第五章 恐怖はもう一人の私に閉じ込めます。

01.孤児院

 一旦、草原エリア――第五グランドパークに出てから、八番街と呼ばれる窟路に入り直してしばらく歩いたのち、ナーシェが立ち止まって振り返る。


「ここが八番街孤児院ですよ」


 示された先の壁を見ると、周囲に並んでいるものと同じような、なんの変哲もない扉が構えている。

 他の施設と同様、壁の中にスペースを広げるように作られているようだ。


 慣れた様子で扉を開けて中へ入っていくナーシェ。その先は三メートルほどの薄暗い通路が続いており、さらに突き当たった奥で、もう一度扉を開ける。

 途端に、子供たちの声が織り成すガヤガヤとした喧騒が両耳に雪崩れ込んできた。


「あっ、ナーシェだ!」


 扉の近くで遊んでいたらしい三人組の男の子が、ナーシェに気が付いて一斉に駆け寄ってくる。


「やあ~い! ナーシェが来たぞ~! ケモミミのナーシェだあ!」

「あうっ……痛っ! こら、おまえたち! 偉大なOGになんてこと……痛っ!」


 ナーシェを取り囲んで太ももに蹴りを入れたり、持っていた木の棒で叩いたりとやりたい放題だ。

 三人とも四~五歳くらいで力も大したことはなさそうだし、遊びの延長線なんだろうが、とはいえ黙って見ているわけにもいかない。

 ナーシェの前に出て、三人を止めようとしたその時。


「いい加減にしないと、怒りますますよおぉぉ~! ガオガオ――ッ!」


 顔の横で、両手をわきわき動かしながら三人を追いかけ始めるナーシェ。


「わあ~っ! オオカミ女が怒ったあ~! 逃げろお~!」

「待てえ~! おまえら、ぶっ殺してやるう~! ガオガオ――ッ!」


 昔は馴染めなかったなんて聞いていたから神経質になったが……。

 そっか。どうやら今は上手くやっているみたいだな。


 改めて部屋の中を見渡せば、他にも獣耳けもみみを生やした子供の姿が何人か見受けられる。それぞれ、他の子供たちと分け隔てなく仲良く過ごしているようだ。


 そう言えば、アルマデル……と言ったっけ?

 獣人ながら王宮の要職に就いたという人物もいるようだし、ナーシェがここへ来たころとはまた状況も変わっているのかもしれない。


「こらあ~! ケイン、ロシュ、キース! 二階うえでお兄ちゃんたちがお勉強中なんだから、静かにしなさぁい!」


 部屋の奥でお人形遊びをしていた女の子の一人が、騒ぎを見かねたように立ち上がる。叱声しっせいを飛ばしたあと、すぐに――、


「あ、あれ? ナーシェちゃん!?」


 その声にナーシェが顔を上げる。

 いつの間にか、男の子の一人を捕まえて馬乗りになり、彼のこめかみを二つの拳でグリグリと締め付けている。


「……あ! コロネじゃないですか。顔が怖いですよ?」

「怖くもなるよナーシェちゃん! 今の時間、年長さんはおべんきょう時間なの、知ってるよね? お姉さんなのに騒いじゃダメだよ」

「いちいち細かいですねコロネは。すぐめますよ。……ただ、この子の泣き叫ぶ顔を見てからですが」と、両手の拳にさらに力を込めるナーシェ。

「だ、ダメだよナーシェちゃん! 大人げないよ!」


 コロネと呼ばれた少女が慌てて止めに入る。

 あいつ、本気で戦ってたのかよ……。


               ◇


「シェリア先生、もうすぐ来るって」


 案内されたのは、一階の奥にあった小部屋。一旦退室して、カップとティーポットをトレイに載せて戻ってきたコロネがナーシェに伝える。


「ありがとうです」

「ナーシェちゃんがこんなに早いじかんに来るなんて、めずらしいよね?」


 早く……と言っても、壁時計を見るともう十一時だ。

 お昼前だし、早いと言うほどの時間でもないと思うんだが……。


「え~っと、今日は球遊場に寄らず、真っ直ぐここに来ましたからね」


 ナーシェの答えに「ええええっ!」と、大きな亜麻色の瞳をさらに大きく見開いて驚嘆するコロネ。


「どうしたのナーシェちゃん!? 熱でもあるの!?」

「ありませんよ! 蘭丸を会計係にして、お金の管理は任せることにしたのです。〝びじねすぱーとなー〟ですからね。当然ですよ、それくらい」

「ふぇ~……、そうなんだぁ……」


 驚き冷めやらぬ様子で、今度は俺の顔へ、子供らしい無遠慮な視線を向けてくるコロネ。自己紹介は済ませてあるのでお互いに名前は知っている。

 瞳と同じ亜麻色のショートボブ。長い前髪から片方だけ覗いている、大きくつぶらな瞳と整った眉が、顔立ちの可憐さを物語っている。

 六歳だと紹介されたが、口ぶりや面立ちを見ていると、歳相応の稚気ちきに富むと同時に、大人びた才気煥発さいきかんぱつ(※すぐれた才能が外にあふれ出ること)もうかがわせる。


「よ、よろしく……」


 あまりにもジッと見つめてくるので、居心地が悪くなって会釈をすると「ううん、こちらこそよろしくだよ精霊さん!」と、コロネがかぶりを振りながら答える。

 俺がこの世界に召喚された時にこの少女もそばにいたらしいのだが……そっか、まだ俺のことを精霊だと思ってるのか。


 再びナーシェに向き直ったコロネが、熱い口調で続ける。


「球遊場に立ち寄らずにここに来るなんて大進歩だよナーシェちゃん! コロネ、実を言うと、ナーシェちゃんが来るたびになぐさめるの、面倒くさかったんだあ」

「そ、そうなんですか?『次があるよ』って優しく頭を撫でてくれたあのコロネは、嘘コロネだったんですか?」

「うんうん。甘やかしてたコロネも悪かったって、今は反省してる。寄り道しないでここに来られるようになれば、社会人合格だよ、ナーシェちゃん!」


 社会人のハードル、どんだけ低いんだよ。


「で、でも、毎回真っ直ぐ来るとは、限りませんよ? お小遣いがもらえれば、それは私の自由に、使えるんですから……ね?」


 俺の方にチラチラ目配せしながら、ポツポツと語るナーシェ。

 まあ、それくらは、仕方ないかな……と思っていたのだが、ナーシェの言葉にコロネの表情がさらに険しくなる。


「ダメだよナーシェちゃん。そういう中途半端がいけないんだよ」

「そ、そんなこと言い出したらもう、一生できないじゃないですか!」

「それでいいんだよ。ナーシェちゃんは、どうしてカチンコが好きなの?」

「どうしてと言われましても……なんて言うか、見ているとワクワクするというか」

「それなら、コロネが代わりに作ってあげるよ」

「え? 作る!?」

「うんうん。物置ものおきにある木箱を繋げて〝カチンコ〟って書いておけばいいんじゃないかな?」

「それは、カチンコって書いた木箱です……」


 その時、ガチャリと部屋のドアが開き、一人の女性が中へ入ってきた。

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