06.千射万箭

 だいぶ空も黄昏てきたころ、ナーシェがライラを連れて戻ってきた。


「蘭丸~、ただいまですっ!」


 あそこまでの往復、かなり距離はあったと思うがケロッとした様子のナーシェ。一方、片道しか移動してないはずのライラは、額に玉の汗を浮かべて肩で息をしている。

 ライラが虚弱なのか、あるいは、獣人の体力が優れているのか……。


「ただいまです、じゃねぇよ!」

「ご、ごめんなさい……遅かったですか?」

「そうじゃない! お前にはあとでたっぷりおしおきだ!」

「おお……なんだかイヤらしい響きですね」

「やかましいっ」

「ということは、一応、勝つ気満々ということですね!」

「一応ってなんだよ。当たり前だろ!」


 お前は負けを覚悟であんな条件を提示したのか?

 勝たないでどうする!


「んじゃ、契約の巻物コントラクトスクロールは、俺たちの法術士でいいな?」


 一旦天幕テントの中に消えたガルドゥだったが、すぐに、二人の人物を伴って現れた。


「バローテ、契約を済ませろ」


 ガルドゥから指示を受けた、紫色の司祭服のようなものを着た男が、懐から二十センチほどの巻物を取り出し、もう一人と一緒に俺のほうへ近づいてくる。


 俺の前に立つと、先に口を開いたのはバローテではないもう一人の方。


 下半身は、ラップスカートのように巻かれた布を幅広のベルトで固定し、上半身は肩から二の腕まですっぽりと隠せるほどの大きな肩掛けで覆われている。

 目の部分だけを残し、頭と口元に白いターバンのようなものを巻いて覆面をしているため、性別は分からなかったのだが――、


「ニコラ・メルティアだ。二つ名は千射万箭せんしゃばんせん。借金の清算を賭けての決闘申請だと聞いたが……おまえが?」


 声を聞く限りではどうやら女性のようだ。

 姓があるということは、出自はある程度身分の高い家柄ということだろうか?


「ああ。俺は蘭丸。二つ名はない」

「ふん……借金を帳消しにするために年端もいかぬ恋人を賭け駒にするなど、見下げ果てた男だね」

「はあ? 誰がそんなこと……」

「あの子には悪いが、お前のようなやつに負けてやるつもりはないよ」


 いろいろと情報が間違ってんな。

 まあ、どうせ倒さなきゃならない相手にどう思われようと関係ないか。


「それではお二方、右手をこちらへ」と、バローテ。


 拡げられたスクロールの上にニコラが右手をかざしたのを見て、俺も真似をする。


「決闘の記録を開始します。例え死のつるぎにその身を貫かれようとも、互いを難じることなく輪廻の玉蘭ぎょくらんに魂を委ねることを誓うか?」


 ざっくり言うと、殺されても文句は言わない、って誓約の儀式らしい。

 バローテの誓いの言葉に続いて「誓います」とニコラ。

 俺も真似をして、同じ言葉を繰り返す。


 同時に、スクロールから青白い光が漏れ出し、俺たち二人の右手を包み込むと、ゆっくりと収縮し、やがて小さな球体となって戻っていく。

 直後、朽ち果てるように黒の残滓ざんしを撒き散らしながらスクロールが霧消し、それを見届けてバローテが口を開いた。


「決闘のログはアストラルレコードに書き記された。よって、これより互いに対する殺傷行為は一切咎めなきものとする。それでは、定位置へ」


 どこだよ、定位置って?

 離れていくニコラの背中を眺めながら、俺も所在無くナーシェの傍に近寄る。


「なんでこっちに来るんですか」

「べ、別に理由なんてないけど……っていうか、なんでガルドゥとあんな取引を?」

「あ~、娼館の件ですか? なんだ、それでちょっと怒ってたんですか……」

「なに考えてんだ? そんなことしなくても金さえ工面できれば――」

「そんなことどうでもいいじゃないですか。私が蘭丸に勝てるか聞いたら、蘭丸は勝てると言いました。その言葉を信じただけですよ」

「そ、そんな簡単に他人を信じるもんじゃ――」

「蘭丸は他人じゃないです。先輩のために土下座までしてくれるような人は他人じゃないです。私も蘭丸に信じてほしいから、私は蘭丸を信じます。元凶の私が、なんのリスクも負わないでいるなんて、そんなの許されませんよ」


 こいつ……子供で馬鹿だけど、でも……。

 相手の信頼を得るにはどうすればいいのか、ちゃんと分かっているんだ。


 人を信頼しない者は人からも信頼される資格がない――

 そういう原則を直感的に理解しているのか。


 でも――。


「俺のことなんて、そんな簡単に信じるなよ……」

「信じないでどうするんですか。これからも二人でやっていくんですよ?」


 さっきまで、負けたときのことをチラッとでも考えていた気持ちを、綺麗さっぱり握り潰す。

 石にかじりついてでも勝つぞ、ヘリオ!


『だから、我の名を略すな』

「(んなことより、大丈夫なんだろうな、あの女)」

『昼間の二人に比べればかなりの手練てだれのようだが、大丈夫だろう』

「(にしても、なんであんなに離れてるんだ?)」


 気が付けば、人払いされた天幕テント前広場の端ギリギリまで移動しているニコラ。

 彼我の距離、約四十~五十メートルといったところか。


『さあな。近接戦が不得手なのかもしれん』

「(でも、あいつの持ってる武器……棍棒っぽいよな? あれだって思いっきり近接武器だろ)」

『うむ……遠くてよく分からないが、何かありそうだ。油断はしないことだな』

「(しないことだな……って、そりゃこっちのセリフだろ。あとは任せたぞ、ヘリオ。おなしゃーっす!)」

『……何か勘違いをしていないか? 戦うのはお前自身だぞ』

「(……はっ?)」

『我もお前の六感に干渉はする。しかし、その肉体を動かすのはあくまでもお前の意思だ』

「(ちょ、ちょっと待て! 俺は、剣の扱いなんて知らないぞ!?)」

『だろうな。だから我がいるのだ』


 そんなこと言っても、ヘリオドールが動かしてくれないんじゃ意味ないだろっ!


「では、決闘を開始する。始めっ!」


 こちらが戸惑っている間に、バローテが大きな声で決闘開始を宣言した。


「ふ……フルンティングッ!」


 右手首のアームレットが、黒光りするロングソードに変わる。

 と、とにかく、ここまできたらやるしかない!


 その時、棍棒を構えて叫ぶニコラの声が広場に木霊した。


「ヴィジャヤ!」


 あ……あれって、まさか……!!

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