第六章 穢れとは、魂を曇らせることを言うのです。

01.変態、死すべし

 再び玄関ドアを開けて店内へ足を踏み入れると、真っ先に、こちらへ背を向けて立っているジェクスに目が留まった。

 彼の前で閉じられているのは、先ほどまではなかったドア。


 あの先は確か……階段?

 なんであんな所にドアが!?


 激しいドアベルの音に驚いてこちらを振り向いたジェクスと、足早に詰め寄る俺たちの視線がかち合う。


「な、なんだあんたたち? まだ何か、用か?」

「リスタはどこだ?」

「どこって……い、今、二階で、仕事を……」

「仕事? どんな?」

「そんなこと、あんたに関係ないだろ!」

「そこ、どいてもらえませんか? 何をやっているのか確認だけしたら帰ります。邪魔はしませんから!」


 そう言ってジェクスを押し退け、扉の取っ手に手を掛ける。が、鍵をかけられているのか、びくともしない。

 なぜ、階段通路に施錠なんて!?


 小さな点に過ぎなかった黒い予感が、俺の心の中でどんどん広がっていく。


「鍵は!? ドアを開けて下さい!」

「な、なに言ってんだよあんた! いくらなんでも商売の邪魔をするようなら警団に通報――」

「ああ、それもいいですね! まさかと思うけどジェクスさん……あんたここで、売春の斡旋なんてしてないでしょうね!?」


 この国で売春行為が認められているのは、娼館ギルドの管理下にある業者だけだということは、昨夜ライラから聞いていた。

 街娼行為はもちろん、もぐりで仕事の斡旋や娼婦の紹介を営むことも禁止されていて、特に後者は厳しい罰金・罰則もあるらしい。


 俺の言葉に、視線を彷徨さまよわせて狼狽うろたえるジェクスを見て、確信する。


 なんてことだ。

 この男、自宅で娘に体を売らせているんだ……。

 

「おい! 開けろ! 鍵をよこせっ!」

「あ、あんた、なに寝呆けて――」

「寝呆けてんのはそっちだっ! あんたの奥さん……リスタのお義母かあさんは、もう亡くなってるらしいじゃないか!」

「ど、どこでそれを……ゴフッ!」


 気がつけば、俺の左拳がジェクスのボディーを深くえぐっていた。

 人を殴った記憶などないが、気脈を開放したことで、も体に染みこんだ連合記憶ように、ヘリオドールの技能を使えているのかもしれない。


 さらに、目の前まで下がってきたジェクスのあごに右ストレートを叩き込む。

 鮮やかなワンツー。

 膝を折ったジェクスの巨体が、その場で崩れ落ちる。


 あんな少女に男の相手をさせて、自分の遊ぶ金を稼がせていただと?

 だとしたなら、なんて悲しい現実なんだ。

 リスタのことを思うと胸が張り裂けそうになり、焦燥しょうそう感から思わず手が出てしまった。


「蘭丸、どいてください!」


 失神したジェクスの手からドアの鍵をもぎ取ったナーシェが、階段ドアに駆け寄る。……と、その時だった。


『ひぎゃあぁぁっ!……』


 向こうから聞こえてきたのは、絶望を鼓膜に貼りつけるような悲鳴。


「ナーシェちゃん、早く!」と、コロネが急かす。

「や、やってますよ! ちょっと、黙っててくだ……あっ、開いた!」


 ガチャリと音の鳴った扉を勢いよく押し開いて、真っ先に俺が階段を駆け上る。


 若い女性の声……まさか、さっきの悲鳴はリスタの!?

 二階このうえで一体、何が起こっているんだ!?


 二階の廊下へ着くと、わずかに隙間の開いたドアから明かりが漏れているのが見えた。急いで駆け寄りドアを開くと、視界に飛び込んできたのは――。



 模擬刀を片手に、ケープのような短いフードマントを着た貴族風の男……先ほど店に入っていった三人組のうちの一人だ。

 すれ違った時にはフードを被っていたのでよく見えなかったが、口髭を整えた、品の良い四十代くらいの紳士に見える。だが……。


「次は両足のどちらかかなぁ♪ でも、どちらになるかはたれた時のお楽しみぃ♪」


 そう言いながら薄ら笑いを浮かべた横顔は、まるで悪魔のような、ゾッとする醜悪さを漂わせていた。

 そして、彼の見つめる先には――。

 両手を繋がれ、石壁に吊るされるように立たされている半裸の少女。


 ――リスタ!


 右腕と腰には、模擬刀をかたどったような赤紫のあざが白い肌に浮き上がっていた。


 想像したくはない……。

 けれど、状況を見た瞬間、この部屋で何が行われていたのかを理解する。


 湧き起こる、未曾有の嫌悪感。

 すべての細胞が、怒りと憎悪で塗り替えられるような感覚に、全身の毛が逆立つ。

 模擬刀を振り上げた男の姿を見た直後、思わず俺の両足は床を蹴っていた。


 ……が、男に殴りかからなかったのは最後に残された一片の理性。

 リスタと男の間に体を滑り込ませ、振り下ろされた模擬刀を左腕のガントレットで受け止めると、ガキンッという硬質音と共に前腕がビリビリとしびれる。


 鋼の防具の上からでもこの衝撃!?

 こんな物で、リスタの華奢な体を殴りつけていたってのか!


「何、やってんだ……手前テメエら……!」


 怒りで我を忘れそうになるのを懸命にこらえながら、なんとか言葉を搾り出す。

 仮にも貴族と呼ばれるような連中だ。無闇に手を出せば、俺だけじゃなく使役者マスターのナーシェにまでどんな累が及ぶか分からない。


 気持を落ち着けるんだ、俺!


「だ、誰だ、貴様!?」

「そんなことはどうでもいい! 模擬刀そんなもので、女の子相手に何をしていたんだって訊いてんだよ!」

「それこそどうでも良かろう。こちらはお金を払って、互いに納得済みで楽しんでおるのだぞ!」


 おお――い、ラムディ! 侵入者だ、斬りすてろっ!と、貴族男が大声で叫ぶ。


 部屋の隅でもう一人、驚いたように腰を浮かせている初老の男は、貧相な体格でとても戦闘向きには見えない。

 店先ですれ違った時の様子を振り返り、もう一人いた屈強な男の姿を思い出す。


 別室に護衛でもいるのか?


 と、その時、入り口から貴族男に向かって猛スピードで走り寄る小さな影。


 ――ナーシェ!?


「何を、やってるんですかあ――っ!」

「な、なんだ? 獣人!?」


 振り上げた拳をぐるぐる回しながら突進するナーシェに、貴族男もあわてて向き直り、正眼に模擬刀を構えた。


「待て、ナーシェ! お前なんかが行ったって返り討ちに……」


 次の瞬間、宙に跳ね飛ばされる人影。

 もんどり打って数メートル先の床に叩きつけられたのは……貴族男の方だった。


「ふぅ――……変態、死すべし!」


 男を睥睨へいげいする獣人の少女。

 ただ――。


 両眼には大きなゴーグルを嵌め、左右の前腕から手先にかけては、まるで肉球グローブでも着けたように生え揃った栗色の体毛。ミニスカートの下からは大きな二本の尻尾モフモフまで垂れ下がっている。


 あれじゃあまるで……そう、狼少女!?


「な……ナーシェ……だよな?」

「はい。他人ひとは私を、そう呼びます」


 なにカッコつけてんだ、こいつ!?

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る