておま……抱くかそんなもん! ちょっとドキッとした程度だよ! つかおまえも、その丈のスカート履くならもうちょい気を使え!」

「サーヴァントのよこしまな感情は全部伝わってくるのです。あまり変なことは考えないでください」

「ま、マジかよ……」


 なんだその悟られシステムは?

 ナーシェが膝を閉じてしゃがみ、俺の顔を覗き込んでくる。


「そんなことよりっ! なんで外したんですかあ!」

「ん? もっと見てほしかった?」

「視線じゃなくてボールですよっ!」


 ナイスツッコミ。

 首を回し、膨れっ面のナーシェから視線を切る。ビンゴ板を再確認すると、数字は読めないが、位置的には二十二番と二十四番。下段二枚だけが残っていた。


 途中までは絶好調だった。

 地精力アースエナジーの効果もあったのか、前世でも経験のないような精神集中コンセントレーションの中で、まさに〝外れる気がしない〟といった状態が続いた。

 積極的に二枚抜きも狙い、残り十枚を切るまでは会場も静まり返るほどの快進撃。


 ところが――。


 残り八枚となったところで、異変は急に訪れた。

 前触れもなく襲ってきたのは、サッカー一試合をフル出場したような疲労感。

 膝から力が抜けるのをこらえながら、なんとか気力を振り絞ってさらに六枚は抜いた……が、最後はさっきの空振りに近いミスキック。


 さすがに、残り一球で全枚抜きは厳しかったか。

 いや、続行できたとしてもこの状態では――。


「いきなりすごい疲労感でさ……。もしかすると、集中しすぎて知らないうちに体力を使ってしまったのかも」

「あと二枚くらい、なんとかならなかったんですか? あそこまでいって、たった三列で終わるなんて!」と、俺のお腹をポカスカと殴りつけるナーシェ。

「おまえ、三列でいい、って言ってたじゃん」


 ……っていうか待て待て。

 横と斜めを合わせれば、あれ、九列じゃないの?


地精力アースエナジーの使いすぎだな』


 脳内でヘリオドールが語りかけてくる。


「(使いすぎ?)」

『一気に気脈の開放が進んだのはいいが、まだ調節ができていない。野放図に流れ込んだアースエナジーがおまえの精神力を奪っていったのだ』

「(開放するだけだって大変だったのに、調節まで覚えなきゃならないの? 最初は〝合体すれば万事オッケー〟みたいなノリだったのに、話が違うだろ……)」

『話が食い違うことなど、生きていればまま・・ある。大切なのは適応力だぞ』

「(開き直っちゃったよ……)」

『通常の体力消費とは仕組みも違うから案ずるな。気脈からアースエナジーが引けばすぐに動けるようになる』


 賞金を受け取りに行っていたニコラが戻ってきた。


「九列以上の達成で十倍だったぞ」と言って、二枚の金貨をナーシェに手渡す。

「きゅ……九列? に、に、に、二十万ラドル!?」


 ニコラを振り仰いだナーシェの膨れっ面が、受け取った金貨を眺めながらによによとしまりなく崩れてゆく。


「な……なぁ~んだ♪ それを早く言ってくださいよぉ~♪」

「おまえ、列の数え方も知らずにビンゴやってたのか?」


 再び俺に向き直り、真顔で答えるナーシェ。


「ギャンブルは常にオールオアナッシングです。何列で何倍とか、私がやっていればそんな意地汚い考え方しませんよ」

「言い方っ! そんなこと言うならそれ寄こせ! その意地汚い金貨、寄こせ!」

「そ、それはそれ、これはこれですよっ! そもそも列なんてそろったこともなかったですからね。数え方なんて覚える必要もなかったのです」


 こいつ、よく今まで一人で暮らしてこられたな……。


「そうと分かれば、時間もないですし、さっさと隣に行きますよ、蘭丸!」

「隣?って、ギルドか? それだけじゃまだ、登録料には足りないだろ?」

逆隣ぎゃくどなりですよ! これをカチンコ・・・・で増やすんです」

「正気かよ……」


 ゆっくりと立ち上がると、なるほど、なんとか動けるようにはなっている。


「運良く隣がカチンコホールなんて、流れはきてますよっ!」

「きてねぇよ! もともと隣接してるんだから、運でもなんでもないだろ!」

「そんなこと言ったって、蘭丸のせいで、まだお金は足りないじゃないですか……」

「お、俺のせいなの?」

「こうなったらもう、やるしかないじゃないですかあ!」

「おまえには〝貯めておく〟って概念はないのかよ」


               ◇


 膨れっ面のナーシェを引き摺るようにして、ヘルベガスのビンゴ会場を後にする。


「で? どこだよ、銀行は?」

「本当に預けるんですか? あいつらは、人から預かったお金で商売したりするクズ集団ですよ? 信用できませんよ!」

「おまえがクズじゃなければ、預けなくてもいいんだけどな。とにかくナーシェは、堅実さを覚えることが先決だ」

「で、出たっ、堅実人間! 蘭丸も、コロネと同類ですか!」

「コロネ? パン?」

「私の第一舎弟ですよ!」


 まさか、俺が第二舎弟じゃないだろうな?


「今日、ギルド登録のあとにでも紹介しようと思ってたんですが……きゃっ!」


 短い悲鳴を上げてナーシェが尻もちを着く。

 傍の路地から勢いよく飛び出してきたフードローブの少年が、ナーシェとぶつかったのだ。


「ご、ごめん! ちょっと急いでて……」


 一瞬だけ立ち止まり、ナーシェのことをチラと見下ろして謝罪する少年。

 いや……この声、女の子か?


 再び前を向いて走り去ろうとした少年――もとい、女の子の首根っこを、ローブの上からニコラが掴んで引き戻した。


「おい。今盗ったもの、返してもらおうか」

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