02.俺は気が立っているんだ

 模擬刀を杖代わりに、咳き込みながらヨロヨロと立ち上がる貴族男。


「ゴホ、ゴホッ……な、なんなんだ貴様ら……一体なんの権限でこんなこと……」

「権限? リスねえは私の大切な人です。大切な人が痛めつけられていたから助けただけです。そこにどんな権限が要るんですか?」

「これは……ただの取引だ。リスタだって金が要るんだよ。ちょっと痛い思いはさせるが……終わればそこのダッカスが巻物スクロールで元に……ゴフッ!」


 言い終わるのを待たずに、再び距離を詰めたナーシェ。

 直後、彼女のボディーブローで貴族男の両足が宙に浮く。


「なるほど。体さえ元に戻せばどんなに痛めつけてもいいということですね」

「ゴホッ、ゴホォォ……オエェェェェ――ッ」


 自らの吐瀉物としゃぶつの上へうずくまるように崩れ落ちる貴族男。その頭をナーシェが思いっきり蹴り上げると、首が変な方向へと捻じ曲がる。

 泡を吹き、白目を剥いた男の表情からは、すでに意識が消え去っていた。


「お、おい、ナーシェ……だ、大丈夫なのか?」


 リスタの腕輪を外しながら尋ねると、


「大丈夫じゃないでしょうか」


 軽い調子で答えるナーシェ。

 それよりも……と、ゴーグルを外しながらふらふらと踏鞴たたらを踏んで、近くにあった椅子にドスンと腰を下ろしてしまった。


「獣化はかなり体力を消耗するので控えていたのですが、思わずカッとなっちゃいました……。あとは、リス姉を、お願いします……」


 腰を下ろした拍子に頭の上からずり落ち、床に転がるゴーグル。

 気がつけば、尻尾と肉球グローブ・・・・・・も消えている。

 最後に入ってきたコロネが、ゴーグルを拾ってナーシェに手渡しながら俺の方を振り返り、


「ナーシェちゃんのゴーグルは、へんしんアイテムみたいなものなんだよ」

「変身アイテム?」

「ふつう獣人は十歳くらいで、じぶんの意思で獣化したり人の姿になったりできるらしいんだけど、ナーシェちゃんはそれが苦手みたい」

「そのゴーグルが、獣化のためのキーアイテムみたいなもの?」

「何のへんてつもないただのゴーグルだけどね。これをつけると、気分がもりあがって獣になれるんだって」


 なんだそりゃ。

 腕輪から外したリスタを抱きかかえ、すぐそばのベッドに横たえると、コロネが心配そう眉をひそめる。


「ナーシェちゃんより、そっちのお姉ちゃんの方がしんぱいだよ。だいじょうぶ?」


 ふと見れば、意識を失っていると思われたリスタが薄目を開けている。

 さらに、ゆっくりと唇を動かし――、


(……べ……に……して……)


 息が漏れる程度のか細い声でよく聞き取れない。

 激痛が彼女を襲っているのだろう。言葉を発するたびに表情がゆがんでいる。


「しゃべらなくていい! 今、治してやるから!」


 毛布をかけながらそう伝えたが、さらに言を継ぐリスタ。


(……かべに……もど、して……リタ、が……しんじゃう……)


 瞬間、頭の中を直接掻きむしられたようなショックで目の前が暗くなる。

 こんな目に遭ってまで、それでもお義母かあさんの身を案じているのか?

 周りの大人たちは、たった十四歳の少女にどれほどのものを背負わせていたんだ?


 憎悪、憤怒、無念、悲嘆――入り混じる感情。

 熱くなった目頭のせいで、リスタの顔がみるみるにじんでゆく。


「大丈夫……大丈夫だっ、リスタっ……お義母かあさんのことはっ……俺たちがちゃんとっ……話をしたからっ……今は、ゆっくり……休むんだっ……」


 言葉を詰まらせながらもなんとかそれだけを伝えると、リスタは俺を見上げながら微笑んで……ようやく意識を手放した。


「おいっ! そこの! ダッカスとか言ったな? スクロール使いだろ? さっさとこの子を治せ!」


 俺の怒声に、初老の法術士がびくっと肩を跳ね上げる。


「しゅ、主人の許可を頂かねば、勝手に施術は……」

「フルンティング!」


 たちまち右手に現れた黒皮剣の切っ先をダッカスの眉間に突きつける。


「さっさとやれ。俺は気が立っているんだ。お前をこの子と同じ目に遭わせるくらい、今なら躊躇ちゅうちょなくやるぞ」

「ひいっ!」


 ダッカスが、ベルトポーチから巻物を取り出し、慌てて詠唱を始める。

 土気色だったリスタの頬に赤みが戻るのを見て、ホッと安堵の息を吐いたその時。


「おうおう? 騒がしいと思ってかわやから出てきてみりゃ……なんだい、このとっ散らかった有様は?」


 声の方へ顔を向けたその視線の先で、開いたドアの影から屈強な男がゆらりと姿を現した。背丈は、明らかに俺より高い。百九十センチ前後はありそうだ。

 半袖のシャツに、肩当てのついたレザープレート。下はカーキのブリーチスに皮のミドルブーツを履いた剣士風の男。


 すれ違った時には外套マントを羽織っていたので、服装だけでコロネは貴族のようだと言っていたが……。

 少なくとも、マントの下の防具や品のない口調、そして何よりも、獣のようにギラついた大きな双眸そうぼうからは、とても上流階級のような品の良さは感じられない。


「な、何んですぐに来なかった、ラムディ!」と、剣士の姿を見たダッカスが大きな声を上げる。

「さっきも言っただろうが、厠に行ってたって」

「いつもの護衛の都合が付かなかったから仕方ないとはいえ……傭兵ギルドのならず者など、所詮こんなものか……」

「うるせえクソジジイ! 糞ぐらいゆっくりさせろや!」


 そう吐き捨てると、ラムディと呼ばれた剣士が床を一瞥いちべつする。


「で、旦那は、どうしてそんな所でゲロまみれに……って、聞くまでもねえか」

「だ、ダレス様は、この者たちにやられて……」


 ダッカスの説明を聞くまでもなく、腰にいた蛮刀マチェットを抜いて俺に正対するラムディ。


「つまり、俺の仕事はこのクソガキどもをぶっ殺せばいいってこったな?」

「おいおい。居住区での殺生は法律違反なんじゃないのか?」


 フルンティングを下段に構え直しながらラムディに問うと。


「法律? はんっ! 手前テメエはどこのボンボンだ? 衆人環視の往来でり合うってんならともかく、部屋ん中だぞ? しかも、こっちは貴族様に雇われての仕事だ。死体の二つや三つ、何とでもなるだろうよ」

「蘭丸! 正当防衛です! その、口の悪いクソ剣士、ぬっ殺してください!」


 口の悪さだけならナーシェもいい勝負だけどな。

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