02.シェリア先生

 ガチャリと部屋のドアが開き、一人の女性が中へ入ってきた。


 濃緑のロングスカートに白いエプロン。色は違うが、ライラが着ていたような服装とほぼ同じデザインだ。

 束ねた黒髪を両サイドでまとめたシニヨンが落ち着いた雰囲気を漂わせているが、歳は三十代前半か、もしかするとまだ二十代かもしれない


 特別美人と言うわけではないが、程よくふっくりとした輪郭と、そこに配された丸みの帯びた目鼻から柔和な印象を受ける。丸眼鏡の奥の艶やかな瞳には、優しげな微笑が浮かんでいるようだ。


 取り澄ましていてもどこかほころんでいるように見える……というのはこういう顔立ちのことを言うのだろう。いかにも子供に好かれそうな安心感をまとっている。


「お邪魔してますよ、シェリア先生!」

「ナーシェちゃん、いらっしゃい」


 後ろ手でドアを閉めながら、シェリア先生と呼ばれた女性が俺の方をちらと見るが、特に警戒する様子も見られない。コロネからも説明を受けているのだろう。


 ナーシェが俺を指差しながら――、


「これは、私が召喚したサーヴァントですよ。蘭丸です」


 紹介を受けて俺が軽く会釈をすると、ようやくシェリア先生も真っ直ぐ俺に向き直り「ここの院長をしているシェリアです。よろしくね、蘭丸くん」と微笑み返す。

 しかし、すぐにナーシェに顔を向けると、


「コロネからは聞いているわ。形見のベリルを使ったんですって?」

「ですです。勝負師ギャンブラーとしての勘が、使うなら今だと言っていたので」

「勝負師……。先生、ナーシェちゃんはただのカモ・・だと思っていたんだけど」

「またまたぁ♪ シェリア先生は冗談が上手いのです!」

「いえ、本気よ?」


 空いている椅子を引いて腰を下ろすと、改めて俺を観察するように正面から凝視するシェリア先生。石壁の向こう側を覗こうとでもするかのような強い視線に、一瞬身がすくむ。


 まあ、ナーシェの賭け物だと聞けば気を揉むのも分からなくはないけど。


「そうそう、それで、私に聞きたいことって?」


 寸刻の沈黙ののち、ハッと我に返ったようにシェリア先生がナーシェに尋ねる。


「え~っとですね、先生は、リスねえのこと、覚えていますか?」

「ええ、覚えているわ。確か、ナーシェちゃんがここへ来て少し経ってから、里親の元へ引き取られていったわよね」

「今も元気でやっているのですか?」

「何回か手紙が届いたあとは連絡もなくなったけど……元気じゃないかしら? 噂で、お母様の方はご病気で入院されたと聞いたけど、お父様は健在みたいだし」

「どこに住んでいるのか分かりますか?」

「それは……調べれば分かるけど……」と、言いよどむシェリア先生。


 やはり、そう簡単に個人情報は漏らせないのだろう。

 先生の様子を見てナーシェが、「実はですね……」と、昨日リスタに再会した経緯を話し始めた。


 表情を曇らせながら一しきり説明を聞いていたシェリア先生だったが、ナーシェが話し終わると「なるほど……それは心配ね」と、さらにうれわしげに眉を寄せる。


「ライラにも確認を取ってみて……今の話が本当なら、まずは先生の方からリスタの家に連絡してみるわ」


 そう言ってシェリア先生が席を立つ。

 が、十分ほど経って戻ってきた彼女の顔は冴えなかった。


「リスタの方は、ダメね。連絡してみたけど通話番号が変わっているみたいで繋がらなかったわ」と言いながら、一枚のメモをテーブルの上に載せる。

「これが一応、院に保管されていたリスタの住所よ」

「いいのですか?」

「本当はいけないのだけど、事情が事情だし……ナーシェちゃんはここの卒院生でもあるしね」


 ナーシェが、メモを手にとって確認しながら、


「第七グランドパーク付近ですか……」と眉をひそめる。

「遠いのか?」

「いえ、あの辺は球遊場カチンコがないのですよ」


 そりゃ結構。


「距離は二十キロちょっとですから、ギリギリ走って行けると思います」

「ハーフマラソンかよっ! テレポータルだろ、絶対!」

「あの辺りは最近、開発が進んで人の出入りも盛んだと聞くし、行くなら土地鑑のある人と、できれば護衛も欲しいわね」と、シェリア先生が心配そうにつぶやく。

「ごえいは、らんまるさんが強いって言うから大丈夫じゃないかな? なんてったって〝えいんへりある〟だもん!」


 きらきらとした瞳で俺を見つめてくるコロネ。

 エインヘリアル? なんだそれ?


「えっと……まあ、護衛はなんとかなるとしても、俺だけじゃ少し心細いよな」


 護衛や土地鑑というよりも、懸念はむしろ世界鑑・・・に対してだ。

 この世界の常識や習慣に詳しい人間が一人は欲しい。

 ナーシェでは何かと不安だし、ニコラでもいれば心強かったんだが……。


「ナーシェちゃんも一緒でしょ?」と、コロネが小首を傾げる。

「う~ん……こんなやついてもなあ……役に立たないだろ……」

「そんな言い方したらかわいそうだよ。まるで無能だけど、ナーシェちゃんだって話し相手くらいにはなるよ?」

「い、いや、そこまで言ってないぞ、俺」


 慌ててナーシェの顔を見ると、しかし、意外にも大して気にする様子もなくお茶を啜っている。


「優秀すぎるのもよりけりですね。嫉妬おつ、ってやつですよ」

「そっかー」


 まあ、そういうことにしとこう。


「では、コロネも連れて行ってはどうかしら?」と提案したのは、シェリア先生。

「この子を……ですか?」

「うんうん。年長さんを除けばもう、院でも小さい子たちのまとめ役をこなせるくらいしっかりしてるのよ」


 まあ、確かに、先ほどからの言動を見ている限り、それは十分に伝わってくる。

 少なくとも常識的な部分では、ナーシェに比べればずっと頼りにはなりそうだ。

 ……が、六歳児を宛がわれるナーシェの評価の方が気になる。


「それよりも今、英精霊エインヘリアルって……」


 再び、シェリア先生が俺を見据える。

 先刻と同じ、不躾ぶしつけなまでの鋭い眼差し。


「そうそう! 忘れてました。蘭丸を召喚する時にイメージした英雄の絵本、今持ってきますね!」


 ナーシェがぴょこんと立ち上がり一旦退室したが、すぐに一冊の絵本を持って戻ってくる。


「これです!」


 テーブルの上に絵本を置くと、その表紙を指差すナーシェ。


「これは……英雄『روح・لپسي ڍنڍ』の絵本ね」とシェリア先生が呟く。


 ……ん? 今、よく聞こえなかったぞ?

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る