06.艶のない栗色

「おい。今盗ったもの、返してもらおうか」

「な、なんだおまえ!? は、離せよっ!」


 ニコラの腕を振りほどこうと体をよじって暴れる少女。

 しかし、抵抗も意に介さず、懐に差し込まれた彼女の右腕をつかむと、ニコラがグイッとひねり上げた。

 拍子でフードが外れ、艶のない栗色の髪が露わになる。


 あまり手入れもされていないのだろうか、傍目はためにも痛みの目立つ編み下ろしの後ろ髪がフードの外へ飛び出ると、彼女の動きに合わせて暴れ回る。


 つかまれた右腕から滑り落ちてチャリンと音を立てたのは――。

 二枚の金貨だ。

 尻持ちから四つん這いへと体勢を変えたナーシェが、芝の上の金貨を覗き込む。


「あっ……これ、私と同じ金貨ですよ」

「おまえのだよっ!」


〝盗った物を返せ〟とニコラは言っていた。さっきぶつかった時にナーシェがられたとみて間違いないだろう。


「私たちと一緒に会場を出て、すぐに裏路地に消えたので怪しいとは思っていたんだが……。私の前でこんなにあっさりりを成功させるとは、大した手際だ」


 チッ、と舌を鳴らしてニコラの方を振り仰ぐ少女。

 大きな鳶色とびいろの瞳に反射した人工太陽の陽射しが、けた頬のせいか、やけにギラついて見える。

 普通にしていれば目元を可愛らしく彩るであろう曲眉きょくびも、今は眉間に深いしわを刻んで厳しく吊り上がっていた。


「返せばいいんだろ、返せば! もうそんなの要らねーから、さっさと離せよ!」

「そういうわけにもいかないんだがな……どうする?」と、ニコラが俺を見る。

「どうする、って?」

「警団に突き出すかどうか、だ。このまま離せば他の被害者も出るかもしれない」

「その、警団とやらに突き出すと、どうなるんだ?」

「余罪にもよるだろうが、スリ程度なら何日か拘留されて釈放だろう」


 少女の歳は恐らく俺と同じくらい――十五、六といったところか。

 ローブの下は所々糸のほつれた袖なしのリブニットに、り切れの目立つ裾広のショートパンツ。足元のハーフブーツも両方の爪先から親指が覗いている。


 剥き出しの太ももは痩せて筋張り、少女らしい柔らかみは感じられない。

 腰丈のローブから足が見えていたにも関わらず、最初に男の子だと勘違いをしてしまったのはそのためだ。

 一目で、生活に困窮している様子がうかがえる。


 お金が戻るならそれで構わないし、わざわざ警団なんて所へ連れて行くのも気が引けるが……。

 他の被害者のことも考えれば、ここで解放するのも確かに無責任なのかもしれない。


 まだこの世界の習慣についても疎い俺が答えあぐねていると――、


「いいですよ、もう離しても」


 拾った金貨を胸ポケットに戻しながら、代わりにナーシェが答えた。


「私はお金が戻ってくるのならそれでいいですし、それに……」と、少女を眺めながら一拍置く。

「……それに、見たところ孤児みなしごじゃないですか? 私みたいに、たまたまタクマさんやライラ先輩のような人が傍にいてくれればいいですが、一人で苦労する人もたくさんいるのです」


 ナーシェの言葉を聞いて、ニコラがうなづく。


「……だ、そうだ。被害の当事者がそう言うなら私が口を出すことでもないだろう」


 ニコラが手を離すと、チッと再び大きな舌打ちを残してすぐに駆け出す少女。


「あうっ!」


 去り際にナーシェと肩が当たったが、今度は立ち止まることなく「礼は言わねぇよ!」と言い捨てて路地裏へ姿を消した。


「まったくぅ! お礼はともかく、一言くらい謝って欲しいです!」

「そんなことより……金貨、大丈夫か?」と、ニコラが眉をひそめる。

「へ? 金貨? ……あ、あ――――っ!」


 胸ポケットをまさぐりながらナーシェが大声を上げた。

 ポケットから出した手に握られているのは……一枚だけ。


「一枚しかない! 一枚しかないですよ蘭丸! 私の金貨、もう一枚どこかにいっちゃいましたっ!」


 慌てて足元をキョロキョロと確認するナーシェ。

 また、ピュアナーシェか。どう考えても、今られたんだろ。


「やはりな。何か動きが怪しいと思ったんだが……」


 ニコラのつぶやきで、ようやくナーシェも事態を把握したようだ。


「な、な、なんで捕まえてくれなかったんですかっ、ニコたん!」

「まさか連続で狙われるとは思っていなくて油断していた。それに、一度目は立ち止まってナーシェちゃんに謝っていただろ? だから捕まえることができたが……」

「も、元はと言えば蘭丸のせいですよっ!」

「え? 俺?」


 涙目を、今度は俺に向けてナーシェの抗議が続く。


「蘭丸が銀行に行こうなんて言うからっ!」

「ま、まてコラ。行き先はどこだろうとビンゴ会場から出るのは一緒なんだから、どっちにしろあいつには狙われていただろ」

「言い訳なんて聞きたくないです! 元はと言えば……そう! 蘭丸がビクトールに勝てなかったからですよっ! いえ、そもそも召喚ガチャが蘭丸だったから……」

「そこまでさかのぼる!?」

「カチンコで二倍に増やすのと、盗まれて半分になるのじゃえらい違いですよ……」


 うつむいて、零れる涙をぬぐい始めるナーシェ。

 まずその、カチンコで二倍になる前提を改めろ。


「それほど遠くへは行ってないだろうし、少し探してみるか?」


 ニコラの提案に俺とナーシェも頷く。

 また見つかる可能性なんて、ほとんどないだろうと諦めながら……。



 ――――四十分後。


 少し進んでは手分けして裏路地を探し、また進んでは手分けして……と繰り返してはみたが、やはり少女を見つけることは出来なかった。

 再び路地裏に集まり――、


「どうだった?」


 俺の問い掛けに首を振るニコラとナーシェ。


「案の定か……」と思わずこぼすと、すかさずナーシェに噛み付かれる。

「案の定ってなんですか! 情けないです! そんな心構えだから探し方もガバガバになるんですよっ!」

「あのなあ……そんなに大切な物ならまず、おまえのガバガバな防犯意識をなんとかしろ。金貨を胸ポケットに入れて持ち歩くとか、あり得ないだろ?」

「そう思ったなら、そう言ってくださいよ! 蘭丸のせいですよっ!」


 こいつ、責任転嫁だけはほんと一丁前いっちょまえだな。


「ま……とりあえず腹ごしらえでもしないか?」と、ニコラ。俺と同様、そもそも見つけられるなんて期待していなかったのだろう。


「確かに昼食も軽めだったし、動いて少しお腹も減ったな」

「ふ、二人とも、何を呑気な――」


 ナーシェが口を開きかけた、そのとき。


「てめえ! 全然足りねえじゃねぇかっ!」


 裏路地に、野太い男の声が木霊こだました。

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