07.私の実力は知っているんだろう?

「てめえ! 全然足りねえじゃねぇかっ!」


 裏路地に、野太い男の声が木霊こだました。

 思わず三人で顔を見合わせると、声が聞こえた方向へ走り出す。

 薄暗い路地を二、三個曲がった先の袋小路で視界に飛び込んできたのは、背刀を担いだ二人の男と、その足元でうずくまる黒い塊。


 いや、薄暗がりでよく見えなかったけど、あのローブ、あの編み下ろしの髪――間違いない! さっきのスリ少女だ!


「オラッ! 何とか言えや!」


 振り上げられた男の右足が少女の脇腹にめり込み、ドスンと鈍い音を響かせる。


「ひぐうっ……!」

「期限の十六時までまだ二時間もあるじゃねえか。お前みたいな小汚い痩せぎす・・・・でも、二十人くらい客を取れば貯まるんじゃねえか?」

「そうそう。昨日みたいに俺たちがまた相手してやろうか? 五千ラドルでよけりゃあなぁ!」


 そう言いながらもう一人の男が、下卑げびた笑いを浮かべながら少女の小さな肩を蹴り上げる。

 勢いよく転がった彼女の体が建物の壁にぶつかり、ドシンと低い音を立てた。


「はぐっ……」と、か細い呻き声を上げながら、しかしすぐに土下座の体制に戻り、「ごめんなさい、ごめんなさい……」と謝罪の言葉を口にする少女。


 一気に体中の血が沸騰する。

 経緯いきさつは分からないが、大の大男おとなが二人がかりで女の子を蹴りつけるなんて、どんな事情があろうと見過ごせない!


 再び振り上げられた男の右足を見て思わず体が動く。

 気が付けば男たちと少女の間に割って入っていた。

 同時に、右足に走る鈍痛。


「いっ……!」


 少女をかばってかがんだ俺の太ももに、男のつま先がめり込んでいた。厚手のカーゴパンツの上からでもこの衝撃だ。軽装の少女の脇腹にどれほどの激痛を与えていたのか、想像に難くない。


「な、なんだ、てめえ!?」

「おまえらこそ、こんな女の子に何てこと――」


 顔を上げ、ギッと男たちを睨み付けた俺の視界に映ったのは……見覚えのある二つの顔だった。


「おまえら、確か……昨日ライラの店に取り立てに来てた二人か?」

「ああん? ……ああっ! てめえは昨日の、あの獣耳けもみみのサーヴァントだとかなんとか……」


 直後、ナーシェも俺の隣へ駆け寄ってくる。


「あ――っ! またあなたたちですかっ!」

「そりゃこっちのセリフだ! なんでてめえらがここに……」

「あっ! これ、私が盗られた金貨――」


 ナーシェが、足元から一枚の金貨を拾い上げる。

 見れば他にも、銀貨や白銅貨、それに琥珀金貨エレクトラムなども芝の上に散乱していた。


「ああ、もしかしてそいつはお前がられたもんか。道理で……ただの街娼がいしょうに金貨なんて出す客がいるとは思えねえしな」と、男の一人が言うと、

「おい、どうすんだ、リスタぁ? スリの被害者が来ちまったぞ? 金貨をケモミミに返したら、残りは十万になっちまうじゃねえか」と、もう一人も少女に詰め寄る。


 どうやら、何らかの事情で借金を負った少女――リスタと言うのか?――が、男たちに返済を迫られている、という状況らしい。

 つくづく似たような場面に居合わせるな……。これこそ、何かの前兆なのか?


『おまえがそう思うなら、そうかもしれんな』

「(ヘリオドール……まさか俺の成すべきことって、世界中の借金少女を救うことじゃないだろうな?)」

『それについては答えられないと、以前にも伝えただろう?』

「(と、とりあえず、こいつら、今の俺で対処できるのか?)」

『どうだろうな。かなり気脈が疲弊している。今の状態で我が干渉すれば一気に精神力が奪われ、先ほどのゲームのあとのような状態になるぞ』


 つまり自力でなんとかしろ、と。

 ……かばって盾になるくらいしかできそうにないが、そんなことで事態が好転するとは思えない。


「この子が……一体何をしたんだ?」

「それを聞いてどうすんだ? 昨日の筆具屋の姉ちゃんと違って、その小娘とおまえらには何の関係もないだろうが」

「いいから答えろっ!」

「ったく、面倒くせえ連中だな……。そこのリスタって女、うちのシマ・・で勝手に街娼なんてやってやがったんだよ。分かったらどいてろ!」

「街娼って……いわゆる、売春婦ってことか?」


 こんな若い子が!?


「他に何があるんだ? 本来ならすぐにでも娼館に入れるか警団に突き出すところを、こいつが金なら払うっつうから、特別に今日まで待ってやってたんだよ」

「ひ、一人だ……取った客は……」


 俺の後ろでリスタという少女が、苦しそうに言葉を搾り出す。


「そ、それなのに……三十万ラドルなんて……法外すぎるよ……」

「あんだとコラァッ! 法を犯してんのはどっちだ小娘がぁ! このエリアの風営許可は全部ガルドゥの旦那が引き受けてんだよ! もぐりで客引きして警団に突き出されないだけ、ありがたく思えクソガキがっ!」


 男の一人が、俺の後ろに手を回してリスタを引きずりだそうとした、その時。


「この金貨は……私のじゃないですね」


 ナーシェの放り投げた金貨が芝の上を転がり、他の硬貨に当って倒れる。


「な……なんだと? おまえさっき、それは自分が盗られた物だって……」

「言い間違えました。確かに私が持っていたものですけど、リスねえにあげたものです。盗られたりした物ではないので、安心して持っていってください」

「み、見え透いたことを! 金貨を、赤の他人にくれてやる奴がどこに――」


 ナーシェが、持っていたもう一枚の金貨も芝の上に放り投げる。


「ここにいますよ。もう一枚もあげます」


 な、ナーシェ、おまえ……。


「これで三十万ラドルになりますよね? 拾ってとっととガルドゥの元へ持っていってください」

「て、てめえ、余計な口出ししてんじゃねえ! 金が揃えばいいって話じゃ――」

「そこまでだ!」


 今度は、やや離れた建物のかげからニコラの声。

 ゆっくりと日差し下へ移動した彼女の姿に、男たちの眉が曇る。


「誰だおまえ?」

「これを見ても分からないか?」と、金剛杵ヴァジュラを手にほくそ笑むニコラ。

「その妙ちきりんな武器は……もしかして、ガルドゥの旦那が雇ってた覆面の!?」

「奴との契約は昨日解消したよ。今は、そこにいるナーシェちゃんの護衛を引き受けている」

「だったとして、どうなんだ? おまえらには関係ねえだろ! 引っ込んでろ!」

「そうはいかないな。私の雇い主がその娘の身柄を正当な方法で引き受けると言っているんだ。それを邪魔立てするなら、私も全力でお前たちを排する」

「て、てめえ……」


 剣の柄に手をかけた二人に対して、ニコラも金剛杵ヴァジュラを構えて言葉を繋ぐ。


「それを抜いたら正当防衛が成立するぞ。私の実力は知っているんだろう?」

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